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ノスタルジック・アディカウント #20 【最終話】
* *
目を開けるとくらくらした。
自分がいま何処にいるのか、何年生きたのか、まるでわからなくなっていた。
二つの記憶が錯綜している。
割れそうに頭が痛い。
男の声が終了を告げている。出てください、足元気をつけて、と上澄みだけをなぞるような声。
黒い殻が破られた。
――いや、機械の入口があいたのか。
私は鉛のような体に鞭打って、卵の中からよろよろと出た。
出る寸前。
とてもよくないものが見えた。
私は気づかぬふりをした。
「ご気分はどうですか。しんどいでしょう。みなさんしばらく動けなくなるんですよ。どうぞこちらへ。座ってください。お水どうぞ。うわあ、汗びっしょりじゃないですか」
陽気な男の、軽薄な声。
ジャンクな内装。床を這う無数のコード。ガラクタを集めて構築したような、狭苦しい部屋の中。
音楽が流れている。
よく知っている曲だ。
「この曲は――」
「ええ、そうですよ。せっかくご本人さまがいらっしゃってますからね」
渡されたタオルで汗をぬぐった。水をのむ。
――ああ、そうだ。
私たちのデビュー曲だ。
しかしなにもこんなものを掛けなくても。
売れた曲ならほかにもいっぱいあったはずだ。
――あっただろうか。
二つの記憶が錯綜している。
「僕、古い音楽が好きなんですよ。いまのはこう、やたらと分厚くってだめですね。音響効果の大合唱を聞いているみたいだ。音楽とは違う。やはり楽器がいいですよ、楽器が。機械で作った音じゃなくってね」
男は能弁をふるっている。
私はとめどなく流れる汗を拭いながら、落ちてきた前髪を撫でつける。
――私の髪は、こんなに短かったろうか。
二つの記憶が錯綜している。
「もったいなかったですね。これっきりで終わるバンドじゃなかったはずだって、僕は思ってますよ。若輩者がなにをって思われるかもしれませんがね」
私は隣に立つ男を見あげた。
陽気に笑っていたファンキーな男は、急に真面目な顔になって私の横に腰掛けた。
「しばらくは混乱すると思いますが、二、三日もすれば正した記憶に順応します。ああ、どちらが現在(いま)の記憶かなんてこと、僕に聞かないでくださいね。周りにも聞いたらだめですよ。それはあなたにしかわからない。データは残ってますが、契約上、僕は見ないことになってますし、あなたがここを出たらすぐに消去しますから。お帰りはどうします? トブタク――ええと、飛行タクシーでも呼びますか」
「迎えが来ますから――」
迎え。
私を迎えにくる者などあっただろうか。
――ある。
そうだ、私は――私には――。
指輪型の通信端末が――黒い卵に入る前に預けていた私の私物が、鍵のついたプラケースの中で着信を知らせている。私は飛びついた。
「待って待って、いま開けますから」
男にたしなめられる。
いまどき珍しい、ダイヤル式の錠前だ。男は慣れた手つきでそれを外すと、ケースを私のほうへ押しだした。
「音声通信のみにしといてくださいね。この部屋は依頼者の方以外には見せられないんで」
「は、い」
私はなぜか――先程のような勢いで端末に飛びつくことができなかった。そろそろと手に取り、口元に持っていく。
『終わりましたか?』
――ああ。
初めて聞く、彼女の老いた声。いや、よく知っている声でもある。もう聞くことのできないものと思っていた声。いや違う、もう何十年と共に歩んできた声なのだ。彼女の微笑みを思い浮かべる。霞が掛かったようである。けれど知っている。彼女はめったに笑わない。小さく微笑むだけなのだ。
錯綜する、
記憶。
私はいつのまにか泣いていた。
「どうやらうまくいったようですね。よかったですよ」
男が言う。
私はようやく記憶の呪縛から抜け出して、終わったよ、と彼女に伝えた。お店の前でお待ちしていますから、と彼女は言った。
店。
ああ、そう、ここは表向きはライブハウスなのだ。いまや場末でしか見かけることのなくなった、音楽を奏でるための場所――。
私はのっそり立ちあがった。足元がふらつく。
男に手を貸してもらって、私はジャンクな部屋から出た。男からは機械油のにおいがした。
ほんの一瞬だけ脳裡をよぎった――繭の中で、私が最後に目にしてしまった厭なもの。
私が経験したはずの彼女の葬儀が――
向こうの『私』と、入れ替わっていた。
恩を、仇で――
いいや、違う――
違う。
『彼』はきっと、どこかで間違えてしまったのだ。
私の所為では――きっと、ない。
男に礼を言って外へ出た。酒と煙草と塵(ごみ)の臭気が鼻を衝く。
うらぶれた路地裏。
その中に――場違いに、彼女が淑やかに立っている。
「お疲れ様でした。久しぶりのライブはいかがでしたか」
「ああ。――よかったよ」
私は、彼女に微笑みかけた。
【了】
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