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【エッセー】萩焼・登り窯に住む仙人

今回の旅のメインディッシュ・萩。萩焼の里を巡った。

まず個人的にお恥ずかしながら、萩についてほぼ何も知らず、萩といえば「地方の地方」みたいなイメージがあったけど、江戸時代に長州藩(今の山口県)の中心は萩であったそうだ。幕末になり藩庁が今の山口市に移った(それもいわくつき?)が、その幕末に生まれた萩の志士達(吉田松陰・高杉晋作・伊藤博文ら)が後の明治政府に多大な影響を与えたのは誰もが一度は耳にしたことあるはず。

萩焼はこうして江戸時代に萩が長州藩の中心だった頃、藩主の命で朝鮮から渡ってきた(連れてこられた)焼き物̪̪師達が起源。ということで調べれば調べるほどかなり文化的な萩。わくわく。

調べると様々な窯元があった。

最初、観光地(萩城跡周辺など)によくある器屋さんを何軒か見てまわったがどこも30秒で見終わった。

別に自分の目が”肥えている”とは思わないが、なんていうか思い入れのないお土産店というか、それは店員さんのサービスもそうだし、昔からそこでやっているから今もやっていて、昔から器屋さんから買い付けているからそこに器があって、ぐらいの感じ。全然キュンとこなかった。”観光地あるある”。

調べると萩の中心地から離れたところにもまだいくつか窯元があるよう。何軒かまわったが、やはりまだ”当たり”には巡り合えない・・・

焼き物も”好み”なので萩焼が僕の好みにピンと来ないだけであればもちろんそれでもいいと思っている。ピンと来ないものを記念に買う必要もない。僕は応接室に飾る器でなく、自分で使う器を探しているのだから。

ネットを駆使すると更に離れた場所にひとつ窯元を見つけた。口コミも少なく不安は残るが思い切って電話をしてみたら「今日は午後13時からやってますよ」と言われた。

実は隣の長門市にうまそうな中華屋ランチを見つけて、今日はそこに行こうかと思っていた。アタリハズレのわからない窯元に行くか(ヘタしたらまた30秒で終わる・・・!)、口コミのよい天津飯に向かうか(そこの営業時間がまたクソ短い・・・!)。時間は限られている。

一瞬、天津飯の口になったが、窯元に車を走らせた。

平野の先にある名前も知らない山へ、ナビが導く。

着いてみると、そこはまさに山と平野の境。その斜面に築かれた土造りの登り窯。そう、これこれ!と、胸が高鳴る。

思えば前日から続いていた大雨予報も見事にはずれ、夏の太陽がじりじりと肌を焼く。潤った大地からは湿気がむんむんと迫る。まさに日本の夏の上に立っている。

工房らしき棟とギャラリーらしき小屋があったのでギャラリーに入ってみると二人ほどスタッフさんを見つけ「先ほどお電話したものなんですが・・・」と言うと『どうぞどうぞ。よくこんなところまでいらしてくださいました』と丁寧にご挨拶してくださった。

決して大きなギャラリー(というか小屋)ではないが、開け放しの入り口から土足で踏み入れ、色とりどりの作品が整然と並べられているところを一瞬俯瞰しただけでも、心が躍る・・・!エアコンもない。窓も全開。土から出てきた器達が、綺麗になって、棚に並んでいるだけのシンプルな造り。風が入り、虫が飛ぶ。いい。

ぐるりと全体の作風を見ただけでもすてき。さらに足が伸びる。手が伸びる。

とそこへスタッフのおひとりが「上にも二つほどギャラリーがございます」と声をかけてくださり、開け放しの窓から外を見るとどうやらその斜面の上に小屋がまだ二つほどあるようだ。ほぅ・・・

そこはより整然としていて色味もデザインも少し重厚。場所も”上”であることからきっとより値段が上がるんだろうなと察する。でもそれらもとても素晴らしく、ざっと3周ほどし、どうせお客さんも他にいないし何かを買う気ではいたので、気に入った数点を脇のテーブルに置き、後で下のスタッフさんにサイズや値段など確認しようと思った。

