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アタバキという太鼓の音が踵から抜けた話

カポエイラのホーダ(楽器演奏と歌を伴う輪の中で2人が身体の動きを通じたコミュニケーションを行うカポエイラのゲーム)ではいくつかの楽器が使われますが、その中でもベースとなる音を出す、アタバキ、という太鼓があります。

半年くらい前だったか、一度だけこの太鼓の音が踵(かかと)から抜けた、という体験をしました。そのときの感覚を書いてみたいと思います。


音が踵から抜けた(ドンという重低音とともに、上から身体を通じて地面の下へ音が貫通するような感覚)というだけでもインパクトがあったのですが、意識がいつもと違う不思議な感覚になりました。それは、このホーダの中の人はすべて繋がっている、もっというと存在するすべての人は繋がっているということがわかっている、という状態になったんです。すこし前に受けたチャネリング体験で得た知識をかりて説明するなら、潜在意識優位の状態、完全ではないかもしれないけれど半分トランス状態だったのではないかと思います。そのときのわたしの感覚をもうすこし詳しく描写してみると、頭上の中心あたりから糸のようなものが出ていて、それがホーダで輪になっているすべての人から出ていて弧を描いており、集会室の天井あたりの一点(ホーダの中心)でまとまっているというかんじです。その糸が一点に集まってまるでドームの形になっていました。実際の目で見えているわけではないので、感覚の目で見ていたんだと思います。

こういったスピリチュアルなことは、決しておかしな感覚ではないと思います。カポエイラやカポエイラの元になっているアフロブラジリアン文化、カンドンブレという宗教の中では目に見えないものをたっぷりと扱っていますし、実際にカンドンブレの儀式の中ではアタバキとアゴゴという鐘の音でリズムがループする中で人々が踊りオリシャという神様を降ろす、ということをしているようですから、こういった大いなる自然、意識と繋がることは「ある」ことなのだと思います。

でもわたしの中のブロックなのか何か、こういったことをまだまわりの人たちに共有する勇気が持てず、それでも自分の感覚を肯定したかったり、同じような体験をしたことがある方もきっと居るのかなという思いもありながら、なにより一番はアウトプットすることで自身の身体感覚や意識の気づきを加速していきたい思いで書いてみました。

しかしそういえば、あれから2度目のその感覚は訪れていません。あのときは統合のワーク(ネガティブな感情が出てきたときにそれを自分の中から取り出してポジティブと統合してゼロに戻し、自分のエネルギーにまた融合して上昇する、というイメージワーク)をかなり強化して行っているときで、このあたりでは瞑想中にクリスタルが自分の中心にカチッとはまって、その瞬間にバン!と感覚が世界に広がったり、内観以外でも実際にふと空を見ているときに、自分を覆っている殻のようなものがバリンとはずれて感覚がバッと広がる、みたいなこともありました。

なので、精神的ななにかが高まっているときで、それに共鳴した出来事だったのかもしれません。ただ、これを単なる偶然と片付けていないのは、わたしがいままで行ってきたボディワークがあるからです。

今貂子さんという舞踏家の方と出会って、自分のイメージと身体感覚を連動できることに強烈な歓びを感じ、まりこ先生というサンバやアフロブラジリアンダンスの先生(ご自身で探究した豊富な体験・知識に基づいたボディのセッションもされています)に、いままで聞こえなかったリズムを身体で感じられるようになるという新世界を紹介してもらい、絶対に自分も感じたい!!と震えたり。

自身の腰痛が悪化したこともあり、自分の身体の一部でなくまるごと全体を良くしようと、ロルフィングのセッションやゆる体操のオンラインレッスン、骨格のセッション、貂子さんやまりこ先生のワークショップなど、ご縁のある方の力をかりながら、重力に逆らわない身体づくりの知識も学びつつ、カポエイラの練習もしつつ、身体感覚を少しずつ探っていました。

アタバキの音が踵から抜けていった瞬間。それはいままでに学んで体験してきたことが一気に繋がった瞬間でもありました。これまで探究していたこと、合ってるよ!なにかそう上から言ってもらえたような、ご褒美のような時間。

すごく表面には分かりにくすぎるわたしの手応えですが、確かに新たな感覚の芽生えがあったことを、こうして記してみました。カンドンブレの儀式をしている現地の人たちはこんな感覚なのかなと思いを巡らせてみたり、和を以て貴しとなす、これの本当の意味を知りたくてカポエイラを続けているということもあり、少しその鱗片に近づけたかなとか。こんな角度からカポエイラや身体、意識の探究をする人がいてもいいよね。



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