見出し画像

公務員を辞め、勉強カフェを札幌ではじめたわけ(②30代教員時代〜教育委員会時代)

劇団員時代も、教員時代も必要に迫られて勉強をしていましたが、勉強自体は嫌いではありませんでした。むしろ自分自身が成長することに心地よさを感じていた部分がありました。昨日まで知らなかったことがわかるようになる、できなかったことができるようになる、自分自身が成長=変化していることが楽しかったんだと思います。

しかし、勉強場所には日々困っていました。教員時代、印刷やカード作成など、学校でできる作業だけ先にやってしまい、自分のノートパソコンでできる作業を持ち帰り、近所のカフェなどに駆け込みました。時間によっては座席が空いておらず、空席を求めてカフェやファーストフード店をしょっちゅうさ迷いました。自分の頭の中には勉強場所マップができあがっており、ここにはスタバ、ここにはマクド、ここにはサンマルク、あそこにはコメダ・・・と。そして、あそこの店は比較的空いてるけど騒がしいとか、あそこは落ち着いてるけどWi-Fiが飛んでないとか、理想的な勉強場所を確保するのに必死でした。

教員生活6年目を終えようとする頃、ある日校長から「渡邊先生、ちょっと…」と呼ばれました。「あ、転勤かな」と思い、校長室のソファーに校長と向かい合わせに腰をかけると「渡邊先生、教育委員会にっていう話が来てるんだけど…」「は…?他校に転勤じゃなくて…?」この時は、再び学校現場に戻ってくるつもりでいたので「まあ2〜3年の修行期間かな」くらいの気持ちでしたが、今になって思えば、これで僕の教員生活が終了したわけで、なかなかに大きな決断だったように思います。

教育委員会への異動と勉強の日々

こうして教員から、市の教育委員会へ異動となり「指導主事」という役割を担うことになりました。「指導主事」という言葉は、世間ではあまり馴染みがないと思いますが、ざっくりいうと、学校に対して指導・助言をする役割を持った人です。学校からは基本的に煙たがられます(笑)。指導主事が学校や教員、市民さんに向かって発した言葉は全て「教育委員会が◯◯と言った」と捉えられます。それゆえ、常に関係法令や国や都道府県からの指示・通知を頭に入れておかなければなりません。特に担当業務が英語教育だったので、ここ数年、本当にいろいろなことが新たに行われ、それにともなう国の方針等を細かくフォローしておかなければならない状況でした。加えて、学校現場に戻る際に必要な管理職試験(教頭先生になるための試験)も受験しなければならなくなり、さらに勉強を要する状況になっていき、カフェ通いはほぼ日課になっていました。

教育委員会に異動になり、元同僚の先生から「教育委員会って忙しい?」とよく聞かれました。返事は「YES」。教員時代とどっちが忙しいかと聞かれると、拘束時間だけでいえば、それほど変わらないという感覚でした。しかし、仕事のスパンと種類が全く異なります。学校での仕事のスパンは基本的に1週間単位、教育委員会での仕事のスパンは、数週間〜数ヶ月単位のものを多数抱えるという状態で、皿回しをいくつも同時にこなしているような感じです。上司はそれを「作りかけのプラモデルをいくつも持ってる感じや」と表現していました。そこに市民さんからの苦情・問い合わせや、学校での事故やいじめ問題、上司からの指示の流れ弾(笑)など、緊急を要する案件が同時多発的にやってくることがよくあったため、市役所の中で最も残業の多い部署として、異動したくない部署ワースト1になってたとかどうとか…。それでも勉強はしなくてはならず、時間を見つけてはカフェに駆け込み、資料を読み込み、まとめ、あわせて試験勉強をする、そんな教育委員会での生活が4年間続きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?