うーん、この時点で素晴らしい。更に上を目指す。

再び外に出、昼下がりの力強い光が差し込む登り窯の横の階段を上ると、最上部の小屋が見えてきたが、どうやらそれは”小屋”ではなく”母屋”のような様相・・・!?緑に囲まれた中に大きな平屋建ての一軒家のようなものがどーんと現れる。

ガラス越しに外からも見える二十畳程もありそうな大きな角部屋の和室。そこに贅沢に並べられた大小器の数々。掛け軸。ここで大丈夫か?いやもう後には引けない。

そこにはさっきまでの開け放しのギャラリーとはうって変わり、しっかり閉じられた玄関がお出迎え。看板も案内もなく恐る恐る「こんにちは。失礼します」と開くと、奥から『はーい』という女性の声が聞こえた。

出てきた女性は一瞬びっくりし、『あらあら、頼んでいたお米屋さんかと思いましたわ(笑)失礼しました』と言われ、僕もこの玄関?でよかったのかな?とキョトンとしながら「器を見させて頂きたいのですが・・・」と言うと『どうぞどうぞ、散らかってますけど』と先ほど外から見えていた明け透けの大和室に通してくださった。

もうそこが天国のように素晴らしく、日の光、器、ガラス戸、畳の香り・・・たしかに常にお客さんを迎え入れるような整然さはあまりなかったけど、先ほど下ではみなかったような大皿から、巨木?のようなお皿(というかオブジェ?)まで、それは「器」というより『作品』。そこへ米屋が現れて、女性と、あらあらどうも、などと会話が始まったのでその女性は僕に『どうぞごゆっくり』と言い、奥に戻っていった。僕は「はい」と言い、その作品を一点一点愛で、触り、戻し、また触れ、違う場所に置き、あらゆる角度から見、中を覗き込んだりして楽しんだ。

にしても値札があったりなかったりするのが怖い。何点か素敵な大皿を見つけたが値札がなく、それより小さいサイズの似たような作品でも二万園などと書いてあって、あー、やっぱりそれくらいするよなあ・・・と思いながら、「いいものを見させてもらった。まだまだここまで”上”の場所には程遠い・・・下の二つのギャラリーから手の届くものを買って帰ろう」と囁く。

じっくり見させてもらった後、奥の女性に「すいません、ありがとうございました」と挨拶にだけ行くと『あら、こっちにもいくつかありますわよ。御覧になりました?』と開け放しの別の和室を紹介された。(基本的に館内は全て開け放しではあった)

それならと思い、また別の大和室(基本的に日本家屋)、洋風に言うとLDKにおけるLとDがくっついたような大きな部屋に通された。そこには更に多くの『作品』、本棚には本がびっしり、巨木のようなダイニングテーブル、キッチンにはおしゃれな一直線のカウンターキッチンが見え、そこにおじさんが二人座ってお喋りしていた。

きっと二人とも米屋の人か近所のおっさんだろうと思って、向こうもこちらを気にしていない感じだったので形式的に軽く会釈だけして作品を見ていると、突然、そのうちのひとりのおじさんが寄ってきて、喋りかけてきた。

何を突破口に喋ったのかあとになっても思い出せないが、キッチンに座る後ろ姿ではわかならなかったが、目の前にすっと立たれるとその人はまさにひょろっとした”アーティスト的風貌”だった。もしや?

ただ、女性スタッフも特にその人を紹介することもなく本物の”米屋”さんと『そういえば娘さんお元気?お孫さんは学校どう?』などとたわいもない会話を続け、その”アーティスト的”なおじさんからもなんの自己紹介もなく、どうしたものかと思った。(「作家さんですか?」とストレートに聞いてもよかったが、実は僕が知らないだけで、超有名人で、機嫌を損ねられても嫌だったし、なんとなく会話を続けた。)

