息をするということ
私は幼い頃から〝死〟という言葉を、人一倍意識していたと思う。
高い場所に登ったら、落ちて死んでしまう。
狭い場所にいると、心が死んでしまう。
暗いところにいると、何かは分からないが死んでしまう。
単に私の気にしすぎにすぎない。
だが、その気にしすぎるおかげで、
滑り台に登ることも
エレベーターに乗ることも
夜道を1人で歩くことも
怖いと感じる何とも言えない日々。
極めつけには、人の目を気にしすぎることもあるものだから、人の目が怖くて生きずらいと思うことが多々あった。
だが、自分の思いとは裏腹に
スカイツリーのような高い場所に行ってみたり
部屋の隅の狭い場所で一日を過ごしてみたり
夜の散歩に出かけてみたりする。
自分自身分からないが、とても面白い行動をする。
この行動を昔は、無意識に、
私自身〝死〟へ向かっている
と考えていた。
そう考えている時期は、私の心は酷く荒み切っていただろうと思う。
まぁそんな考えをしていて、綺麗な心になるとは思わないのが普通なのだが。
何をしていても〝死〟を意識する日々。
なんの面白みもない日々だった。
誰かが言った言葉で
「死ぬこと以外は、かすり傷」
という言葉がある。
初めて聞いた時は、ピンと来なかった。
心が病んでいる社畜なサラリーマンが、
かすり傷には到底見えない。
虐められている学生が、
かすり傷にはとてもじゃないが思えない。
理解が出来なかった。
どうせ今まで成功してきて、何事も上手くいっている人の戯言だろう。
そんなひねくれた考えが、頭に残った。
そんな事を考えている私が生息する世界では、新型のウイルスが流行っていた。
ある日のニュースで、誰もが知っている著名人がその新型のウイルスで亡くなられたというのを耳にした。
“まだ生き足りないはずなのに、亡くなってしまう ”
その時私は、深く反省した。
〝死ぬこと以外、かすり傷〟
あぁ、そういうことかと。
社畜のサラリーマンは、仕事を辞めてもいい。
虐められている学生は、学校を辞めてもいい。
息さえしていれば、この先はどうとでもなる。
そういう事を言っていたのだろうかと。
反省した私は、今までの考えを逆転して生きることにした。
私がしてきた行動全て
〝死〟へ向かっていたのではなく
息をする為の自分への挑戦状なのだ
と。
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