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ノスタルジック・アディカウント #19

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 俺たちは、家を出た。
 『音乃』もくっついてきた。足も傷めてるし今はおじさんとゆっくり話したほうがいいんじゃないかと言ったのだけれど、彼女は静かに首を振って、送ります、と答えた。

 ののと『音乃』が肩を並べ、俺と『俺』が前を歩く。

 会話はなかった。

 『俺』を横目で窺うと、口元を手の甲でおさえたまま黙々と歩いている。
 痛みを、引きずるようにして。
 どう声を掛けたらいいのかわからなかった。

「――これ。ありがと、助かった」

 とりあえず、預かっていた携帯を差しだした。
 少しだけ顔を上げた『俺』が昏い瞳を向けてくる。

「……大丈夫か?」

 とたん、手がはじかれた。後ろに飛んでいった携帯が、がちん、と嫌な音を立てて――『音乃』の足下に、落ちた。
 おい、と咎めようとした俺の声を遮って。

「自業自得だって思ってんだろ」

 それは、『音乃』に向けられた刃だった。

「ちょっとはすっきりしたかよ」
「やめろって。『音乃』は――」

 止めようと伸ばした手が、また強く、はねのけられる。

「わかってんだよ!」

 まさしくさけびだった。

 唐突な感情の発露。

 戸惑った。
 なにも、できなくなってしまう。
 動くことも、言葉を掛けることも、なにも。

 彼の目にはうっすらと涙がにじんでいる。肩はとがり、握った拳はふるえていた。堰を切ったように、声が、言葉がほとばしる。

「わかってるよ、俺だって。酷いこと言ったって。傷つけたって。でもしょうがなかったんだよ」

 あのときは――ああするしか――俺だって――、整理しきれない言葉の数々が、『俺』の口から吐き出されていく。

「こんなことになるなんて思わねぇだろ!」

 すべてを叩きつけるように叫んだ『俺』が、その場に、うずくまる。

 ケイくん――と、同情的なののの声。

「だれも、ケイくんのせいだなんて思ってないよ」

 そう――そうだ。
 原因のひとつ、引金のひとつではあったのかもしれないけれど。『音乃』自身が犯した過ちだってある。彼女の父親も、『音乃』本人だってそう言っていた。

 けれど、『俺』は顔をあげようとはしなかった。

 俺はののを振り返った。
 ののは悲しそうな顔をして、『音乃』に寄り添い、『俺』を見つめている。

 俺は、うずくまる『俺』のそばにしゃがんだ。

 それに気づいたのかはわからない。が、『俺』は微かに背中を痙攣させると、おされるように、うめくように声を発した。

「――謝ろうと、思ったよ」

 膝を抱え、腕のなかに顔を伏せている。言葉がくぐもっている。

「でも深山、学校来ねぇし。中学になっても……来なかったし。一度おまえんち行ったけど――中から、おじさんたちのケンカの声とか、すげぇ聞こえてきて。あとで、離婚したこと、うわさで聞いて」

 口を挟むものは、ない。

「石野も、ほかの奴らもみんな、深山のこと忘れたみたいになって、だから俺も忘れようとして。熱中できるもん探したけど――」

 ――ああ、そうか。
 中学に入ってから始めたという、音楽。バンド活動。

「でも、どうしても……頭のどっかで声がするんだよ。『おまえのせいだ』って。あのときの深山の顔が――ずたぼろになったおまえの顔が――こびりついて、離れなかった」

 ケイくん――とののが泣きそうな声をだす。

 俺は、『俺』のかたい背中に手をやった。
 ここまで思い詰めていたとは――自責の念に苛まれていたとは、思わなかった。気がつかなかった。もっと単純な――そう、罪悪感からただ目を背けているだけなのだと、そう思っていた。

 けれど、考えてみれば――

 彼は〈俺〉なのだ。

 〈俺〉であり、相手は〈のの〉で、だから――。

 ふと、影が落ちた。
 目を上げると、『音乃』がすぐそばに立っていた。膝を腕でくるむようにして、『俺』の前にしゃがむ。

「私は、あなたの――」

 『音乃』は一度口をつぐんで、言い直した。

「佳くんのせいだと思ったことは、いちども、ないよ」

 ぎこちなく言って、顔をあげた『俺』にぎこちなく笑む。
 初めて――いや、久しぶりにというべきなのか、二人の視線が静かにまじわる。

 『俺』はふたたび腕のなかに顔をうずめた。
 そうして背中をふるわせながら、ごめん、と小さな声で謝った。



 駅に向かう。今日は時間も合わせて乗ってみる――そういえば今朝、そんな話をしたんだったか。なんだか遠い過去のように思えてしまう。

 旅なんて、修学旅行か両親の実家に二、三日泊まるくらいしか経験がないけれど、たとえば一週間なり旅行にいって、家路につこうとした瞬間(とき)に――もしかしたらこうした疲労感と、こんなふうな寂寥感をおぼえたりするのだろうか。そんなことを、ふと考えた。