でも、なんていうのかな。僕もいろんな人とコミュニケーションしてきたけど、俗世ではなかなかない感じの会話をする。うまくキャッチボールができているのかわからない感じ。実際にそういう会話をしたわけではないけど「今日は天気がいいですね」と言ったら『空が私を呼んでいるからね』と返ってくるような感じ。あれ?天気の話をしてるのかな?空の話をしているのかな?精神的な話をしているのかな?と分からなくなる感じ。

その時点で十中八九、アーティスト。が、まだ確信はない。

彼はさっき僕がある作品をまじまじと見ていたのを見ていたようで、『それならこっちの画集にのっとるわい。いつやったかな・・・』などと僕に向けて超分厚い画集をボンっと巨木テーブルに乗せただけで、えー、ここからこの作品を見つけるの!?と戸惑いながらも、何かを見せようとはしてくれている。

僕がやっとその作品を見つけ「ありました!」と言うと、彼は次は窓際にある矢印型の大きなオブジェを指し『これはなぁ、ニューヨークに持っていっとったときに割れたから修復したんよ。ほら、ここが・・・』などと語りかける。

僕がAを見つけた時には彼はBのことを考え、僕がBを考えているとCという宿題を出してくる。

ついていくのが若干大変だけど、それでも悪気ないのが伝わってくるし、決していやらしくなく、ここある作品を見てほしい・感じてほしいということなのだろう。

次は『あの茶室は見たか!?』と突然言われ「いえ、まだです・・」と言うと、別の部屋に通してくれた。

彼が作った(?)という茶室

細部まで全部見せてくれた。

天井は酒樽を解体して作った(?)とか、生け花を止めておくのに滑車を使っている(剣山の代わり?)とか、実家で室町時代の厨子を見つけた(!?)けど壊れていたから直してそこに飾ってあるとか、とにかくひとつひとつのこだわりをほくほくと見せてくださった。聞き手がこんな知識浅の僕でいいのかな?という疑問をずっと抱きながらも、楽しそうな姿を見ているのはこちらも楽しかったし、そのころには口コミのよい天津飯のこともすっかり忘れていた。細部を見るときっと本物なんだろうとこちらも思えたし、本物をしかも解説付きで見れる、しかもタダで。貴重な時間である。

で、結局、そのおっさんが何者なのか結局よくわからなかいままだったので、思い切って「あの作品が好きです」と最初に見つけた大皿のことに触れたら『ああ、あれか』と言われ、やっとそれなりの会話のキャッチボールが成立した。(笑)

僕が「これです、というかこのへんの何点かの作品がとっても好きです。この色味とか形状とか。この色は焼窯での炎の加減でこうなるんですか?」とやっとの思いでそれっぽい質問をしたら『あーそうそう、これはいつ”作った”やつだったかな?』と言ってくださった。

やっぱり貴方が主か?!創造主か?!!

・・・やっと確信を得られた。

そこからやっと僕のペースに乗せることができ、聞きたいことを聞き出し、そして最終的にはその大皿の購入を決めた

『これいつ作ったやつかな?さっきの画集になかったかな?どれどれ・・・あー、もう最後の一点だし揃って出せないけど、それでもよかったら半額でいいよ』と言われたので、すかさず購入。

器は出逢いもの。気に入ったらすかさず買う。特に大皿は。価値は自分が決める。(小皿は正直どこでも買えるし”つぶし”がきくけど、気に入る大皿にはなかなか出逢えないし、値も張る。失敗したくない。ちなみに先ほど僕はちゃんと画集で似たような作品を見つけたが三脚で二十万園ほどしていた。が、ちゃんと値段交渉もできかなり安く買えた。大満足。)

仙人からの直々のプレゼン。最後まで何者かよくわからなかったが、最後にコシノジュンコ氏からの手書きの手紙(コピー)をくれた。(よっぽど嬉しかったのだろう。笑)

誰の作品だからというわけでなく僕はその作品が気に入った。電気釜でなく登り窯の炎を感じられる大地の作品。いい買い物をした。ありがとうございます、創造主様。

気づけば仙人の里で数時間を過ごしてしまっていた。一人旅のいい時間。誰にも邪魔されない時間。仙人との二人だけの、少しピリッとした時間。

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