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やめられない止まらない【古事記(後半)】岩波文庫チャレンジ91/100冊目

神話を扱った前半(上つ巻)から、いよいよ皇室祖先とされている神武天皇の御代に入っていきます。早速いきましょう!


中つ巻(東方遠征〜大雀命まで)

19、神武天皇の東方遠征

・「何処に坐さば、平けく天の下の政を聞こらしめさむ。なほ東に行かむ
・神武天皇の東方遠征が始まる:日向から宇佐(大分)、福岡1年、広島7年、岡山8年
・途中、亀の背に乗った人に海路案内を頼む
那賀須泥毘古ながすねびこ(長髄彦)との戦で仲間が負傷
・「吾は日神の御子として、日に向ひて戦ふこと良からず、背に日を負ひて撃たむ」、一時南へ

・紀伊の国(和歌山)熊野にて、大熊が出てきて皆眠ってしまう
高倉下たかくらじ横刀たちを振ると、皆たちまち目覚める
・横刀はタケミカヅチから降った神剣「布都御魂ふつのみたま」、石上いそのかみ神宮の御神体

20、八咫烏に導かれ

・道案内に八咫烏やたがらす(ここにも8)が遣わされ、吉野に至る
・「撃ちてし止まむ」と戦いを制していく
・畝火の白橿原宮かしはらのみや*に座し、天下平定

*橿原神宮は神武天皇の皇居跡

21、大物主神、トイレへ★

・美しい勢夜陀多良比賣せやだたらひめを気に入った大物主おおものぬし
・赤い丹塗矢にぬりやに姿を変え、ひめが“大便(くそ)まれる時“(用を足す時)下を流れていって、ほと(陰所)を突いた*❤️‍🔥
・驚たひめは、その矢を持ち帰る
・すると矢が麗しいオオモノヌシの姿になり、2人は結ばれる
・間に生まれた娘が富登多多良伊須須岐比賣ほとたたらいすきひめ
・後に「ほと」を嫌い改名、比賣多多良伊須気余理比賣ひめたたらいすけよりひめ、初代神武天皇の后

*遠回しなようなストレートのような・・笑

22、ヤマト王権の確立

・10代崇神すじん天皇の御代に疫病が流行る
・オオモノヌシを三輪山に祀る(大神おおみわ神社*)と、疫病が治まった

・崇神天皇に対して反乱を企てた者
くそ出でて、はかまに懸かりき。かれ其地に名づけて屎褌くそばかまといふ。」(当時の久須婆くすば、今は大阪府枚方市樟葉くすば
・崇神天皇は、原初的な小国家を統一してヤマト王権を確立

*大神を”おおみわ”と呼ぶのは、当時「大神と言えば即三輪」だっと本居宣長「古事記伝」には記されている

23、ヤマトタケルノミコト★

・12代景行天皇の御代
大碓命おおうすのみこと(双子の兄)が朝夕の食膳に出てこない
小碓命おうすのみことに「ねんごろに教えよ」と詔り
・それから5日経っても大碓命が出て来ないので、小碓命に訳を聞く
「大碓命が明け方かわやに入った時、捕まえて手足をもぎとり、こもに包んで捨てました」(!!)
・このたけく荒き心の小碓尊を熊襲くまそ討伐(九州)に向かわせる
・小碓尊、少女の姿で宴に忍び込み、討伐成功
・以後倭建命やまとたけるのみこと日本武尊)と名乗る

・戻るとすぐ、今度は東の討伐を依頼される
・伊勢神宮に参拝し草薙剣を賜る
・道中火攻めにあうも、剣で草を薙いで脱出*1(下図)
・尾張で約束していた美夜受比賣みやずひめと結ばれ、草薙剣は預ける(=熱田神宮所蔵)

歌川国芳画

・牛ほど大きく白い大猪に遭遇
「この猪は神の使者だろう。今は殺さず帰るときに殺せばよかろう」と言挙ことあげ(タブー)、無視して素通り
・猪は神そのものだった。大氷雨を降らし、ヤマトタケルは失神
・正気を取り戻した時は病の身*2
・最後、白鳥になって河内に降り立つ(白鳥御陵

(地名に残るエピソード)
*1 この時作った焼道が静岡県焼津の由来
*2 足が”たぎたぎし”(トボトボ)で岐阜、足が”三重の如く”で三重
* 東国を望んで「吾妻はや」(わが妻よ…)と三度嘆いた事から東国をアヅマ

(有名なうた)
病気すでに満身創痍。帰れない故郷を想って詠んだ有名な歌。

やまとは国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし
(大和は国で最もよいところ。重なり合った青い垣根の山、その中にこもる大和は美しい)

