2017/10/22 プルカレーテ演出『リチャード三世』@東京芸術劇場
こんにちは、演劇ソムリエのいとうゆうかです。
日本時間2020年6月18日2時・14時、オンライン開催となったシビウ国際演劇祭2020にて素晴らしいものが配信されました。
そう、2017年に東京芸術劇場で上演された、シルヴィウ・プルカレーテ演出・佐々木蔵之介主演の『リチャード三世』という傑作です。
以前、400字にまとめた簡易的なレポートは投稿しましたが、今回はこの作品のハイライト的な要素を少し詳細に書きました。
概観としてはまずはこちら↓
上演から3年近く経ったにも拘わらず、脳髄に鮮烈に刻み付けられているこの作品の破壊力。配信を見て、また現前してきました。
そこで、当時書きかけたけれど完成しきれず時間が経ってしまった劇評を引っ張り出してきて、加筆修正することにしました。
当時の所感をそのまま残している部分も多いので、今の私以上に拙い意見を書いている部分もあります。しかし、これが劇評を書き残すということの妙。
初めて観た時の熱量は、何もしなければ当たり前に薄れていってしまう。だけど、書き記しておいて何度も思い返したり多くの人と共有したりすることで、その場で消えてしまうものを使い捨てにはさせない。
そのためにも、私はこういうものを書いていたい。
どんなに幼稚だったり、人から見て馬鹿馬鹿しかったりしても、1ミリでも誰かや何かの役に立つことを願って、そして何よりも自分のために。
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あなたが劇場に赴く理由は何ですか?
私は、この『リチャード三世』の場合は、専ら佐々木蔵之介さん目当てでした。
ちなみに、蔵之介さんは私が美中年好きになってしまったきっかけの人。2008年の『ギラギラ』というドラマはご存じですか…?この作品は蔵之介さんの初主演ドラマ。当時10歳の私は、女性を癒す中年ホストを演じる蔵之介さんの大人の魅力の虜になったのでした。
ともあれ、そんな軽い気持ちで観に行った『リチャード三世』ですが、幕が上がった瞬間の衝撃たるや。これは心して観なければならないと悟りました。
いきなり目に飛び込んでくるのは、はだけた白のシャツと黒いパンツという現代風のいでたちで、ドラッグパーティーのように踊り狂う男たち。これがシェイクスピア…?!と度肝を抜かれました。
最初から、ものすごい瞬間に立ち会っているのではないかという高揚感。
演出は、 ルーマニアから招聘された鬼才、シルヴィウ・プルカレーテ。
イギリス人であるシェイクスピアの戯曲を、日本で、日本語を用い、日本人の俳優が、ルーマニア人の演出によって上演するという混沌とした国際色の面白さ。
全てが斬新でありながら、ただ奇をてらっただけではなく確かに存在する的確な意図が垣間見えて、その一つ一つに脱帽する。凄まじい衝撃と新しい表現の可能性を東京という土地で提示してくれました。
全体を通して、五感に訴える美の宝箱のような作品ですが、特に印象的なシーンや要素をいくつか挙げておきたいと思います。
①ラブシーンの官能
ほぼオールメール(全員男性)のキャスティングということは、この舞台を語るには不可欠なファクター。男同士であるからこそ溢れる色気に酔いしれる。
ここで言及しない訳にはいかないのが、リチャードがアン(手塚とおる)を誘惑するシーンがいかに魅力的だったか。
この作品でしばしば登場するハンドマイクがここでも登場し、アンに「奥さーん?」と囁きかけるリチャードの吐息が場内に響き渡る。痺れました。
何度か出てくるリチャードのがっつりキスシーン。相手の役の性別は問わず。劇場で観た時は距離があった分そこまでではなかったけれど、配信でアップの映像を観てその破壊力をダイレクトに受けると、思わず声を出してしまうほど。家で一人で深夜に観られるという環境がそうさせたのかもしれない。私は基本的に劇場での観劇至上主義だけど、こういう点は映像で観られて良かった…と思う。
そして忘れてはならないのが、リチャードが王位を手にしたシーン。「リチャード×玉座」と言っても過言ではないほどのラブシーンで王位に対する執着を表現するという発想に脱帽。
『リチャード三世』をモデルにした漫画『薔薇王の葬列』の作者・菅野文さんもお墨付きのツイート。
これが誇張じゃないんですよね…全く。
まるで女の股座をなぞるように、野性的に玉座と絡むリチャード。エロティックなだけではなくて、王位の刹那性に気付いてしまったための空虚さ、孤独で哀れな姿を晒します。事後の虚無感を彷彿とさせる感じ。人間の欲とその先って、種類に拘わらずこうなのか。
②慈しまずにはいられない悪党
私はこういう人間らしい愚かさとか弱さゆえに悪党になってしまうキャラクターが愛しくてたまりません(だからファウストも大好き。彼のことを悪党かというとちょっと議論の余地がありますが今回は割愛で)。
尋常ではない強欲さと残酷さで以て自らの王位への道を阻む可能性のある者は全て排除する。彼の足跡は血生臭い。
その一方で、人一倍の脆さを紙一重に持ち合わせている。常に危うく不安定な一人の男。私はこれがどんなに残忍な所業を犯しても、自己の弱さに震えているように見えてむしろ慈しみたいという気持ちになってしまいます。もちろん、現実でそんなことがまかり通るとは思っていなくて、心理描写の優れたフィクションとしてですが。
