概念(concept)と感覚(feelings)
私達は、「今」(イ)の時代に合わせた、都合の良い「常識」の中で、賢明に生きています。
そしてその中で、「矛盾」と言う「ストレス」を感じながら、日々の生活を送っている人は、少なくないと思います。
また、その「矛盾」があるからこそ「進化」があり、「ストレス」があるからこそ、「願い」や「欲」など、「希望」が生まれて来るのではないでしょうか?
カタカムナの観点で、有効且つ、効果的な「神社参拝」を行うためには、私達が敗戦後から教育されている「常識」を一旦「無」にして、「概念」(concept)を捨てて、自分自身の「感覚」(feelings)を有効にしなければなりません。
また、あなたの「感覚」(feelings)は、あなた自身のものであり、良いも悪いもありませんし、誰かに合わせるものでもありません。
自分の本質で「神社参拝」をする事が、自分の望む環境を創造していく事に繋がります。
上書き(overwrite)
私達は、日々「上書き」(overwrite)しながら生きていることは、みなさんも実感していると思います。
「アップデート」(update)を、その瞬間、瞬間に行い、最終的に「アップグレード」(upgrede)をして、それぞれの感性と、それぞれのスピードで人生を過ごしています。
これをカタカムナ的に表現すると、
ヒフミヨイ「マワリテメクル」 → アップデート
ムナヤコト「アウノスヘシレカタチサキ」 → アップグレード
となります。
そして、現代の私達が敗戦後の教育によって、大きな「概念」(concept)に囚われてしまっている一つに、「1+1=2」と言う、数学的概念があります。
この数字の概念で、社会やみなさんは、様々な事を計っていませんか?
あまりにも、数のチカラによる概念が強すぎて、今では、あらゆる事を数字で表す常識となり、それが信頼となっています。
その結果、政治や経済、社会生活から学校や家庭に到るまで、全てが数のチカラによるルールで成り立ってしまい、私達の生命粒子の活動も、数に合わせる「四相」の上書きとなり、偏った「フトマニ」をしています。
そして、権力者や統治者に合わせる環境を創造してしまい、「1+1=2」の概念の上書きで生命活動をする結果となり、「個」に合わない環境を創造し、「ストレス」や「争い」の現況となってしまっています。
私達生命体は、目には見えないカム世界に於いて、「浄化」→「清潔」→「無」→「変化」の順で、フトマニをしています。
そして、これは他人に合わせるものではなく、自分の個性に合わせて行う活動ですので、本質を持って行えば、矛盾によるストレスは生じて来ません。
集団社会では秩序を保つ為に、自分を抑えて、他人に合わせた行動は必要ですが、「個」の生命活動は、自分自身の活動であることを、ここでもう一度、認識して下さい。
生命活動の「アップデート」と「アップグレード」
私達生命体は、「尊(ミコト)」「主(ヌシ)」「神(カミ)」の働きによって、自身の「天照大御神の領域」を「アップデート」(update)しながら「アップグレード」(upgrede)しています。
この「アップデート」(update)や「アップグレード」(upgrede)の方法は、上書き(overwrite)で述べたように、「浄化」→「清潔」→「無」→「変化」の順で行っていきます。
「1+1=2」の上書きではありません。
浄化(purification)とは、雑念を除き、本来の自分の性質に戻したり、自分の望みを明確にする事を指します。
決して「無」にすることではありません。
雑念やヨゴレを取り除き、浄化された「思い」や「願い」は、清潔(clean)となり、純粋で本質の「四相」を持つ生命粒子だけを、自身のカム世界に残します。
これは、「思い」や「願い」を創造する「主(ヌシ)」を、明らかにする作業でもあります。
そして、次に行うのが「無」(Nothing)です。
「無」とは決して「0」にする事ではありません。
純粋な「四相」を構成している生命粒子を、「電気粒子」レベル」まで自由に散らし、「闇の世界」を創造する作業です。
これは天照の「光の世界」から、「尊(ミコト)」の活動を停止させ、清潔(clean)にした「四相」の主(ヌシ)のカタチを、崩して散らすイメージです。
