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高校生活の、あとがき


3月某日。
卒業式から1週間が経ち、むずむずする鼻に桜の気配を感じる頃、クラスのなんとなく仲のいいメンバーで行ったのはカラオケボックスだった。
狭苦しい一部屋に団子のように6人詰め込まれて、ちびちびと歌い始めた。隣の隣、私と人1人挟んだ向こう側にいる彼は、カラオケが苦手と言っていたが私たちの必死の説得に根負けして来てくれた。ちらりと見るが、間に座る友達が前のめりに歌っていて彼の顔は見えなかった。

4月から遠くに行ってしまう彼。
私の行きたかった町、私の通いたかった大学で、彼は新しい日々を過ごす。

私はその大学を受けることすら叶わなかった。

彼に嫉妬の感情なんてまるでない。むしろ私が怯えて諦めたそこに挑戦し、合格した彼を尊敬している。誇らしいと思っている。

志望校を変えると告げた時の彼の表情を思い出しては、心の中で小さくごめんねとつぶやいた。


ぼんやりしていると、隣の子から一緒に歌おうと誘いがかかってきた。私はぼんやりした頭のまま、ここ最近ずっと私のイヤホンに流れている曲をデンモクに打ち込んだ。隣の子に確認すると、彼女はうなずいてくれた。

私は立ち上がって邦楽をほとんど知らない彼にわざわざ言ってやった。
「これ、君に向けて歌うから。よく聞いといて!」

クリープハイプの軽やかなイントロが流れてきた。

最近聴くたびに立ち止まってしまうサビのフレーズ。歌っている私の声は震えていた。隣の子のおかげで彼のことは見えない。花粉症のふりをして目を擦った。

モラトリアム、まさにそう呼ぶべき大学生との境目で私はいつまでも向こう岸に飛び移れないままだった。時が経てばいつか向こう側に行かなければならないとわかっていた。でも始まる新しい何かで今までが埋もれてしまうのが嫌で、いつまでも境目に立ち止まっていたかった。今だけはそうさせてほしかった。

歌い終わったら、少しスッキリした気持ちだった。

帰り道、曲がり角で私はいつも通り、彼にまたねと言った。
新しい生活で何が起こるかわからない、新しい友達ができて今日のことも忘れてしまうかもしれない。遠くに行ってしまう彼に、それでもまた会いたかった。また会って、私はこんな大人になったぞと言ってやりたかったんだ。

3月下旬は雨がたくさん降った。桜の花びらが落ち切れば、新しい生活が始まる。

これは高校生活をしまい込むための、高校生活の、あとがき。

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