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公務員を辞め、勉強カフェを札幌ではじめたわけ(①20代劇団員時代〜30代教員時代)

私は元々北海道上川郡にある小さな町、剣淵町(けんぶちちょう)というところで生まれ育ちました。(「絵本の町」剣淵、いい町です。http://www.kembuchi-kankou.com)

高校は、地元から車で1時間ほど離れた旭川市の高校に通い、その後大阪の大学に進学しました。社会人となり、大阪で20年以上暮らしてきましたが、今年2020年に公務員(市役所での行政職)を辞め、札幌で勉強カフェを始めることにしました。

私は元々公務員ではなく、20代は劇団で演劇をしていました。本気で「演劇で飯を食う」ことを目指し、6畳一間に劇団員と共同生活をしながら絵に描いたような貧乏劇団員をしていました。台本を読み込んだり、役作りのために様々な資料を調べたり、様々勉強が必要でしたが、貧乏だったので基本的にはファーストフード店や、時には駅の構内にずーっとい続けることもありました。24時間明るいですから。30代になった頃、劇団員がそれぞれの道に進み始め、劇団が解散するかどうかという頃、自分の子ども好きの性分がむくむくと湧き上がってきました。劇団で子ども向けの演劇教室をしたり、大学生の頃塾講師をしていた経験が思い出され「自分は子どもと接している時めちゃわくわくしているなぁ」と気づき、教員免許取得のための勉強を開始しました。そうして、劇団員をしながらやっていた人材派遣会社(営業兼コーディネーター)の仕事を継続しながら、少しずつ、少しずつ勉強をしていきました。

その際、仕事をしながら勉強する上で最も高いハードルになると感じたのは

①モチベーションの維持

②目標達成までの計画管理

この2点でした。目標達成するために必要なこの2要素が、一人でいると崩れやすくなります。大学受験の際、予備校に通いましたが、予備校や塾はこれらを全て管理してくれるので、成功率がぐっと上がります。結局はその部分にかかるサービスにお金を支払っているところが大きいなと思いました。仕事終わりにファミリーレストランで勉強をしたり、週末もカフェにいったりしながら、結局3年かかって免許を取得しました。

晴れてスタートした教員生活、教科は中学の英語。昨今、世間では教員のブラックぶりが騒がれていますが、あれ本当です(笑)。一年目、冗談抜きで死ぬかと思いました。授業の準備、クラスのこと、部活のこと、それ以外の学校全体に関わる仕事等、わからないことだらけなのに、聞く人がいない・・・。連日午前様でした。でも、しんどかったのに、不幸せかというと全くそうではなく、むしろ生徒たちと過ごせることが本当に楽しかった。教師ってこういう状態ですね。しんどいことがたくさんあるのに、生徒との関わりであればやっちゃう。そんな教員生活が6年ほど続きました。そこで民間企業から学校という組織の中へ入り、気づいたことがあります。それは

「教師は叱られない」

基本的に教員は職人のようなものなので、あまり他人のやり方に口を出しません。出しにくいんです。それぞれが思う「子こどものために正しい」と思うことをやっているからです。だから「叱られない」。運良く面倒見のいい先輩教員や、管理職の元で働けた教員は注意をしてもらえたり、叱ってもらえますが、それがなければ基本放ったらかしです。(※法律で定められた基本的な研修はありますが・・・)そこでどういうことが起こるかというと

「自分のやり方」を捨ててアップデートしにくい

自分から能動的に新しい情報を取りにいかなければ、自分のやり方をアップデートすることがないんですね。何年もずっと教え方が同じ先生、いませんでしたか?また、恐ろしいことに、生徒が結果を出せなければ、生徒のせいにすることができます。「言われた通りきちんとやらなかった」「授業をきちんと聞かなかった」ということで・・・。そんな状況を何度も目の当たりにした私は、自分自身にルールを課しました。どんなに忙しくでも必ず月に1冊以上は仕事に関わる本を読む。そして常に最新の方法を研究し、生徒にとって最適な授業を提供する、と。そのため機械的にアマゾンで本を買うということを続けました。自分が提供する授業や、発する言葉、生徒に渡すプリント類は全て「自分の商品」だと思って最高品質のものを提供するよう心がけていました。だって、教員にとっては多くの生徒のうちの一人でも、生徒たちにとっては、一生に一度だけの中学校生活で出会う唯一の先生です。その先生がいわゆる「ハズレ」だったら・・・?そう思うと手抜きなどできませんでした。今自分ができる最高の努力をもって、最高品質のサービス(授業)を提供するしかない!そう思って研究する日々を送っていました。何かを教えるため(アウトプットする)には、それの何倍もの勉強(インプット)がなければならない。そのため、勉強を続けなければなりませんでした。


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