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ノスタルジック・アディカウント #1


<人はみな、己の人生を導く術を持っている。

 ただし自己を操ることは不可能である。

 人間を支配しているのは心という魔物である>


   *   *


 記憶を游ぐというのは、こういう感覚なのだろうか。

 私は卵を斜めにしたような黒い楕円の機械の中で――眼前に映しだされてゆく〈私の記憶の逆再生〉を他人のように眺めながら――ぼんやりと、そんなことを考えていた。

 寿命が延び、多少の衰えはあるにしろ八十余年を過ぎてもいまだ現役。いつのまにか、それが当たり前になっていた。

 私の学生時代のころには考えられない、人の進化。
 ――技術の進化か。
 いや、それを踏まえての人の進化か。
 もぐりとはいえ、こんなことまでできるようになったのだから。

 記憶の逆再生が止まった。

 映っているのは、〈彼女〉の遺影。

 私の立てた、不格好に傾いた線香。霞のような煙が揺蕩っている。
 映像なのに、においまで――感じ取れそうだった。

『座標はコレの、……ええと、三か月前でしたかね』

 男の軽薄な声が、耳に這入りこんでくる。

 はい、と私は答えた。

 とたんに、視界いっぱいに広がっていた私の記憶がぎゅっと縮んだ。数多の画像が一気に並ぶ。

 どこにします、と男の声がする。

 私はその中から〈彼女らしき人物〉が屈託なく笑っているものをひとつ、選んだ。

 他の画像が消え、遺影の彼女と笑顔の彼女が、二つならんで拡大される。

 ふたたび逆再生が始まった。
 そしてまったく同じアングル、同じ映像になったところで――停止する。

『ここだ』

 男の軽薄な声が、耳に這入りこんでくる。

『ここをリンクさせますんで。これで良けりゃあこの同意書にサインしてください』

 今度はその同意書とやらが視界いっぱいに表示された。

 白い画面。黒く細い文字。
 目がちかちかする。

 そこには、結果は保証できない、脳に異常をきたす恐れがあるが一切責任をもたない、一人につき一度のみでやり直しは不可である――といったようなことが書かれていた。事前に受けた説明を要約したものである。

 私は手元のパネルに指を滑らせた。
 画面の同意書に、私のサインが書きこまれていく。

『はい、オーケーですね。じゃ、いきますよ』

 煙のようなガスが両脇から噴射された。

 強い眠気に――襲われた。


   *   *


 ののが信号を待っている。

 ののは昔からそうなのだ。車の通りのほとんどない交差点でも、青信号が点滅すればぴたりと止まり、赤から青に戻るのを、ただひたすらに、じっと待つ。

 チョコレート色のランドセル。
 高い位置でふたつに結ったやわらかそうな黒い髪。
 ヘアゴムについた花飾りは、朝はちゃんと正面を向いているのに、下校時にはいつのまにか後ろを向いてしまっている。

 ののは、いつもそうだった。

 俺は、当時仲のよかった三人のクラスメイトと帰っている。くだらないことではしゃぎながら。

 ののの後ろ姿を見つけた一人が、にやにや笑って俺を見た。ほかの二人もにやにやした。いきなり三人が駆けだした。俺も慌てて追いかけた。

 信号が、青に変わった。

 深山(みやま)、ひもほどけてるよ――。

 追い抜きざまに、一人が言った。

 ののは靴紐を直そうと腰を折る。
 とたんにチョコレート色のランドセルがぱっかりと口をあけ、教科書やノート、筆箱や――いろんなものを勢いよく、アスファルトに吐き出した。

