考え方歪んでませんか?本当に?
人は骨格だけではなく思考や心にも歪みを持っている。
勘違いや思い込みのことだ。
私はそれをこの世から追放したい。
歪みのしわ寄せ
小さな歪みは自覚しにくい。
歪みがあるのは仕方がないことだが、それを自覚していないのは危険だ。自分も他人もさらに歪ませてしまうから。
歪みは連鎖し絡み合い、濃度を高めながら一番弱い場所にしわ寄せが行く。
「本当に大切なものは何なのか」「この人は本当はどうしたいのか」「なぜ自分はこう考えたのか」「自分はなぜこんな気持ちになっているのか」「なにもかもが仕方がないのか」「自分はなぜこんなことをしているのか」「本当にそうなのか」
ふと、こんな問いが思い浮かんだ時、人は自分や他人の歪みを覗き込んでいる。
問いが浮かばない人は歪みに無自覚だ。
ポジティブに自分を疑う
自分で「できている」と思っている人ほど、実は「できていない」というのはこの世の法則のようなものだろう。「できていない」と思っている人も「できていない」ことには変わりはないが、そこには伸びしろという希望がある。
「できていない」と思うことは、「自分の実力を過小評価」しているか「できると言える基準を過大評価」しているかだ。実力を過小評価するのは歪んでいるが、目標にまだ届いてないと思ったり、まだ自分が気づいていない高みがあると思っているならば歪みはない。
自分に見えないものが存在すると信じること。
それはポジティブに自分を疑うことができる方法だ。
それは「できる」ようになる余地を増やし、歪みから抜け出せるシンプルな方法ともなる。
できなくて当然だと受け入れる
神仏への畏敬の念や親しみなどを感じながら生きる事は当たり前ではなくなった。そのために、自己評価や見立てが歪みやすくなっている側面があるように思う。自分より圧倒的に優れた存在との関係が弱まることで、自分を疑いにくくなるから。
自分が何かを「正確に評価できる」と思う事が歪みを生む。認知の歪みに無自覚なことが歪みを大きくする。
自分には見えないものがあると心から信じる。
そんな態度が勘違いや思い込み、そしてそのしわ寄せを減らす始まりになるんじゃないか。
そんなふうに私は考えている。
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