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『楽園』 掌編小説

『蛍の光』が聞こえた。
 それは今日の一日の終わりを告げる。
 一日の終わりと言ってもまだ午後三時。それでも村には音楽が流れ、外に出ている者は誰一人いなくなった。
 口ずさんでいる曲が『仰げば尊し』に変わっていることに気付いた。最近の卒業式では歌われなくなったのだろう。そんなことを思いながら蓮の花を目の前にした。

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 未知のウィルスに感染した街は封鎖され、今となっては『病』より『人』に脅かされる毎日となった。風評被害は瞬く間に拡散され、『病』で命を落とすのではなく、自ら命を絶つ。行く当てが無くなった人々で作られたこの場所は決して日は当たらない。

 泥の中で美しい花を咲かすことから、蓮の花は悟りを求める人の例えに用いられ、清らかで穢れの無い強さの象徴とされている。

 今日も一人、マスク姿の若い男がおぼつかない足取りでやって来た。

「ここは天国?」

 男は跪くとマスクを外し、持っていた水をゴクゴク飲み干した。

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 自分がやった悪事は必ず循環する。それに気付かず最期を迎える多くの人を可愛そうと思うと同時に、天国に行けるという図々しい気持ちを知った瞬間、同情の余地は無くなる。

「菌まみれの顔をマスクで覆った人間は、菌が付着した手で情報収集する世の中。正論は炎上し、加速し、被害は拡大され、誰かが廃人となる。それでも自分は天国に行けると」

 声の主を確認しようとキョロキョロしている男の前に、ピョンピョンと飛び出した。

「天国にも地獄にも行けない。一人孤独に彷徨って下さい。楽に逝けることに感謝を」

 そう言って私は、男の魂を抜いた。

 そして残った身体を池に葬ると、蓮の葉に戻り喉を鳴らした。

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