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無個性な才能

〝特技は何ですか〟

学生の時、学年が上がる度に配られていた自己紹介の紙。

必ずと言ってもいいくらい書かれていた質問。

特技?
どこまで出来れば、特技と胸を張って書いていいものか。

幼いなりに堅苦しく考えていたものだ。

小学の頃は、縄跳び。
中学の頃は、運動。
高校の頃は、何を書いたのかすら覚えていない。

我ながら、単に頭に浮かんだものを安直に書いたものだ。

今考えれば、何を書こうか困った時、当たり障りのないものをスラスラと書けていた事は、特技と言ってもいいくらいだろう。


私は、幼い頃から、自分の良さを見つけることが大の苦手であった。

〝自分と他人を比べてしまう〟

紛れもなく、これが原因だろう。

そう考えていた時期に、私の比べる対象は、家族へとなっていった。  

私には、歳の離れた弟がいる。

何にでも飽きっぽい自分とは違い、コツコツと努力をし、結果を残す男だ。

そんな弟は、私がまだ中学の頃、空手で日本一になった。


その時からだろうか。
自分には、何も無い。
そう思う日々が、続いた。

私から見た

父は、人に慕われる才能がある。
母は、美人と言われる事が多い。
弟は、やると決めた事は、最後までやり通すことが出来る。

私は、
私は、、
息をすることを忘れるほど考えても、何一つ出てこなかった。


〝私は、何なのか〟

 
とうとう深いところまで考えてしまっていた。

今考えると、
若気の至りだなぁ
と自分の事ながら、笑ってしまう。


だが、良くない事にこの悩みは、今も消えた訳では無い。

ただ、少し考え方が変わったとでも言っておこうか。


〝自分と他人を比べてしまう〟


これに関しては、気にしない様にしようと思っていても、他人を見ていれば、どうしても考えてしまう。

しょうがないので、それを解決することは諦めた。

人間という動物である以上、どうやっても考えてしまうのだろう。
なので、諦めた方が楽ということもあると割り切ることにした。

では、考え方を変えたというのは、何の事を言っているのか。

このエッセイを見ている誰もがそう思うだろう。


私は、少し厨二心があるものだから、ごく普通の事を敢えてかっこよく言わせてもらおう。

〝無個性は、私にとって、1番の才能である〟


難しい言い方をしてしまったが、
要は、

何かに特化しているものがあった訳でもない私は、それこそ何かで認められることは無かったが、

才能が無い。
何かで認められたい。

その悪あがきを、幼い頃から続けてきたということこそ、私の才能ではないのか。

 そう考えた時、きつく締め付けられていた頭の中が、驚くほど軽くなった。


今、他人と何かを比べてしまった時、思うようにしている事がある。


〝私には、無個性という才能があるのだ〟

と。



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