「……見慣れちゃったね」

 隣を歩くののが呟くようにして言った。
 藍色の濃い夜の風景も、いつのまにか目に馴染んでいる。きっと、ののもそうなのだろう。

「向こう帰ったら、逆に違和感おぼえるかもな」
「二日しかいなかったのにね」

 不思議と、帰れるという確信があった。

 後ろを振り返る。ののも振り返る。
 『俺』と『音乃』は微妙な距離を保ちながら、互いに無言で、それでも並んで歩いている。二人とも駅まで見送ると言ってくれた。

 俺たちは――顔を見合わせることなく、正面を向いた。

 いつもどおりの温度でいつもどおりに話してはいるけれど、妙な気まずさは残っている。
 『俺』の家で、ののにぶつけてしまった言葉について、俺は説明も弁解もしていない。あのときの感情を俺自身が〈思考〉できていないのだ。どういう感情からきたものか――わかっては、いるのだけれど。

 説明するには暈さなければいけない。
 暈してなお、ののを納得させられるそれらしい説明を組み立てなければならない。

 それには少し――時間が掛かる。

 ののが触れずにいてくれるのが、ありがたかった。

 駅についた。
 しとしとと音のない雨が降りだして、湿り気を帯びた夜はまた少し、濃くなった。

 改札の前で、あらためて向き直る。
 姿の違う、『俺たち』に。

「――じゃあ。ふたりとも、元気でね」

 ののは一歩前に出て、軽く肩を持ちあげながら頭をすこし傾けた。雨を含んだ栗色の髪が、背中で緩く波を打つ。

「あの」

 『音乃』が手をもじつかせた。言いにくそうに目を逸らす。

「……すみませんでした、その、いろいろと」

 ううん、とののは首を振る。

「のののほうこそ――嫌な態度、いっぱいとった。本当は仲良くできたらよかったんだけど。ごめんね」

 いえ、と今度は『音乃』が首を振る。

「悪いのは、私ですから」

 するとののはさらに一歩進み出て、『音乃』の頬を両手でつつんだ。

「おたがいさま。ね?」

 ぐしゃぐしゃの前髪を横に流すように指で梳く。
 驚いている『音乃』の瞳があらわれる。

「前髪、あげたほうが可愛いよ。ぜったい」
「……同じ顔です」
「だから言ってるの」
「……あなたって人は」

 『音乃』は苦笑した。
 笑むのではなく、笑う姿を――俺はたぶん、初めて見た。

 むかしみぃちゃんに言われたんだけどねじつは、といまさら照れて付け加え、ののもはにかむようにして笑う。本当に――双子の姉妹みたいに、なった。

 それを眺めていた『俺』が、こちらに顔を向けた。
 正面から見ると、殴られたところが腫れあがっていて痛々しい。それでも『俺』は――さっき見せた悲愴な姿などまるでなかったかのように、澄ました顔で「じゃあな」とだけ言った。俺も「ああ」と短く応じる。

「……バンド、がんばれよ」

 きっかけはどうあれ、せっかく熱中できる趣味があるのなら――。
 『俺』は眉を下げて少し笑うと、おう、とくすぐったそうに頷いた。

「もし帰れなかったら、また泊めてやるよ。夜食のカップめんくらいしか食わせてやれねぇけどな。……痛(つ)」

 に、と笑ってすぐに顔をしかめる。腫れた頬に響いたらしい。手の甲をあて、逡巡するように瞳を揺らすと、ふと真面目な顔つきになって、

「――おまえはさ、間違えんなよ」

 瞳を合わさないまま、言った。

「……気をつける」

 としか――答えられなかった。

 ののと目が合った。
 俺たちは言葉を挟むことなく、じゃあ、と二人に声を掛けて。ののは小さく手を振って。
 明るすぎる白色灯で浮かび上がった駅構内へ――入った。



 電車は驚くほど空いていた。

 俺たちは並んで座席に腰掛けた。

 電車がゆっくりと走りだす。

 微かな振動。鈍い走行音がごとごとと、静止画みたいな車内に時を添える。

 向かいの車窓に映るのの。
 いま、どこを見ているのだろうか。なにを思っているのだろう。

 俺の中ではなにひとつ、〈もっともらしい思考〉はできていない。

 でも。
 道を間違ってはいけないのだ。

 けれど。
 あるがままを、はたして俺は、うまく伝えることができるのだろうか。

 伝えていいのか。

 伝えることで俺自身が、――懸命に保ってきた、守ってきた俺自身が――。

「佳くん」

 ののの頭が、肩に乗った。
 俺は窓に映るののを見る。

 いま、ののは――。

「ののね」

 やわらかな声で、ののが言う。


「のの、ほんとうはね、ずっと――」


 急な眠気に、襲われた。



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