アート思考を磨く作業、それは孤独かもしれない〜日経COMEMOイベントより
5月8日、日経COMEMO主催の「アート思考✕ビジネス」シリーズ第3弾のイベントに参加しました。お題は「アートとイノベーション、気付くチカラをみがく」です。登壇されたのは、メディアアーティストの藤幡正樹さん、仏発アート思考プログラム「Art Thinking Improbable」を日本のビジネス界に持ち込む活動もされている西村真里子さん(@mariroom)、モデレーターはシリーズ通して若宮和男さん(@waka_uq)です。
期待通りの濃ゆい内容ゆえに言語化が極めて難しい、消化しきれないところ、振り返れるレポートを公式さん(↑)や、他の参加者がnoteにまとめてくださっていて、ありがたいかぎり。私はまた、自分に刺さったエッセンスと都合のよい解釈、気付きを抽出してみます。
「アート」ってなんだろう?
メディアアート界で国際的にも第一人者といえる藤幡正樹さん、刺激的でした。紡ぐ言葉がご自身の経験によっていて、短時間でもブレない価値観や信念のチカラを受け取ることができました。
アーティストならではの言葉として腹落ちしたのは、アーティストはマイノリティであるということ。マイケル・ジャクソンを例えに、映画「THIS IS IT」でマイケルは彼のリズムを周りが理解できないことに苛立ちを見せるんですね。周りから見ればほんの些細なことでも譲れない部分がある、伝わらないことが、彼を孤独にするという象徴的なシーンです。
自分にとっての当たり前が当たり前でないことに気づくこと、それがアートなんだけど孤独であるのです。既存の価値観をなぞったり真似するのではなく、ユニークであることが必要なアーティストにとって、それは自分の足元にしかない、それを掘り続ける作業は孤独であると。とても勇気のいることなんだと、想像できました。
だからアーティストには理解者が必要。救いになるのは、単純に褒められることだそうです(冗談交じりに)。アートの芽を摘んでしまう悪例として、自分の子どもに対するよくある発言「いい子にしてなさいね」。既存の訳のわからない枠組みに、考えなしに嵌めてしまう、最悪の言葉です。憶えがあるだけにヒヤリとしてしまいます。無意識に、楽だからやってしまうことで、子どもの可能性に蓋をしてはいけません。褒める、から叱ろう(笑)。
アーティストの仕事は、世の中の当たり前の概念をずらすこと、枠組みを外すことだ、と仰りました。美術館に行くとき、私たちは当たり前の概念をまず取り払わなければ、そのアートの世界に触れることさえできないのかもしれません。それは子どもと向き合うときも同じだし、ある部分では私たちもアーティストになれる可能性があるし、それがアート思考と呼ばれるならそれ、少しでも持っておきましょうよ!
「日本」について気付かされること
ヨーロッパや世界各地で活動されてきた藤幡さんから見る「日本」の現状。日本が地理的、歴史的背景から、独自の道を辿って今があることを、アートの観点から紐解いていただきました。
日本は開国以来、戦後顕著に、西洋諸国からモデルを持ってきて使える限り使い倒すということをやってきたけれど、それではもう東アジアで負けている。例えば今中国の人々が「自国が一番」と堂々と言えるというのは、文化大革命で内向きに閉じてた時代があったから。ヨーロッパ中心主義を中国は無視してきているんですね。歴史的背景が異なるにも関わらず、異なる文化から枠組みだけを模倣してきた日本が抱える問題が、顕れてきて当然といえそうです。
そこで「ヨーロッパでプロテスタントが作った経済の構造に日本が付いていけてない」、とさらりと仰っていたのですが、その場で付いて行けず……深掘りたい、もっと聞きたいテーマでした。最近読んで新たな気付きを得た本「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい 経済の話。」に、通じる部分があったからです。
文明と経済、歴史と宗教を知ることの重要性を知らしめてくれています。知ることで、現在の立ち位置がつかめてくるのではないか、日本がなぜ付いていけてないのかは、過去からしか学べないのではないか、と感じています。
藤幡さんご自身も長く務められた教育に話が及んだ際、昨今の、新卒で使える人材を創出するための「文系不要論」については、否定をされていました。大学は未来を見せるために、過去を教える必要があるのだと。日本は特に科学哲学、技術思想史が弱く、なぜ日本がモノづくりに秀でたのか、その哲学や思想を理解しなければ、未来にいかせないでしょう? そのとおり。
