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神々のチカラ

これまで私はカタカムナを探究して、「神」とは、私達の「肉体」や「心」、そして、「今」現実に感じている現象を創造してる、「電気粒子」や「生命粒子」の活動パターンであると感じています。

古事記や古史古伝で描かれている「神話」も、当時の文化や時代背景を想像すると、私達の生命サイクルや活動の、目には見えない「カム」の働きを、漢字が伝来した時期に「神」とあて、当時の世界中で流行していた「神話」に置き換えたと考えます。

人は感覚的に物事を具現化して、それらを偶像化し変換することで、記憶に残りやすなります。
現代の私達の視点で過去を振り返っても、その真意を掴む事は出来ず、むしろ、現代の常識に都合の良い解釈をしてしまうものです。

ところが、カタカムナウタヒで唄われている、神名の音の思念を読み解いていくと、「生命活動のメカニズム」と「神々のエピソード」が、とてもリンクしていることに気が付きました。

ここでは、カタカムナで使われている、神名の音の思念を読み解き、神々の神話エピソードと照らし合わせて、神社に祀られている神の働きを、いくつか紹介しますので、参拝する神社の選択の参考にして下さい。


神(カム・カミ)

カ(ka)=現象(カタ)の根源・アマ始元・生命根と生命・ちから
ム(mu)=6次元・広がり・六方環境

現象(カタ)の根源は、目に見えないアマのチカラの広がりである

カ(ka)=現象(カタ)の根源・アマ始元・生命根と生命・ちから
ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潛象と実質・粒子

現象(カタ)の根源は、光と実体の、目に見えない粒子から成る

言葉にすると、このような文章で思念を説明することが出来ます。
私達が日常的に実感しているカタ世界は、光の領域に存在する、目に見えない粒子が、遍(あまね)いて広がる様子を、「神」(カム・カミ)と理解することが出来ます。

目に見えない世界から、目に見える状況にまで発展させるチカラを「神(カミ・カム)」だと、私は捉えています。

カムは、目には見えない広がりを持つチカラの世界観を、「神」と言う漢字を宛てがい「カミ」と響かせる事により、光や粒子など、具体性のある思念に変化して来たと考えます。


主(ヌシ)

ヌ(nu)=突き抜く・貫く・潜象・計算不可
シ(si)=示す・現象・死

潜象から貫く現象

これは、目に見えない世界から、目に見える世界へ貫き、突き抜けてくる現象と、思念で捉える事が出来ます。

神のチカラの領域で、私達の「思い」が「現象」として見えてくる状況を指す、音の響きだと私は捉えています。


尊(ミコト)

ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潛象と実質・粒子
コ(ko)=9次元・繰り返し・転がり・入と出
ト(to)=10次元・統合・重合・向かい

目には見えない光と生命の粒子が、繰り返し重合や統合をしている

私達は、様々な生命粒子が繋がりを持ってカタチを成しています。(生きる)
この「繋がり」が「尊(ミコト)」の働きであり、何度も何度も重合を繰り返しながら統合を続けています。


神を理解する上では、この3つの働きが基本となります。

神=目に見える状態にする全体的なチカラ
主=現象界へと貫くアマ世界のチカラ
尊=粒子を重統合させるチカラ

これらを踏まえて、代表的な神々のチカラを探って行きます。


天照大御神(アマテラスオオミカミ)

ア(a)=生命・感じる・あらゆるもの・重なりと左回り・宇宙と始元量
マ(ma)=受容と需要・現象・宇宙球全体・現象物個々
テ(te)=発信・放射・関わる・「ワ」の正反に出る
ラ(ra)=場・現れる
ス(su)=一方向へ進む・進行・進行中の思念

重なりと左回りで宇宙全体に正反して現れて進行する

オ(o)=奥深い・環境・広がる
オ(o)=奥深い・環境・広がる
ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潛象と実質・粒子

奥深く広がる、実態と光や生命の実体となる粒子

カ(ka)=現象(カタ)の根源・アマ始元・生命根と生命・ちから
ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潛象と実質・粒子

