ゆの
ただ、わたしのしょうもない持論とか思い出を昇華するだけです。
高校時代から今にいたるまで
ツーショット 卒業証書は ひとつだけ 明日からひとりの ぼくを置き去り
ただ、バスに乗っている。 海の向こうは違う言葉が飛び交う飛行機も 風を押して進む自転車も なんだって僕を遠くまで連れてってくれるのに 僕は今日もバスに乗る。 自分の目的地を探しているのに 人の目的地が気になってしまうこの感じに 僕の人生の豊かさがたんと詰まっている。
旅立ちの合図は 外の晴れた空 冷めたヨーグルトが 空になったら行こうか
『逢ふまでと せめて命が 惜しければ 恋こそ人の 命なりけり』
夢にまで見たような世界から明けて 大丈夫、甲斐性はないが 冗談じゃないさ、突き進もう 最終章の声も溶かしてしまう生涯ね
起承転結の「転」だけを欲張って頬張った
高校で文芸部に入っていたときからペンネームの解説は絶対にしてるので、しておきます。 興味なんて持ってもらわなくてかまいません。 だって今読んでるのはペンネームに興味のある方だけでしょ?笑 だから必然的に興味のない人はここにはいないはずです。 本題に入ります。 ペンネーム、わたしは現役のときから「ゆの」っていうお名前使ってるんですけど、これは世界史オタクなら誰でもご存知「ローマ神話」の中の女性最高神から取ってます。 ローマ最高女神、ユノ。ラテン語表記「juno」 主神、ユーピ
「私のガーデン果てるまで」
「はあ、金足りっかな…」 電柱の明かりだけが辺りを照らしている。人影の乏しいコンビニエンスストア。電気だけが存在するコインランドリー。どこかから聞こえるバイクの音。そんな中に一人、俺はない行く先を探して迷っていた。そう。いわゆる俺は家出少年なのである。簡単に言えば、親と進路の方針が一致しなかった。医学部に行って自分の後を継いでほしい父と、法学部に行って弁護士になりたい俺。法学部に行きたいと思い切って打ち明けたら猛反対され、挙句の果てに
同室にとんでもないイケメンがいる。その事実が入院中の私にとって唯一のいい事だった。別に極端な面食いというわけではないし彼氏いない歴イコール年齢とかでもない。それでもドラマで顔立ちがいい人をみると心が弾むし、アイドルだって追いかけてたりする。もしかしたらこれを面食いというのかもしれないけれど。それは現実だって一緒だ。イケメンは正義。目の保養なのだ。同室にいるとんでもないイケメンの名前は桜庭春樹というらしい。めちゃくちゃ春という感じのお名前だ。
夏休み十四日目の午前九時三十八分。僕は台所から持ってきたメロンパンを片手に目の前のスマホに夢中だった。家には誰もいない。昨日から両親は仕事で家を空けている。その上泊まりで。つまり自由の身だ。あいにく、出された課題をやるつもりはないしましてやこそっと連れ込むような彼女なんている筈がない。好きな時間に起きて好きな時間に食べて好きな時間にゲームをして。そんな怠惰な生活に誰も嘴を入れてくる人間がこの一つ屋根の下にいないというのはとても魅力的な環境だった。いや、やっぱりいないといえば嘘
金木犀の花が鼻腔を擽るそんな秋晴れの空の下で結婚式はしめやかに行われた。 純白のドレスに身を包んだお嫁さんの美しさもさることながら白いタキシードで凛然と新婦をエスコートする新郎が神々しく見えたぐらいだ。そんな新郎が恨めしく思えてしまうのもボク自身の不甲斐なさからだろうか。そもそも僕は人の幸せを祝福してやれないほど心に余裕のないやつではなかった。高身長、見た目からわかる教養の高さ、新婦を何一つ戸惑わせないエスコートのスマートさ。まあ確かに僕が勝てる部分なんてなさそうな高スペック
起 大切な人の体が、病に侵された。 それは二十四歳になってすぐのことで、その病気の治療法なんて一つも見つからない。だって、特殊な病気すぎて前例が今までにないものだったのだから。私の恋人、楢橋朔也とはもう言葉では言い表せぬほどの縁で結ばれていた、ように感じる。朔也とは高校に入学してから出会った。四月九日。桜満開だけど少しだけまだ肌寒さが残る入学式。私は学校に行くまでに経由するとある公園の桜の木の下であの人の姿を見た。多分、このときから恋に落ちていた。我ながらだいぶ単純な人間だ
みなさんこんにちは。 言葉がすき、本当にすき。 だけど人に直接伝えることは苦手、ゆのっていいます。 文字なら伝えられるのに、人の顔見た瞬間自分の言いたいことが言えません。もちろん、数人の裏垢通せるレベルの友だちになら正直に話せますが、それなら話せない人がほとんど。人と話すことは大好きなので多分コミュ障とかではないんですけど、実は心開けてないとかかもしれませんね。こんな風に、文字に起こしてみれば自分も知らない自分に出会える。だから言葉って凄いのです。古代より、人が人であるために