充電器


                    
「はあ、金足りっかな…」
電柱の明かりだけが辺りを照らしている。人影の乏しいコンビニエンスストア。電気だけが存在するコインランドリー。どこかから聞こえるバイクの音。そんな中に一人、俺はない行く先を探して迷っていた。そう。いわゆる俺は家出少年なのである。簡単に言えば、親と進路の方針が一致しなかった。医学部に行って自分の後を継いでほしい父と、法学部に行って弁護士になりたい俺。法学部に行きたいと思い切って打ち明けたら猛反対され、挙句の果てに手まで挙げられたのだ。頭にきた俺は財布とスマホとこの身だけを持って家から飛び出してきた。とりあえずスマホで自分の現在地と時刻を確認したいということでスマホの画面を確認した。否、しようとした。
「あっ…」
最悪だ…。スマホの充電が切れている。今の時代、スマホがなければできることはなにもない。どうしようかと迷っていた矢先、後ろから声が聞こえたような気がして振り返った。
「ねえ、おにいさん」
真っ黒な画面を見つめてうずくまっていた俺に声をかけてきた彼女。
「…なんすか」
突然のことに驚きながらも返事をした俺。ぱっと見三十代くらいだろうか。そんな彼女はニコリと笑って言った。
「スマホ、充電切れてるんでしょ」
「なんで分かったんすか」
眉をひそめてそう言うと彼女はおかしそうに笑った。
「明かりのついていないスマホを見ながら道端でうずくまっている人をみたら誰だってそう考えるでしょ、ふつう」
彼女はそう言っているが、俺ならそんな人間を見つけたら不審者だとしか思わないだろう。彼女は危機感というものが皆無だった。
「私の家、この近くなんだけど、充電してかない?」
「…そんな簡単に他人の男を家に招待しちゃっていいんですか」
そう言えば彼女は楽しそうに笑った。
「あははは!面白いこと言うね!君」
彼女のテンションについていけない。深夜テンションなら辞めてほしい。
「なんかおかしかったですか」
不貞腐れてみた。
「手出す勇気なんてないでしょ、家出少年くん」
どうして家出少年だと分かったのか。なんでも見透かしてくる彼女に不気味さを感じながらも充電のためなら…と揺らいでいるところだったのだが。
「で、来る?来ない?」
「…」
スマホがなければなんにもできない。背に腹は代えられない。
「…充電したらすぐに帰ります」
「よし来た!ほらほら立って」
彼女は嬉しそうに笑った。
   ◇
彼女の家はほんとにすぐ近くだった。
夏とはいえ少しばかり肌寒くて環境はこの状況を理解しているようだった。こんな道を毎日一人で歩いているのかと思うと赤の他人だけど彼女のことが心配になる。なんせ彼女は知らない男を家に招き入れるほど危機感がないのである。
道中彼女はずっと話し続けていた。
仕事が大変、上司がうざい、イケメンがいるから狙おうと思っているだの職場の話題だけを大したリアクションもしない俺に延々と聞かせ続けた。家に着くと彼女は乱暴に靴を脱いでドタバタと部屋に上がった。
「ほらほらはやく上がって〜。遠慮は禁物だよ」
俺もすかさず靴を脱ぎ、自分の靴を並べるついでに彼女の分も並べておく。
「充電器はそこにあるよ〜、あ、君の名前聞いていなかった、なんだっけ?」
「…太郎です」
「んじゃあ、私は花子ね!」
分かりやすい偽名を名乗れば彼女もそれに気づいたのかお決まりのノリで偽名を名乗った。初対面に本名を名乗らずに済むこれくらいの距離感に居心地の良さを感じてしまったのは「花子さん」には言わないけど。
そのまま彼女はキッチンへと消えていきその間に俺は充電器をコンセントに差し込んでスマホに差す。
「そういえば太郎くんは食べられないものとかある〜?」
「いや、悪いっすよ、そんなことまでしてもらわなくて結構です」
お腹が空いたのは事実だが初対面の女性にご飯を作ってもらうほど俺も厚かましくはない。そう思い断りの言葉を告げる。
「だいじょぶだいじょぶ、充電には時間がかかるでしょう?家出少年だからまともにご飯も食べれてないでしょう?」
そう言われてはなにも言い返せず、好き嫌いは特にありませんと花子さんに伝えた。
「りょうかい!すぐに作るから座って待ってて〜」
机に腰を下ろしスマホの充電の貯まり具合を見るとまだ五パーセントしか溜まっていなかった。
   ◇
「はい、できたよ〜」
机にはグツグツと音をたてながら煮込みうどんが二人分並んだ。
「食べていいよ」
「お、お言葉に甘えて、いただきます…」
半日ぶりの食事だ。お箸で麺を掬って啜る。未だ冷めない麺と奥に潜むかつおだしの旨味がひどく身に染み込んだ。彼女も同じようにうどんを頬張った。
「うん!我ながら天才シェフのお味!」
自慢げに鼻を高くした彼女に苦笑を浮かべながらもうどんを次々と啜った。
その後は花子さんとずっと話していた。
彼女は俺の本名も、家出の理由もなにも聞いてこなかった。それにやけに心地よさを感じた。
「最近やらかしてばっかでさ〜、上司にも怒られまくり、もう嫌になっちゃうわ」
彼女は不満そうに笑った。
「太郎くんはさ、大人になりたい?」
そんな質問を投げかけてきた花子さんに俺が返す返答はただ一つ。
「そりゃ、なりたいですよ。大人になったら誰からも叱られないし。親もきょうだいとも喧嘩なんてしなくてすむ。最高の環境の出来上がりじゃないですか」
「そうなんだ〜。でもね大人ってそんないいもんじゃないよ。親に縛られないってことはそれと比例して責任も生じるしね」
彼女は窓を見ながらそう言った。
「たぶん君は自分をみてほしいんじゃない?さっき行ってた進路の話だってさ、親御さんにもっと自分のことを考えてほしいって思ってるんじゃないのかな?」
「…」
確かに、そうなのかもしれない。彼女の言葉を聞いてもう一度、父さんと話し合おうと思った。前をむこうと思えた。
「さあ、少年はもう帰る時間だよ」
「花子さん、ありがとうございました」
「あ、本名、海夕っていうの」
「みゆうさん、ありがとうございました。煮込みうどんとても美味しかったです。あ、あと俺は駿太っていいます」
「しゅんた〜!いい名前だねえ」
「では、お世話になりました。…海夕さん」
「ばいばい、駿太くん」
何度も頭を下げて彼女の家を出る。海夕さんは俺が見えなくなるまで手を振っていた。
「困ったときいつでもおいで~!鍵開けとく〜!」
「鍵は閉めといてくださ〜い!」
「ばいば〜い!」
「さようなら〜!」
角を曲がって走った。すごく爽やかな気分だ。帰ったら父さんともう一回話し合おう。そして明日からまた勉強も頑張ろう。

スマホの充電は百パーセントになっていた。

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