この時、それまでの「四相」(主)の生命粒子が、極限(ヤ)に達していれば、この後は「アップグレード」(upgrede)して、新しい「神(カミ)」の「生命」と、その「主(ヌシ)」へと変化して行きます。
まだ、極限(ヤ)へ向かう途中であれば、「アップデート」(update)して、変化しながら極限(ヤ)へ向かっていきます。
また、闇の世界(通称ダークマター)を創造する方法は、その「思い」や「願い」を意識をしない事がコツとなります。(無意識)
素粒子や量子力学的観測となりますが、素粒子には、「光」と「闇」の粒子が存在していることが理論上成立しています。
なぜ理論上かと言うと、「光の世界」の粒子は観測出来るのですが、「闇の世界」の粒子(通称ダークマター)は、観測しようとすると、「闇」が無くなり、光の粒子となってしまうからです。
これは、人が意識(観測しよう)をすると、「闇」が消えて「光」に変化することを立証しています。
ですので、「思い」や「願い」を叶える為に、「アップグレード」(upgrede)や「アップデート」(update)を行うには、一度、無意識となり「闇」を造る必要があります。
そして、純粋で本質だけの電気粒子(マカタマ)が、「伊邪那岐(イザナギ)と「伊弉諾(イザナミ)」の「尊(ミコト)」の活動によって、「生命粒子(ミクマリ)」が生まれて、変化した新しい「四相」(フトマニ)が「主(ヌシ)」のチカラによって活動し、結果「神(カミ)」が創造されて、「思い」や「願い」の環境が、現象(カタ)に創造されます。
忘れた時に何かが訪れ、諦めていた事が、後に叶えられたりするのは、無意識となり「闇」を作り出した事により、起きる現象です。
また、思っていたら、何か(誰か)が訪れる現象も、自分では無意識に「闇」を作り出して期間があったので、現象化して現れてきます。
私達は、日常の暮しの中でも、このようなカタカムナの活動を、無意識に行い、日々の上書きをしながら生活しています。
そして「神社」と言う空間(イヤシロ)で、これらを意識的に行うことで、自分に合った、自分が望む環境に「アップグレード」(upgrede)や「アップデート」(update)して行くことが出来ます。
概念(concept)
冒頭でも少し述べましたが、現代社会では、様々な概念(concept)が全体に広がり、その中で私達は生活しています。
ただし、政治、経済、教育、医療、報道、マスコミ、宗教など、全ての業種が、「お金を稼ぐ」と言う「概念」で作られている事に、お気づきになっているでしょうか?
国民の為、子供達の為、患者の為、視聴者や信者の為など、表向きの概念を信じ込ませて、その本意は「お金」を目的とした社会が、少なくとも敗戦後からは、この国全体の「概念」(concept)になっています。
そして、表向きの概念を信じる人々が、その犠牲者となり「お金」に苦労し、「お金」が目的ではない「少数」(minority)人達は、「異端」として扱われ、その存在すら受け入れては貰えない時代となってしまっています。
私は、お金を稼ぐ目的が悪いとはけっして思いませんし、今の時代には必要不可欠な「アイテム」だと思っていますが、この過度な「概念」が、カタカムナで説明すると、「ヤ」(極限)の到達を加速させてしまいました。
ですので、今は「コ→ト」を歩んでいます。
その証拠に、古い体制の崩壊、自然環境の変化が進んでいます。
ここで一番大切な事は、この「概念」(concept)による「常識」を作ったのは、私達自身であると言う事です。
この国の何%の国民が、「お金」と言う「概念」(concept)で、「欲しい=今は無い」と言う「四相」で、フトマニをして来たのでしょうか?
その結果が、「今(イ)」の現象を創造しています。
今後は、現在も含めて「コ→ト」を歩んでいる私達ですが、ここまでに説明した通りに、私達は社会に於いても、個人に於いても「闇の世界」へ向かっています。
これは、「アップグレード」(upgrede)や「アップデート」(update)をする活動です。
では、次のサイクルで、「自分の望む環境」を創造するためには、どのようにして、「闇の世界」へ向かえば良いのでしょうか?