また「サイエンス」と「アート」は根本的には違いがないと思っている、すなわち、どちらも「気付きのチカラ」がないとはじまらないのです。なるほど有能な科学者は、これまでにない気付きをもとに実験を重ねる訳ですから、「気付き」の重要性がますます大きいことに気付かされます。
個人主義である前に
戦後日本の成長は、日本が一丸となって努力してきたからなんでしたよね。ムラ社会で経済がまわったし、団結したから勝てた。一方で、会社の中では共産主義が蔓延していたとも言えるので、頭打ちになっているのでしょう。いまその体制が崩れてきたからといって、「個の時代」だから「自分の人生は自分で設計しなさい。」と国を挙げて言い出しているようだけど、それ難しくない? 借りてきた枠組み、価値観でここまできた日本にとって、厳しくない? と。まず、西欧諸国と、日本の、社会構造の違いを理解することが必要なんだと。
日本人の美徳である「和を以て貴しとなす」はチームワーク、連句のような呼応する文化や、それこそ前回のテーマ「日本的身体のアート思考」を理解した上でいかすことも、重要に思えます。ユニークネスを発揮するにも、土台があってこそ、日本人だからこそ、を大事にしたいものです。
その上で、「個」にかえっていくにはどうしたよいのか? ディスカッションの中では、「自分はなぜ生きているのか」という問いかけからはじまり、自分らしくあることを分かること。借りてきた価値観ではなく、原体験からの気付きがあるのではないか、というヒントもありました。
「アート思考」のプロセスとして、若宮さんが解説してくださるとき、「課題ではないところから出発する」というものがありました。最近それは「原体験」という言葉とともに言われることが多いのではないか、とも。
「原体験」というキーワードについて、このように詳しくエントリーしてくださっていたのを読んで、しっくりきました。原体験を掘ることも価値だけど、行動が先にあってよいんだと、気付けないことにも励まされます。ありがとうございます。
「気付かないことに気付く」って相当難しい、勉強も、行動も大事です。
その仕事、ジョブ?or ワーク?
もっともっと色々あった筈なのですが、最後にこれも勇気づけられた話で。日本語でどちらも「仕事」と訳される二つの単語「job」と「work」の意味。「job(ジョブ)」は労働に対し対価を得る職業や職能、「work(ワーク)」は「artwork」というように、個人の成果物が伴う仕事ではないか、とざっくりこんな解釈だったと思います。
アーティストはジョブとは言わない、と明確で、雇用されるのは会社や組織、社長のワークに貢献するためのジョブ。それでも、自分の仕事、目の前の仕事を、ワークにしていくことが、これから必要になっていくのではないかということ。ワクワクする仕事をしましょうよ、と西村さん。ワクワクするワーク、良い!
私は「ジョブレス」だけど主婦はワークなのか? 雇用主はいないはず、まさか旦那さん? 主婦はアウトソーシングできる仕事もありそうだし、やっぱりジョブ? なんてどうでもいいところでグルグル〜。兎も角、ワクワクするワークにできているのか、という視点を忘れずに、自分のワークに気付くチカラを磨くこと、続けましょう…。
(グラレコby山尾美沙季さん)
メディアアーティストとしての藤幡さんのアートワークをいくつかご紹介いただいた中で。2012年にフランス・ナントで発表された「Voices of Aliveness」は「叫び」がテーマ。参加者が自転車に乗りながら叫ぶ様子を動画で捉えて3D空間上に出現させるもの。「サイバースペースにおけるモニュメント(メディア)によってコミュニケーションがどのように変わっていくのかという実験装置である」という、未完の作品と言えそう。
深くてうーん、と唸ってしまいました。
人間は生まれたとき「オギャー」と叫ぶ。叫び声は人生が新しい世界にスイッチする時、というメタファーであって、発想のきっかけはこういったメタファーなのだそうです。アーティスト思考を生解説いただける贅沢も味わいました。藤幡正樹さん、7月から久しぶりの日本で展覧会があるそうで、それまでにアートに触れるチカラを磨きたいと思います。
次回Comemo by Nikkeiの面白そうなイベントは、5月17日(金)19:30~「僕たちの未来を変えるプロダクトとは? 〜サブスクリプション時代のモノづくりについて考える〜」。ご意見募集中だそうです。ちょっと考えてみよう。
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