現象(カタ)の根源は、光と実体の、目に見えない粒子から成る

「重なりと左回りで、全体に正反活動をしながら進行し、奥深くまで広がる生命粒子が、目に見えない世界から、目に見える状況にまで発展させるチカラ」

このような思念を感じる事が出来ます。

私達は光のある世界に存在しており、生命粒子の正反活動(カタカムナ)で生きています。
この「天照(あまてらす)の大御神(おおみかみ)は、そんな生命活動全体の領域を示すチカラで、目に見えない世界から、目に見える現象までを指しています。
このチカラは全ての生命に共通しているので、神宮大麻として全神社及び、各神棚に至るまでお祀りされています。

一言で言うならば、私達は「天照大御神」のチカラで、この光ある世界に、存在出来ています。

神社内に於いては、拝殿や本殿に、「八咫鏡(ヤタノカガミ)」を通して設置されています。
「ニ礼二拍手一礼」の所作時には、この天照大御神を働きをイメージして下さい。

天照大御神と言えば、「天之岩戸(あまのいわど)」が有名です。
この神話には、生命体の原点が伝えられていますので、このブログの最後にお伝え致します。


天之御中主(アマノミナカヌシ)

ア(a)=生命・感じる・あらゆるもの・重なりと左回り・宇宙と始元量
マ(ma)=受容と需要・現象・宇宙全体・現象物個々
ノ(no)=時間をかける・新生命の発生・すべき方向・変遷して進む・持続する
ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潜象と実質・粒子
ナ(na)=7次元・核・重要なもの・何回も・変化
カ(ka)=現象(カタ)の根源・アマ始元・生命根と生命・ちから
ヌ(nu)=突き抜く・貫く・潜象・計算不可
シ(si)=示す・現象・死

重なりと左回りが、現象(カタ世界)に新生命を発生させる。
光と目に見えない粒子が何回も変化して、現象(カタ世界)のチカラとなり、潜象(カム世界)から貫く現象

私達の目に見えない領域(カム世界)から、目に見える現象(カタ世界)を引き起こすチカラを指しています。
「天(アマ)」と言う「光の世界」の生命粒子は、「重合と左回り」で活動していることが分かります。

神話では、この世界に初めに現れた「造化三神」の一神として、登場しています。
※天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神

「二神はすぐに居なくなってしまいますが、天之御中主から「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」「国狭槌尊(くにさつちのみこと)」が現れ、それ以降は、高天原(タカアマノハラ)で生まれた神を「天之御中主(アマノミナカヌシ)と言う」

と古事記には記載されています。
「高天原」の最高神とされている「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」も、この「天之御中主(アマノミナカヌシ)」のチカラによって、生み出されたと伺えます。

「光の世界」に存在する生命は、すべてが「天之御中主(アマノミナカヌシ)」のチカラで「神」となり、それぞれの神のチカラで私達は構成されている事が分かります。
そして、「光の世界」で創造される様々な神の大元が「大御神」であり、
いわゆる、「天照大御神(アマテラスオオミカミ)となるわけです。

神社内に於いては、鳥居の内側が、「天之御中主(アマノミナカヌシ)」のチカラが作用しています。
自分の中で新しい「神」を生むイメージを持ち、神社内を散策して下さい。


伊邪那岐(イサナギ)と伊邪那美(イサナミ)尊(ミコト)

イ(i)=5次元・現象物(カタ)・伝わる・陰・最小単位・電気粒子
サ(sa)=遮る・差・右回り
ナ(na)=7次元・核・重要なもの・何回も・変化
ギ(gi)=粒子・対向発生・エネルギー・動きと気

電気粒子が右回りで変化して粒子が対向発生する

イ(i)=5次元・現象物(カタ)・伝わる・陰・最小単位・電気粒子
サ(sa)=遮る・差・右回り
ナ(na)=7次元・核・重要なもの・何回も・変化
ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潜象と実質・粒子

電気粒子が右回りで変化して潜象(カム)の実質
となる


ノ(no)=時間をかける・新生命の発生・すべき方向・変遷して進む・持続する

時間をかけて、すべき方向に変遷して進む

ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潜象と実質・粒子
コ(ko)=9次元・繰り返し・転がり・入と出
ト(to)=10次元・統合・重合・向かい

潜象(カム)と実質は繰り返し重合する

生命粒子の左回りに対して、電気粒子は右回りで活動している事が分かります。
イザナギとは、電気粒子の右回りの活動が、生命の粒子性を創造している思念があります。
イザナミとは、電気粒子の右回りの活動が、潜象(カム)の実質を創造している思念があります。