 信号を渡り切ったクラスメイトたちが、こっちを見て笑っている。

 慌てて拾うののの隣で、俺は足を止めた。

 佳(けい)、さき行くぞ――。

 ちょっと待って、と――俺は言うはずだった。
 いや、少なくとも記憶の中では、俺はたしかにそう言った。

 けれど。

 待ってよ――。

 俺はののから視線を外して、彼らのもとに走っていく。
 一度も振り返ることはせず――。


   *   *


 気づけば、降車駅だった。

 車両ドアはすでに口をあけていて、閉まります、とベル音を響かせている。座っていた俺は足の間に置いてあったスクールバッグを引っ掴み、大急ぎでホームに降りた。

 ――いつのまに寝ていたのか。

 学校から自宅の最寄り駅まで乗り継ぎ一回、乗り換えてからたったの四駅。だというのに、寝ていた――というかほとんど爆睡していたらしい。こんなことは初めてだった。

 頭がやけにぼうっとする。
 寝起きだからか。

 掛けていた眼鏡をはずしてかすむ目をこすりながら、ぼんやりホームを見まわした。

 漠然とした違和感が、あった。

 ひやりと頬を撫でていく十二月の風は、雨をふくんでいるかのように濡れている。
 夜が濃い。藍色が強い。
 乳白色のホームドアが、やけにまぶしく感じる。

 目がちかちかする。

 もう一度指でこすって、眼鏡を掛け直す。
 見慣れた風景であるはずなのに、やっぱり、なんだか違って見える――ような気がする。

 違うとはっきり言いきれない、些細な違和感。
 やっぱり漠然としている。

 これも寝起きのせいなのか。

 首を振って、ぼうっとする頭に覚醒を促す。
 違和感の理由を探りながら、改札へと足を向ける。ホームのど真ん中で立ち尽くしていたって仕方がない。

 駅名のプレートを横目に見る。
 ホームから見える町の景色に目をやる。

 なにひとつ、違っていない。
 けれど――。

 ――なんなんだ、気色の悪い。

 眉をひそめて正面へ目を戻す。
 と、知った横顔があった。

 ホームドアに背を向けて、携帯電話をいじくっている制服姿の女子高生。

「のの」

 呼びかけると、のの――中学まで一緒だった幼馴染の深山音乃(みやま のの)――が、ぱっと顔をあげてこちらを向いた。

「あ、佳くん」

 ふにゃりと笑って、小さく手を振る。

 冬の風にさらされたせいか、頬がほんのり色づいている。
 硝子玉をはめこんだみたいなぱちりとした目。縁取る睫は――なにかしら付けているのだろうと思われる――大人びた濃い黒色でやたらと長く整っていて、なのにそれとは対照的に、口元までふくらんでいるパステルカラーのマフラーと桃色の頬がどことなく子供めいても見えていて、妙なコントラストを生んでいた。

「ひさしぶり。ぐうぜんだね。佳くん、もしかして同じ電車だった?」
「ののがずっとそうやってたんじゃなければ」
「やってないよ。ののだっていま降りたんだもん」
「降りてすぐにスマホのチェックか。立派にJKやってんな」
「なぁにそれ、おじさんくさぁい」

 マフラーをつまんで、口元を隠すようにしてくすくす笑う。

 きれいに整えられたつめ。
 ふわふわと揺れる栗色の髪。
 以前よりもワントーン高い声。甘い喋り方。

 くすぐられるような――女の子らしい仕草。

 見るたびにののはあか抜けていく。
 充実した高校生活を送っているのだろうと――強く、感じる。

 俺が歩きだすと、ののも隣にくっついてきた。

「眼鏡似合うね」
「スマホ見ながら言われてもな」
「のの、眼鏡似合うひと好き」
「……聞いてんの?」
「聞いてるよ」

 携帯から目を離さないまま、ふふ、とののが笑う。
 呆れる反面、悪い気もしないのだから――自分ながらまったく困る。

 改札を抜け、ちかちかと信号の点滅する横断歩道を早足で渡る。
 
 一瞬止まりかけたののは、ぱたぱたと小走りでくっついてくる。ちかちかは止まれだよ、とお決まりのセリフが飛んでくるかと思ったが、ののはなにも言わなかった。

 駅から家まで十分ほど、自宅手前の小さな交差点までののとは一緒の帰り道。

「っていうかね、のののスマホ、さっきからずっと圏外になってるの。壊れちゃったのかなあ?」
「『ずっと』ならそうなんじゃないか」
「ずっとっていうか、電車降りて見たら。ねえ、佳くんのは?」

 上目に見てくる。
 俺はすぐにののから視線を外して、ポケットにつっこんであった携帯を取り出した。確認する。

「――あれ。俺もだ」
「やっぱり! キャリア一緒だよね? バグってるのかなあ、超ふべん」「彼氏と連絡取れないもんな」

 言ってすぐに後悔した。

 高校に入って間もなく、彼氏ができた――とのの本人の口から聞かされている。夏前の、今日みたいに偶然帰りが一緒になったときだった。

 惚気なんて耳にも入れたくなかったのに。

「えっと――」

 しかしののは、なぜか言いにくそうにスマホの角を唇にあてて。 

「それはね、大丈夫」
「だいじょうぶ?」
「別れちゃったから」

 ――わかれちゃったから。

「……あ、そう」
「それだけ?」
「……どんまい」

 ののが黙った。
 不満そうな目。少しだけ唇をとがらせている。

 そんな顔をされたって、ほかにどう言えばいいのか――。

 俺はできるかぎりさりげなく、顔をそらした。横を向く。
 車道を挟んだ向こうで、スーパーが晃々と照っている。

「おまえならまたすぐ彼氏できるだろ。今度は長続きするといいな」

 なんて空々しい――と思ったけれど、俺にはこれがせいいっぱいだ。
 ののは、うん、と小さく呟いた。
 横目に窺うと、前方へ――夜の藍にひたされた歩道の先へ瞳を投げている。

「そういえば、佳くんは?」
「俺?」
「うん。彼女できた?」
「……いや」
「そっか。……佳くんなら、すぐできるよ」

 今度は俺が、うん、と呟く番だった。
 沈黙が、凝(こご)る。

「あ、そういえばね――」

 重たい空気を払うように、ののが明るく話しだした。

 友達がどうの、変な先生がいるの、パパとママが仲良しすぎて見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうの――とりとめもなく転がっていく話題に、俺は中身のない相槌を打ち続けた。

 やがて、分かれ道となる交差点。
 信号は赤だった。

 ののが止まる。俺も足を止める。

 信号は、すぐに青に変わってしまう。

「――じゃあ」
「うん」

 横断歩道を渡った俺たちは、どことなく妙な雰囲気を引きずったまま、言葉少なに別れた。ののは左に折れ、俺はまっすぐ進む。

 ――そういえば。

 ふと思いだして、振り返る。

 ――夢に出てきた交差点は、あそこだった。

 見慣れたいつもの風景は、やっぱりなにか、違って見える。



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