科学的概念
私達の体は、約60兆個の細胞で出来ており、60%の水と炭素、酸素、水素、窒素、カルシウム、リン、カリウム等の「原子」で構成されています。
そして、これら原子の結び付きで、様々な「分子」が作られ細胞となり、さらにそれらの結び付きで、肉体が構成されていると言う理論です。
いわゆる、これが私の言っている「1+1=2」の数学的概念です。
難しい詳細話は控えますが、これまでの常識は「原子」が最小の物質であり、世の中の大半は「原子理論」に基づいて「常識」が作られて、大半の人々も、それが「正解」だと「洗脳」されています。
しかしながら、最新の科学では、原子よりも極小である「素粒子」が主流であり、これが「量子の世界」で、カタカムナの「神(カミ)」や「尊(ミコト)」や「主(ヌシ)」とリンクしている理論です。
簡単に言うと、素粒子の「波」や「ゆらぎ」による周波に、「電子」が加わる事で、全ての物や現象が創造されていると言う理論です。
そして、素粒子は「光の世界」と「闇の世界」に存在しており、「闇の世界」を観測しようとすると、「光の世界」になってしまい、「闇の粒子」(通称ダークマター)の発見が出来ないと言う結果になっています。
この結果、量子の世界では、意識(観測)をする事で、素粒子は「光の世界」で活動を行い現象化し、無意識でいると「闇の世界」となる事が、分かり始めました。
単に、物事(数)を積み重ね、数によるチカラの概念は、今となっては表面上に過ぎず、ごまかしの「常識」が広がっています。
現に、今の若い年齢層では、外見と数によるステータスがまん延しており、本質は二の次になっています。
まさに「1+1=2」の数学的概念は極限(ヤ)を向かえており、時代は「コ→ト」を始めています。
今後は、「ナミ+ゆらぎ=広がり(無限の光)」「広がり(光)ーゆらぎーナミ=深層(闇)」と、2極化の概念が「常識」になっていくと、私は考えています。
感覚(feelings)
神社参拝に関わらず、自分の「思い」や「願い」を叶えるには、一度「闇」(無意識)を作る必要があります。
まずは、無意識になる前に、私達はどのようにして意識しているのかを、簡単に説明します。
みなさんは、自分の事をどこで感じ、どこで考えて、どこで決断していますか?
そして、これらを意識して行動した事はありますか?
私達は、前文でもお話ししたように、約60兆個の細胞で構成されています。
そして、この一つ一つは「闇」から生まれた生命粒子なのです。
この一つ一つが、それぞれの性質と役割を「神経」を通じて、電気粒子が中枢神経に向かいます。
全身から集まった、それぞれの性質をもつ電気粒子は、中枢神経を通り頭の中にある「松果体」に向かいます。
その後は、「松果体」からそれぞれの脳に振り分けられて、私達の意識となって、感情や決断をしています。
そして、その速度は毎秒120mあり、実際に起きている事と、自分の意識にはタイムラグがある事が分かります。
また、衝撃的な事を感じると、胸のあたりが「キュン」としたり「ムズムズ」するのは、全身から一気に電気粒子が中枢神経に集まって来るので、周辺にある胸のあたりが、このような感覚になります。
これを私達は、「心」として認識しています。
これらの事から、私達は「脳」で何かを感じているわけではなく、全身で感じた事を、時間差で「脳」で認識しているに過ぎません。
そして、脳で認識した事を、意識したり、無意識的でも行動をしながら現実として受け入れています。
そこで、瞑想やリラクゼーションなどによって「無」を体感することは、「闇」へ近づく最善な方法であり、「闇」から戻った全身の生命粒子は、洗練された状態にあるので、脳が認識した時には
・セロトニン
・オキシトシン
・ドーパミン
等の成分が作られて、幸せに近い現実を創造しています。
感覚(feelings)とは、けっして「脳」で感じるものではなく、全身の細胞で感じている事なのです。
また、意識(観測)をすることで、闇から光へ変貌する事を伝えましたが、私達は意識をする事で、その環境に近づいて行きます。
