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1mgの成長

「この偽善者が。」

上京した頃に、当時の知人から投げつけられた言葉。


偽善という良くも悪くも受け取れる言葉に私は、悪い意味で捉えていた。

偽善とは・・・うわべをいかにも善人らしく見せかけること。

何度、手元のスマホで調べてみても良い意味とは捉えられない検索結果。

その言葉を投げつけられた直後は、嫌味を言われたという実感がわかず苦笑いしていた私。

一人暮らしの家に帰宅し、1人になった時、目から飛び出た涙が顔をくしゃくしゃに濡らしていた。 

偽善者。そうなのかもしれない。
私が今まで人の為に動いてきたことは、偽善でしかなかったのかもしれない。

そう思うと自分の中に醜く、苦い感情が溢れ出した。

その頃の私には、自分の気持ちをさらけ出す相談をできる友人がいなかった。

その日は中々寝付けず、気づいた時には、父に電話を掛けていた。

泣いている私に当然父も驚いた。
私は、自分の胸に刺さっている醜く、苦い感情について父に話した。

「偽善者で何が悪い」

黙り込む私に父はそう言った。

「お前のような優しい人間に
心無い言葉を言ったその人は、偽善者にすらなれない。
自分が偽善者だと思ってしまったなら
偽善者な自分を誇れ。」

今、私は、この言葉に生かされているようなものだ。

当時の知人に偶然会うことがあれば伝えたいことがある。

君の言葉のおかげで
私の人生
1mg成長することができた
感謝している

と。


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