もう一つ、数々の戦いを終えて、再会を楽しみにしていたミヤズヒメの元にようやく戻ると、彼女は生理中だった。時を想う歌

ひさかたの 天の香久山 利鎌とかまに さ渡るくび 弱細ひはぼそ 手弱腕たおやかいなを かむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど が着せる おすひの裾に 月立ちにけり

仰ぎ見る天の香具山を、鋭い鎌のように渡っていく白鳥。白鳥のようにしなやかな腕のお前を抱こうとするが、寝ようと思うが、おまえの着ているの裾に月がのぼってしまったよ。

ミヤズヒメも応える。

高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの年が来経きふれば あらたまの 月は 来経きへゆく うべな諾な諾な 君待ちがたに 我が着せる おすひの裾に 月立たなむよ

天に輝く日の御子様、わたしの大君よ。新しい年が来て過ぎれば、新しい月も来て過ぎていきます。ほんとうにほんとうに、あなた様をお待ちいたしかねて、
わたしの着ております裳の裾に、月の出るのも当然でございましょう。

月経を月に例えて詠んでしまう、自分には神秘的に感じました。

24、神功皇后の新羅征伐

・14代仲哀天皇の妃、神功皇后
「西の方に國有り。金銀をはじめとして、目の輝く種々の珍しき宝 多にその國にあり。吾今その國をよせ賜はん(帰服させよう)」
お腹に子供(応神天皇)を妊娠したまま、朝鮮半島の新羅に出兵
・新羅王は戦わずして降服
「今より以後は、天皇の命のまにまに(中略)仕へ奉らむ」
・新羅、百済から朝貢を受ける(三韓征伐)

25、大雀命(後の仁徳天皇)

大雀おおさぎのの優秀エピソード
・父から兄である大山守おおやまもり命と共に呼ばれる
「年長の子と年少の子はどちらがより愛おしいか?」
・大山守命「年長」
・大雀命「年少は未だ未熟であり心配で愛おしいものです」
・末弟に継がせたい父の気持ちを見抜いて答えた
・その後皇太子は末弟、補佐に大雀命、大山守命を山川林野の管理人に任命
・怒りの大山守命は反乱を起こす
・大雀命は末弟に謀反を伝えて活躍、天皇の身代わりを据えるなどして反乱鎮圧
・末弟は大雀命に皇位を譲ろうとする
・譲り合いは長年続くも、末弟がかむあがられ、大雀命が即位

*仁徳天皇の妃になった人の中に髪長比売かみながひめがいる。

むむ!確か芥川の短編に「髪長彦」という人物がいた。スサノオと違って芥川小説「犬と笛」は古事記とは関係ないが、はて名前を拝借したのだろうか。

下つ巻(仁徳天皇〜推古天皇まで)

26、聖帝・仁徳天皇★

16代仁徳天皇は聖帝ひじりのみかどとも呼ばれる。

「國の中に煙たたず。國皆貧し。故、今より三年に至るまで、悉に人民の課、役を除せ
(天皇が高い山から国を見渡すと、どの家にも煙が昇っていなかった。民衆が炊事もできないほど貧しいことを知る。そこで以後三年間、課税と労役を全てとりやめた

自らは、宮の屋根が壊れ、雨漏りしても直すこともしなかった

民が貧しい事を知って、減税どころか税を撤廃する英断。暮らしが豊かに戻るのを確認した後、課税と労役は元に戻されたそうだが、現在に照らしてみても、真の聖帝。

聖帝はサウザーではなく、仁徳天皇なのです

仁徳天皇を祀る古墳、大山古墳とも大仙陵古墳とも呼ばれる仁徳天皇陵古墳は、エジプトのクフ王ピラミッド、秦の始皇帝陵と並んで世界3大墳墓の一つに数えられる日本最大のお墓面積では世界最大。2019年には「百舌鳥・古市古墳群」として世界遺産に登録された。

そんな仁徳天皇は、皇后、石之日賣いわのひめの命(磐姫皇后)が大変嫉妬深いとして有名な一面もある。

27、その他

他にも面白いエピソードは色々あるものの、紹介だけにしておきます。
軽太子かるのみこと衣通姫そとおりひめ、同腹兄妹の悲しい恋
・20代安康天皇、暗殺された最初の天皇
・80年天皇を待ち続けた赤猪子あかゐこ   などなど

そして
33代推古天皇豊御食炊屋比賣命とよみけかしぎやひめのみことの系譜を取り上げた所で終わります。お名前に「ひめ」とあるので、なるほど最初の女性天皇なのですね。

以上
有名なエピソードだけを取り上げたので、興味が湧きましたらぜひ一度お手にとってみてください✨岩波版はやや読みにくい昔の言葉のため、色々調べながら読みました。皆さんには、分かりやすい本をおすすめします。

こちらの奈良県公式サイトをかなり参考にさせて頂きました。本記事に載せていないエピソードも盛りだくさんです。


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