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部分肯定がいちばんズルい。ポリアモリーを公言した後の3つの反応。

ポリアモリーを公言して約3ヶ月。

「小島はどこへ向かっているんだ」なんて揶揄されたりもするが、僕のポリアモリー話に対する周囲の反応は大きく3つにわかれる。

1.肯定派 
2.部分肯定(否定)派 
3.否定派 

まず、肯定派と否定派どっちもあっていい。
ただ割合として意外と多いのが部分肯定(否定)派だったりする。

部分肯定(否定)派の意見はこうだ。

「ポリアモリーは認めるけど、それを言い訳に利用する人は認めない」

わかる。彼ら彼女らが言わんとしていることはわかる気がする
ただ僕はこの発言に対してずっと違和感があった。

今日はその違和感の正体についてのお話。
(読了まで3〜4分くらい)

ポリアモリーとは、お互い合意の上で複数の人と同時に恋人的な関係を築く恋愛スタイル。対義語はモノアモリー(恋人は一人という価値観)。過去のシリーズはこちら

◾️ポリアモリーなんて、結局ヤりたいだけ?

部分肯定(否定)派には認めるポリアモリー認めないポリアモリーがいるらしい。
例えば、自身がポリアモリーであることを公言している人が2人いたとする。表面的には2人とも同じだがその背景には違いがあると部分肯定(否定)派は言う。

例えば、Aさんがポリアモリーを公言する背景には「(自分が公言することで)日本が多様な価値観を認める国になってほしい」という想いがあったとする。
一方、Bさんは「自分が魅力を感じた人なら(今後は)複数人と関係をもちたい」という理由でポリアモリーを公言していたとする。

この場合「Aさんは認めるけど、Bさんは認めない」というのが部分肯定(否定)派の主張だ。その違いについて考えてみた。

■その主張に公共性はあるか?

部分肯定(否定)派の人たちは、Bさんに対して「ポリアモリーなんて概念を利用して、結局自分がヤりたいだけじゃん」と言う。

つまり、公共の利益のためにポリアモリーを公言しているAさんならアリで、自分の利益のためだけにポリアモリーを公言したBさんはナシ、ということだ。その分かれ目は公共性の有無だと言えるだろう。

しかしこの部分肯定(否定)派の主張、わかるようで違和感がある。
それは公共の利益を重視する日本人的な姿勢に対する違和感ではない。

僕が引っかかっている違和感は、部分肯定派は

本当に肯定するつもり、ある?

という点だ。

■Aさんが救いたいのは、Bさんでもある

そこで、先ほどのAさんとBさんの主張をもう1段階掘り下げて考えてみる。
例えば、部分肯定(否定)派も認めるAさんに「そもそもなぜ日本に多様な価値観を広めたいと思っているか」と聞いた時「価値観が画一的なことで苦しんでいる人が多いから」と答えたとしよう。

一方、Bさんが「自分が魅力を感じた人なら(今後は)複数人と関係をもちたい」と考えているそもそもの理由が「自分の気持ちに正直でいたい」だったとする。

すると、部分肯定(否定)派とっては全く別ものだったAさんとBさんの主張はぐっと近づいてくる。部分肯定(否定)派がBさんの考えを否定した場合、BさんはAさんが救いたいと考えている画一的な価値観で苦しむ人になるのだ。

実はAさんとBさんは本質的に同じ話を違う角度からしているだけだ。つまり、部分肯定(否定)派はAさんを肯定するのであれば、Aさんの主張の延長にあるBさんも肯定しないと、Aさんを本質的に認めたことにならない

では、なぜこうした矛盾を孕む「部分肯定(否定)派」が多いのかをもう少しだけ考えてみる。

■部分肯定がいちばんズルい

やはり焦点は部分肯定(否定)派は本気でポリアモリーを肯定する気があったのか?という点だ。
先日、僕のこのツイートが少し話題になったが構造としては同じだ。

部分肯定(否定)派が認めたのは結局公共性だけ。表向きは認めると言っておきながら、個別具体的な話になると否定する。結局、世間でも認められないと自分も認められないというのが彼ら・彼女らの正体だ。

もちろんポリアモリーに対しては肯定、否定どちらもあって当然だ。
ただ一見肯定したような顔つきだけして、さも自分が常識人であるかのような振る舞いをするならポリアモリーを利用しているのはどっちだとも言いたくもなる。

もし本当に肯定する気があるなら、先日のツイートのように「言い訳にする人もいると思うけど、私は認めるよ」と意思表示の順序が逆になるはずだ。そうでないなら結局、目の前にいるポリアモリー当事者と世間の両方にいい顔をしようしながら、公共性という盾で自分を守りながら後ずさりしているに過ぎない。それは当事者としてはいちばんズルいと感じるし、悲しくなる。

ちなみに僕が離婚をする時に「離婚はいいけど、子供がかわいそう」と言われた時にも公共性を盾にされたような似た悲しさがあった。これについてはまたどこかで書こうと思う。

最後に、、ポリアモリーじゃなくてもいい。
もしあなたの友人や知人が世間で認められ難い立場にあって、それでもあなたは認めたいと思ったのなら、公共性の話を持ち出すことなく1対1の関係だけで話をしてあげてほしい。それがその人が苦しんでいる世間の声を変えるもっとも大きな一歩になる。



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