叶うか否かは、自分自身の「フトマニ」を、いかに「闇」を通して本質にしていくのかが決め手となりますが、脳で考えたことが本質ではなく、全身の細胞で感じた事が「本質」である事を認識して下さい。
ですから、神社の参道を歩く時には、その景観を全身で感じる事が大切なのです。
なぜなら、全身で景観を感じている事で、自分の「願い」や「思い」を「闇」にするからです。
何かに集中している時に、極限(ヤ)を向かえ、集中が途切れて来たり、前に進めなくなる時があります。
この時、みなさんは休憩を取り飲食をしたり、別のジャンルの事をして、一旦物事を忘れます。
この「リセット」をする行為が、「闇」を創造して、新たな進捗をする事に繋がります。
誰もが日常的に行っている事で、あたりまえの感覚ですが、大切なことは、誰かに合わせるのではなく、自分の感覚を優先する事です。
なぜなら、せっかくの「闇」作りが、他人に合わせる事でストレスとなり、リセットではなく、上積みになってしまうからです。
神社の存在
日常でも、多くの「カタカムナの活動」をして、日々「フトマニ」をしながら、私達は「ヒフミヨイ」を「マワリテメクル」して、「神(カミ)」のメカニズムで生きています。
「トキトコロ」は様々な所に存在していますが、私が「神社」の空間を「尊く」感じる理由には、いくつかあります。
一つ目は、「イヤシロチ」を利用している所です。
これは土地(大地)から出ている電気粒子で、とても静寂な性質を持っています。
まさに「闇」を創造し、新しい生命粒子を生み、純粋な「四相」を作り出すには最高の環境です。
いくら音楽や外観などで「癒やし」を演出していても、駅前などの「ケガレチ」の電気粒子上では、その本質が発揮出来ません。
また、現代では神社の数も8万8000社以上ありますので、全てがイヤシロの地にあるわけではありませんが、外観に影響されずに、全身で感じる習慣が身に付くと、どなたでもイヤシロを見分けられると思います。
二つ目は、「鳥居」「狛犬」「注連縄(しめなわ)」「紙垂(しで)」などの神社に設置してあるアイテムです。
これらには全て役割があり、それらを細胞レベルの感覚で体感する事により、自分の電気粒子を動かして「闇」を創造して、新しい生命粒子を「フトマニ」するように設置されています。
これらはただの「石」や「木」や「紙」に過ぎませんが、役割と意味をイメージして、その感覚を研ぎ澄ませる事により、私達の体には微量の電気が流れ出し、その時に意識している、目的に合わせた「四相」を刺激出来ます。
それが素粒子の動きであり、「量子の世界」の活動になります。
各設置物の意味や役割は、先行して、
~よしなお的~カタカムナで味わう「神社参拝」
に記載してありますのでご覧ください。
「カタカムナウタヒ」に描かれている内容を読み解き、神名の活動を把握する事で、量子の世界が見えて来ます。
そして、量子の世界観で神社を考察すると、私達、生命体の活動領域が見えて来ます。
私達は、最先端科学の「量子」を研究する事で、古(いにしえ)から続く「神社」の存在を解明する事が出来、これを結びつける「カタカムナウタヒ」とは何なのか?
そして、私達は古代へ向かって、進化しているかのような「錯覚」に陥りそうですが、これがまさに「マワリテメクル」現象ではないかと、私は感じています。
今回は、あまり神社の内容には触れず、感覚(feelings)に関してを、「カタカムナ的」や「科学的」に説明致しました。
現代社会の概念に偏り、偏った感覚(feelings)のまま「四相」をフトマニしていくと、偏った現実が現象として創造されてしまいます。
自分が望む現実を創造する為に、生命体の感覚(feelings)を取り戻し、神社参拝を有意義にして下さい。
あなたからのサポートをお待ちしております…そのサポートにより、わたしは一人でも多くの人に「勇気や元気」を与え、そして「何かのきっかけ」になれる事を目指します。共鳴共振出来る人たちと、お互いに協力しながら歩んで生きたいです…あなたからのサポートをお待ちしております。