潜象(カム)の実質とは、目に見えない世界の「ゆらぎ」や「周波」などの「波動性」と捉えています。

この2つの「粒子性」「波動性」が、それぞれに時間をかけて、すべき方向に変遷して進み、目には見えない光と生命の粒子が、繰り返し重合や統合をしている様子を指しています。

神話に於いては、伊邪那岐(いざなぎ)は男神、伊邪那美(いざなみ)は女神として「国生み」に登場しています。

「水の上に漂う油のような島に、矛(ほこ)を降ろしてかき混ぜて矛を上げたところ、矛の先端から滴り落ちた潮が重なり「於能凝呂島(おのころじま)」となりました。
二神はこの島に降り立ち、「天御柱(あまのみはしら)」を地面に挿して、柱を右回りで「伊邪那岐(いざなぎ)」は歩み、左回りで「伊邪那美(いざなみ)は歩み、出会ったところで次々と島を生み出して、「八つの島国」を生み、その後、「石の神」「土の神」「海の神」「風の神」「山の神」「穀物の神」を生み、最後に「火の神」を生み、伊邪那美は命を落ちしました」

また、「於能凝呂島(おのころじま)」へ行く前には、高天原で「天照(あまてらす)大御神」「素戔嗚(すさのお)尊」「月読(つくよみ)尊」を生んでいます。

この二神は、高天原の神としては七代目になります。
神話では、この二神の登場から「性別」が描かれ、性交渉や繁殖と捉える人もいます。
これまで、私のブログで「カタカムナ」を必読して頂いてる方には、予想がつくと思いますが、「水の上に漂う油のような」とありますが、これは「ミツゴの活動」を指しています。
そして、そこに刺激を与える事で、「粒子性」「波動性」が生まれ、それぞれの重合と変遷で、「陰・陽の電気粒子」が発生し、それぞれの自由な活動と「粒子性」「波動性」が重合して、一つに結ばれ「生命粒子」が誕生する、カタカムナの物理とリンクしています。

まさに、私達は「陰」と「陽」の結びつきで「今」に存在し、今後もこのメカニズムは変わらず続いて行くのではないでしょうか?

この二神がお祀りされている神社へは、こんな「2つの結び」と「生命の誕生」をイメージしての「参拝」をオススメします。


大国主(オオクニヌシ)尊(ミコト)

オ(o)=奥深い・環境・広がる
オ(o)=奥深い・環境・広がる
ク(ku)=引き寄せ・自由・解く
ニ(ni)=圧力・生命活動と存在・中和安定平衝・状態の存在

環境に奥深く広がる、自由な生命活動の存在

ヌ(nu)=突き抜く・貫く・潜象・計算不可
シ(si)=示す・現象・死

潜象から貫く現象

ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潛象と実質・粒子
コ(ko)=9次元・繰り返し・転がり・入と出
ト(to)=10次元・統合・重合・向かい

目には見えない光と生命の粒子が、繰り返し重合や統合をしている

この神には、カタの領域に広がる、全てのアマの生命活動を、「主(ヌシ)」のチカラと「尊(ミコト)」チカラにする特徴があります。
国や自身の領域に広がる、すべての生命粒子を動かす働きがあります。
その結果、国や自身の「本意」が創造され、「四相」が出来上がり、現象として現れて来ます。

大國主の神話はいくつかあり、名前もいくつか変えて登場しています。
「因幡の白兎」では、大穴牟遅(オオナムヂ)の神名で、八十神の兄弟がいます。

「八十神と共に、八上比売(ヤガミヒメ)に求婚をしに因幡国へ向かいます。
道中、八十神に虐められて、オオナムヂは遅れて向かっていました。
そこに皮を剥がされた一匹の白兎と出会います。
白兎は、隠岐の島からこの国へ渡るのに、数を使ってワニ(サメ)を騙し、そのカラクリが見つかって、皮を剥がされ泣いていました。
先行していた八十神は、海水に浸かると肌が治ると白兎に教え、浸かった白兎は、さらに肌の痛みを悪化させてしまいました。
後から来たオオナムヂは、そんな白兎に、真水で体を洗い、蒲(がま)の花の上に寝転ぶよう指示したところ、肌から白毛が生えてきて、元に戻りました。

その後、八十神と合流して八上比売(ヤガミヒメ)へ求婚したところ、選ばれたのはオオナムヂでした。
これに嫉妬した八十神は、帰りの道中にオオナムヂを殺してしまいます。