ともあれ、特に最後のシーンで破滅するリチャードが本当に美しい。「自分が死んでも誰も悲しんでくれない」と、愚かにも今更嘆く姿の哀れさを、私は究極の人間味だと思います。
「馬を!」というリチャードの声に呼応して、車椅子がどこからともなく滑ってくる。
玉座は最期には車椅子になった。彼は車椅子に腰かけて、有名な”A horse! a horse! my kingdom for a horse!”という台詞を「馬を、馬を、王国などくれてやる、馬を…」という日本語として、涙ながらに発する。
そして、何かを悟ったように乾いた笑いを漏らし、道化の赤鼻を付け、自らに銃を突き付けたまま、暗転。直後に銃声が響く。
シェイクスピアのテキストをこう読むのか、という驚愕を残して、幕。まんまと忘れられない上演にさせられました。
③「この世に思いを絶って死ね」木下順二訳
そして最後に、木下順二訳のリズムの良さを挙げておきます。
このことに関しては、リチャードが殺してきた人々の亡霊たちが口にする呪いの言葉" Despair and die! "の訳に集約してしまって良いと思います。普通に訳すならば「絶望して死ね」というところを、「この世に思いを絶って死ね」とするなんて、美しすぎます。
この4・4・5のリズムは、気持ちの良い語感になっていて耳に残りやすいんですね。『逃げるは恥だが役に立つ』なんてまさにそう。
しかも、この印象深い訳にメロディーを乗せてしまうという暴力によって、観客に鮮烈な記憶を残します。
特に最もリチャードの近くにいたバッキンガム(山中崇)の絞り出すような呪いの叫びにはぞくぞくします。恨みという恨みが込められたその声が、耳にこびりついて離れません。
このように、視覚的にも聴覚的にも刺激的な演出を施されて再生した『リチャード三世』は、その演出に耐えうるだけの実力派俳優陣が揃ったからこそ実現した奇跡だと思います。もちろん、言及できなかった他の俳優たちも震え上がるほどの怪演でした。本当に素晴らしい。音楽も衣装も照明も全ての要素に言えることですが、舞台芸術というものは様々な刹那的な「業」の凝縮なのだなと改めて実感します。劇場から数か月離れている今だからこそ、強く。
山﨑健太さんのレビュー
これを加筆するにあたって、少し他の方のレビューをいくつか読んだのですが、その中でも山﨑健太さんのレビューがとても興味深かったのでここに一部を紹介させていただきます。
後にリチャード三世と呼ばれる彼は生まれつき片脚が短く、醜い男だということになっている。だが、後にリチャード三世と呼ばれる彼は生まれつき片脚が短く、醜い男だということになっている。だが、佐々木演じるリチャードは戯曲の描写以上に異様な存在感を発していた。ときに足に障害などないかのようにすっくと立ち、かと思えば頭が腰より下に来るほどに背の曲がった姿で歩き回る。ぐねぐねと変形し続ける体は抑えきれない欲望の激しさを表わすかのようだ。
歴史上ではともかく、シェイクスピアの作品上では不具ということになっているリチャード。背中にこぶができたり腹部が餓鬼のように膨らんでいたり、背中を丸めて杖をついて歩いたりと、奇妙な身体の部分が変化することに疑問は持ったものの、このように激しく変形し続ける彼の身体から滲み出る内面性までも説明できるなんて…!考えが及びませんでした。これだから誰かの評を読むのは面白すぎる。
人々を圧するかのように低い位置に吊るされた照明に手術室を連想すれば、リチャードによって殺された人々の死体がストレッチャーに載せられて登場する。衝撃的なことに、ストレッチャーはそのまま食卓へも転じてしまう。生も死も同じテーブルの上に載る肉の問題に過ぎないとでも言うように。
生と死って、相反するもののようで、実は似ていて非常に近いものだということを論理的に表現した舞台だったのかと改めて感じた一節でした。
全編を通して死の香りばかりの題材だと思っていたけど、逆説的に、食や性的なエネルギーを介する部分は生を強く意識させられるということに気付きました。演出家や俳優や観客、そして批評家がそれぞれに解釈することによって、作品の持つ意味もその度アップデートしていけるのが演劇の面白さですよね。
こんな素晴らしい作品が生まれ直した瞬間に立ち会えたことを、本当に嬉しく思います。
時々こういう瞬間に出会えるから救われます。同時にフィクションそのものの内部やそれを取り巻く世界への欲求も強くなってフラストレーションも感じますが。でもそんな作品に何度も出会うことが出来て、これからも出会おうとしている私は本当は幸福なのかもしれないとは思います。
プルカレーテ作品がまた芸劇で観られる…!
プルカレーテと言えば、この秋に同じく東京芸術劇場プレイハウスで、『真夏の夜の夢』を上演することが決まりましたね。
『リチャード三世』に出演していたキャストも多いようです。今度はどんな姿に変貌してどんな世界が繰り広げられるのだろう…!と期待が膨らみます。チケット取れるかな…。
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