Yo Tashiro

サーフ&ウォーターフォトグラファー。 自身の宿を作りたく、2019年7月〜宮崎移住。 …

Yo Tashiro

サーフ&ウォーターフォトグラファー。 自身の宿を作りたく、2019年7月〜宮崎移住。 元消防車をキャンパーにリビルド。Instagram→@yo_tashiro_

最近の記事

One life, Live it.

2022年12月。3年半住んだ宮崎を離れ、オーストラリア・ケアンズに来た。 もちろん日本とは逆の季節。肌に刺さるような強烈な太陽と、少し動けば汗が滲む真夏の気温。少し前まで着ていたダウンジャケットはバックパックの奥に仕舞い込み、半袖短パンにサンダルの格好でプールに向かう。 そこでは2〜3歳の子供から熟年夫婦の老若男女、地元の人たちから観光客までみんながこの季節を待ち侘びていたとばかりに想い想いの時間を過ごしている。 僕は約3年前に宮崎でカメラを始めた。 きっかけは「優しい人

    • なぜ僕はサーフィンの、海の写真を撮るのか

      あまり人に話せなかったこと。 タイトルに書いてあることを、僕のサーフ仲間であり、友人である Annie(アニー)にインタビューしていただきました。 お時間あれば、彼女の素敵な取り組みも含めて、ぜひ読んでみてください。

      • 心の病気になった僕の親友

        親友が心の病気になった。 重度の適応障害。 本人が好きだった仕事を辞めざるを得なくなった。 彼は、頑張りすぎるくらいの頑張り屋。 常に周りのことを考え、自分よりもチームを優先し、人に優しく自分に厳しく、誰からも愛される人間だった。 僕が何かに迷ったり、悩んだりした時にいつも真っ先に相談していた人。 その度に、僕の心が全て読めているんじゃないかと思うくらい分かっていて、そのときに欲しい言葉をくれていた。 一緒に前の職場で働いていた時も、楽しいときに一緒に楽しむのは当たり前

        • キャンピングカー作りと家族の時間

          2月から開始したキャンパー作りが終わった。 ↑ 元消防車の日産ダットサン トラック 1992 NISSAN HARDBODY 4×4 5MT 車にある模様は当時の職人さんによる手書きのもの。これは消せない。 外装は防水と強度UPのためFRP加工しています。 重量は300kgほど。 ただ、こんなものがあればいいだろうなぁと思いついてから1年。 手つかずの美しい海山川の自然と、ほんと〜うに優しい宮崎の方たちに囲まれて過ごし、僕の心がおじいちゃんになったからなのか。 数

        One life, Live it.

          スリランカから帰ってきて。

          2020年2月。冬の日本から常夏のスリランカへ。 行き先は「Sunshinestories」という14人しか泊まれない小さな宿。 空港から電車で4時間以上と、お世辞にもアクセスがいいという場所ではない。 ↓こちらがホームページ https://sunshinestories.com ↓インスタグラム https://www.instagram.com/sunshinestories/ 高層ビルやどでかく開発されたリゾート施設は無く、主な道路は1本だけで、地元の人で溢れ

          スリランカから帰ってきて。

          A day in Miyazaki.

          宮崎に引っ越して2ヶ月がたった。 夏のど真ん中に来て、気づけば今は秋にさしかかり、柔らかい夜風が優しく部屋を通り抜ける。 当初はホステルの物件もほぼ決まりかけていて、事業計画書、収支計算書から部屋のレイアウトの資料作成に没頭していた。 役所、銀行や国政金融公庫、宮崎に移住して起業した人たちなど、あらゆるところで融資や創業の相談をしていた。 何もかもが初めてで、相談しに行く前は会話に詰まらないように専門用語をGoogleで調べて、少しでも不安と緊張に膜を張ってから行ってい

          A day in Miyazaki.

          大学を休学し、モロッコでサーフィン三昧。

          2018年12月末。3ヶ月間ロシアからポルトガルまで旅をして、ヨーロッパ調の街並みにもの新しさを感じなくなった頃。 当時、クリスマスムードのヨーロッパから一転、イスラム教国家のアフリカ大陸はモロッコへ。 空港からローカルバスに乗り込み、直接向かったのはモロッコの代表的な観光都市、マラケシュ。 毎日何万人もの観光客が押し寄せ、モロッコ商人たちの腕が鳴るフナ広場にいた。昼はお土産の屋台が立ち並び、夜のなると広場一帯にこの街全ての屋台が集結し、仕事終わりの地元民や旅人の胃袋を満た

          大学を休学し、モロッコでサーフィン三昧。

          サーフィンに出会った冬。

          僕がサーフィンを始めたのは22歳になったばかりの12月のバリ島。理由は単純。日本が寒かったから。と、自由を楽しむサーファーたるものに憧れていたから。 当時の僕は大学を休学していて、フィリピンとアメリカに語学留学後、南米をバックパック1つで縦断。その後、東京の古民家ゲストハウス「toco.」で住み込みスタッフをしていた。 大学をもう1年休学するか、復学して就職活動をするか悩んでいた。 その時、「toco.」を運営する株式会社Backpackers' Japanの代表のヒロ

          サーフィンに出会った冬。