そして、オオナムヂの母親の刺国若比売(サシクニワカヒメ)が、高天原の神産巣日(カミムスビ)にお願いして、キサガイヒメとウムギヒメの治療で、オオナムヂは生き返りました。

生き返りを知った八十神は、さらにオオナムヂを殺します。
そしてこれを知った母は、もう一度オオナムヂを蘇らせて、木国のオオヤビコの元へ逃しますが、八十神はそこまで追い打ちをかけに来て、オオナムヂは、根之堅洲国(ねのかたすくに)にいる須佐之男(スサノオ)の元へ向かわせます」

まだまだ話は続くのですが、その後、アシハラシコヲと名付けられ、数々の試練が与えられ、何度も生死をさまよう場面があったり、ウツシクニタマと名乗り須佐之男の娘スセリビメとの結婚生活や、大國主(大國主)と名乗り、出雲国に大きな新居を構えて国造りをしたり、ヤガミヒメを愛人に持ち子作りをしたり、国譲りをするなど、多くのエピソードがあり、その都度立ち直り、様々な試練を乗り越えている事から、「再生神」とも言われています。

この神話には、様々な生命活動のヒントが盛り込まれており、何度も立ち直り進んでいる姿は、カタカムナの「フトマニ」(四相)を連想させます。
また、「数による騙し」は現代社会の矛盾にも通じ、「国譲り」も、変革している現在の様子を捉えているように思えます。

自分の人生の節目や、目標への覚悟、そして、国や組織の隅々までを動かす管理能力など、これらを祈願するには、「大国主尊(オオクニヌシミコト)」への参拝をオススメします。


須佐之男(スサノオ)尊(ミコト)

ス(su)=一方向へ進む・進行・進行中の思念
サ(sa)=遮る・差・右回り
ノ(no)=時間をかける・新生命の発生・すべき方向・変遷して進む・持続する
オ(o)=奥深い・環境・広がる

一方向に進み、右回りで時間をかけながら変遷して奥深い環境まで広がる

ミ(mi)=3次元・実態と光・生命の実体・潛象と実質・粒子
コ(ko)=9次元・繰り返し・転がり・入と出
ト(to)=10次元・統合・重合・向かい

目には見えない光と生命の粒子の、繰り返し重合や統合

イサナギ(粒子性)とイザナミ(波動性)によって、光と生命の粒子(電気粒子)が一方向に進み、重合や統合を変遷させながら右回りで進み、奥深い環境にまで広がっていくチカラの思念を感じます。

須佐之男(スサノオ)の神話では、天照(アマテラス)の静寂で光のある「女神」に対して、躍動感(静と動)があり、闇(黄泉)の世界を支配する「男神」として位置づけています。
この関係性も「陰・陽」であり、天照によるカタ世界の生命粒子に対して、「波動性」と「粒子性」がうごめく「闇」の電気粒子を感じます。

またスサノオは、イザナギが鼻を「すすって」生まれてきたとされています。
これも私が以前に考察した「呼吸」に繋がる表現であり、私達は様々な「呼吸」をすることで、伸縮しながら「トキトコロ」を創造すると言う、カタカムナの解釈との繋がりを感じます。

「スサノオが、高天原の天照に会いに行こうとした時に、天照はスサノオが攻め込んで来たと勘違いをして、高天原では武装をして対応しました。
スサノオは自分の潔白を証明するために、天照に辿り着く前に、数々の暴虐をしながら、潔白の誓約を神々と交わしていました。
恐れをなした天照は、「天之岩戸(あまのいわど)」に逃げ込み、この世から光が消えました。
そしてスサノオは、高天原の神々から追放されました」

この神話は、これまでに築いてきたものを崩壊して「闇」へ進む生命活動を示しているように感じます。
ヒフミの活動に例えるならば、「ヤ(極限)」が終わり、「コ(転がり)」の状態へ進む現象のチカラが、スサノオのミコトではないでしょうか?

私達の成長や進歩は、それまで築いてきたものを壊して、再構築しながら歩んで行くものです。
未来のため、自分の築き上げたものを一旦壊す勇気を与えてくれるのが、スサノオのチカラではないでしょうか?

