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「ファミコンバカ」と呼ばれた5歳児は今でもゲームをしている (2)

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マガジンとしてまとめました

おばあちゃんちの居候、熊さんがきっかけで、僕とゲームは出会い、共に歩んでいくことになる。


ただ、「ゲーム」というものにそれまで触れてこなかったかというと、そうではなかった。

ある一定の年齢層の人なら、一度は遊んだことがあるだろう、とあるおもちゃがある。

水で満たされた透明のケースの中に浮かぶカラフルな浮き輪。
ボタンをぐっ、と押し込むと中の水が循環し浮き輪が動く。
その浮き輪をケース内にあるいくつかの棒に刺して遊ぶ。


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僕はこのおもちゃが大好きで、夢中になって遊んだ。
何が何でも、全部の輪っかを棒に通したい。

輪っかが積み重なるごとに、棒の残りは短くなっていき、全部の輪っかが積み重なると棒が見えなくなるくらいの高さになる。

子どもながらにボタンを押す強さを調整したり、「筐体」を傾けてみたり。
時にはさかさまにして勢いよく戻してみたりもした。

でも結局うまくいかず、「ズルはいけないんだ」と子どもながらに学んだ。

ボタンをギュッ、ギュッと押し込む感覚。
それに連動して、目の前のものが動いていく。

綺麗な放物線を描いて積み重なったときの何とも言えない気持ちよさ。
一度は棒に刺さった輪っかが水流に流されてこぼれていくあの悲しさ。

あと一個、というところで無情にも崩れていく輪っかたち。
悔しくて、悔しくて、何度も何度も、バカみたいにプレイした。

当時の僕にとって、あれは間違いなく「ゲーム」だった。

全部の輪っかが積み重なった瞬間、飛び上がって喜んでしまい、せっかくの「ゲームクリア」が台無しになって泣いたのも今ではいい思い出だ。


そして、数十年経った今も、僕はコントローラーのボタンを押し、それに連動して動く目の前のものに一喜一憂している。
「ゲームクリア」を目指して。

(つづきます)

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