そんな時期に参拝するのが、「須佐之男尊(スサノオノミコト)」をお祀りしている神社だと私は考えています。


神話「天之岩戸(あまのいわど)」

「須佐之男(スサノオ)」の話の続きとなるのが、「天之岩戸(あまのいわど)」神話になります。

高天原(たかあまのはら)での素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴振りに、恐れをなした天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、「天之岩戸(あまのいわど)」に隠れてしまい、世の中が暗闇になってしまいました。
これに困った神々が、試行錯誤して天照を岩戸から出し、世の中に光が戻った話です。

最初に、「常世長鳴鳥(とこよながなきどり)」を鳴かせます。(失敗)
次に、天鈿女(アメノウズメ)が、「招霊(おがたま)の木」の枝を手にして舞を踊り、他の神々も騒ぎたてます。(少し開きます)
そこで八咫鏡(ヤタノカガミ)を差し出して、騒ぎの現況を天照に見せます。
そこに映っているのが自分とは知らず、高貴で美しい神の存在を知ります。
直接見ようと天照が岩戸を開いたところを、「天之手力雄尊(アメノタジカラヲミコト)が一気に外に引っ張り出します。
そして、開いた岩戸は「太玉(布刀玉)尊」(フトタマミコト)によって、注連縄(しめなわ)で封印しました。
そして、辺りは光を取り戻し、暗闇で育たなかった食物や、病気が治ったりして、平和な「光の世界」に戻ることが出来ました。

「常世長鳴鳥(とこよながなきどり)」は、太陽を呼ぶ「鶏」で、時を告げるために鳴いています。
拝殿場所にある「鈴」や「太鼓」は、この「鶏」の鳴き声を模して、祈りの時を告げているのかも知れません。

八咫鏡(ヤタノカガミ)は、光の世界の見えない領域(カム)のヒ~ヤまでを、カタ世界に映し出して、生命体の「今」の現象を創造させます。

天之手力雄尊(アメノタジカラヲミコト)は、天照の世界で最も手のチカラが強い神とされています。
「タジカラヲ」の音にも、「独立と発生を示す現象で、チカラが奥から現れる」思念があります。
手のチカラにまつわる祈願が、オススメの参拝です。

「太玉(布刀玉)尊」(フトタマミコト)は、天照を天之岩戸から出すために、神々に様々な案を提供したり、良し悪しの判断を「太占(フトマニ)」(占い)したりするなど、知恵を司る神とされています。
音の響きからも、「潛象系(カム)が重統合して生まれてくる現象」の思念があり、頭脳を働かせるチカラです。

神主や占いなど、「所願成就」(神仏系)の祈願にオススメです。


お祀りされてる神々を把握する理由

神社参拝に於いて、各神社でお祀りされている「神」を把握することは、とても大切なことであり、自分のカム世界を創造して、カタ世界に現象を起こす為にも、必ず神のチカラ(作用)を把握する必要があります。
風邪を引いて外科に行っても、その治癒の効果は十分に発揮出来ません。

同様に、神(カム)世界を参拝する上で、何が目的で、何を祈願するのかを把握せずに神社へ行くのは、少々乱暴ではないかと私は考えます。

お祀りしている神(カミ)のチカラの、作用に適したイヤシロ、そしてイヤシチに建てられているのが「神社」ですので、神々の領域やチカラの種類、メカニズムやサイクルを把握する事は、自分を知る上でも、とても大切な事ではないでしょうか?

私はカタカムナを通じ、「音の響き」から「思念」を知り、古事記の解釈を神々のチカラの作用として、自身に置き換えて、「日常の暮し」や「神社参拝」を行い生命活動をしています。

今ではインターネットを通じ、神々の神話を分かりやすく簡単に把握することが出来ます。
物語として捉えると、ストーリーや描写が滑稽(こっけい)すぎて、意味不明となりますが、「神名の音の響き」描写を「四相」として捉えることで、その真意がとても分かりやすく把握出来ます。

古より伝承されている「神社」ですので、これを活用して、自分だけの生命活動を満喫して行きましょう。



自分を知らずに、社会の流れだけを気にして生きる事は、非常に苦しいものです。
それは、自分の意思を持たずに、誰かのためのロボットとして、存在してるに過ぎないからです。
一つの生命体、一つの個性、一つの命としての自分を、自分自身で労(いたわ)り、自分自身で大切にしていく事が、自分の「カタ」と「カム」を結びつけながら「生きる」と言う事です。
カム世界の学校や病院にあたるのが「神社」であり、学科や専門科医にあたるのが「神」となります。


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