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キャンピングカー作りと家族の時間


2月から開始したキャンパー作りが終わった。

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↑ 元消防車の日産ダットサン トラック
1992 NISSAN HARDBODY 4×4 5MT 

車にある模様は当時の職人さんによる手書きのもの。これは消せない。

外装は防水と強度UPのためFRP加工しています。

重量は300kgほど。

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ただ、こんなものがあればいいだろうなぁと思いついてから1年。
手つかずの美しい海山川の自然と、ほんと〜うに優しい宮崎の方たちに囲まれて過ごし、僕の心がおじいちゃんになったからなのか。
数年前まではバリバリに持っていた有名になりたい、女の子にモテたい、お金を稼ぎたい、の男子の3大欲求とはちょっと違う、まるーい気持ち。

1日の始まりに海へ行けば笑顔であいさつが交わせたり、帰り道に花を摘んで住まいに彩りをつけたり、作りすぎたケーキを御近所さんに分けあったり、季節の香りで目が覚めたり、育てた野菜を焼いて塩をかけただけなのにはちゃめちゃに美味しかったり。
思い返すと、小学生の時の将来の夢が「早く退職しておじいちゃんになって縁側でとうもろこしを七輪で焼きながらビールを飲む」だったなと。笑
もうすでにその領域に足を突っ込んでいる気はするが、あの豊かな暮らしが僕の心から余分な欲求をなくしていったんだと思う。


宮崎ではなく実家のある兵庫に戻り、仕事も辞めて、幸せ満点チルチルサーフィンライフからも離れ、倉庫でひとり黙々とキャンパーを作る毎日。

このタイプのキャンパーを作るにあたって、ずっと憧れていたカリフォルニア在住のアーティストJay Nelsonの解説なしには成し遂げれなかった。
Much respect him. 



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ほぼ全てが初めての作業で、「何が正解かなんか、わからんわ!やってまえ!えいやえいや!」と自分で自分を奮い立たせないと丸ノコひとつ扱えなかったド素人。作っている間は最高に楽しかったが、最初の1歩目はいつでも怖い。

板一枚張り合わせるのに本当にベストな方法なのか、もう少しYoutubeで調べてから決めようか、これ使い勝手あんまり良くないんちゃうん?などなど悩んでは考える。
そうやってぐつぐつ考えが煮込まれて、最後に残ったものが見えるかどうかのところで決まって「とりあえずコーヒー淹れよ。」となり、1時間くらいぼけ〜っとラジオ休憩してしまう性格なのだからこりゃ進まない。

だけどいざ、えいや!っとやってみると「お。意外に行けるやん。」とそれまでの不安が嘘のようになくなっている。その繰り返し。


使った木材の98%くらいは廃棄物処理場や解体でもらってきた廃材たち。Google Mapに載っている会社にかたっぱしから「廃材ください!」とお願いしに出向き、温かいご厚意で集まった燃やされるだけの運命だった木たち。

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形は不揃いで、ユンボで挟まれた跡傷や割れてしまっているものも当然ある。
だけど、捨てるなんてもったいない!彼らにも次の行き場所はまだあるだろうし、また命を吹き込みたいとちょっぴりカッコつけたい自分もいた。ド素人が木を買うお金がないだけなんですけどね。


そうして大量の廃材を使える部分は切り出し製材。残ったものは暖を取るための薪にした。節目が剥き出しで、擦り傷があったりする彼らは完璧に綺麗な木材とは言えないが、僕から見たら歴史を吸い込んだ最高にかっこいい木材と言える。
木に書かれた文字や刻みを眺めてると「前はどこかの柱だったのかな。どんな家でどんな人が暮らしていたのだろう。」と想像が廻り、気持ち良くなってくるとお決まりのコーヒーブレイク。1時間経過。

近所の工務店に廃材を譲って欲しいと伺った時、社長さんから「新品買うたらええやんか。そんな高い買い物ちゃうしボロいの使わんでもええやろ。」と、ごもっともなご意見。
「いや、違うんですよ。要らない物なんてないんです。」と言った自分。貧乏性。
結局その場ではもらえなかったが、後日「このコンテナの中のやつなら好きなだけ持って行ってええよ。」と言っていただき、その木々は床材として大活躍。
ありがとうございました!

そうして朝から夜までトンテンカンテンすること2ヶ月半。何とかある程度は遊べて、雨が降っても気持ちよく眠れるものが作れたと思います。

ようやくひとつ、自分の中で考えてたものが形になり、あんなものでも達成感でビールが進む。
これでみんなとサーフキャンプとか行きたいですね。

p.s. 「スッゲー!」と目を輝かせてくれた学校帰りの小学生たちや散歩がてら「あんたはええなぁ〜。頑張りや!」と地元のじいじ&ばあばには大変救われました。こんな者に温かい言葉、ほんまにおおきにです。


そして、ここに1番書きたいことは、実家の家族のこと。

実家には両親の二人暮らし。
共に学生を卒業後、公務員一筋。この3月で退職まで務めた。

大がつくほどの真面目な2人はこんな自由奔放な息子に「好きなようにやったらええ」と背中を押し、毎日ご飯を作ってくれ、たまにはひと息つけよとYouTubeで覚えたばかりの豆から挽くドリップコーヒーを淹れてくれた。1hour。

僕は高校卒業から実家を離れ、それ以来、東京と宮崎に住んでいた。
たまに帰省しても2、3日過ごすだけ。
18歳からこれまで1週間も一緒に過ごさなかった。

転機は去年10月。
宮崎に移ってから初めて帰省した時だった。

こんなことを言うと怒られてしまうかもしれないが、シワの数が増え、髪も銀色が目立つようになっていた。
ちょっと動いただけで、大きな息を吐いていた。
もの忘れの回数が多くなっていた。
少し、背中が小さくなっていた。
避けては通れない、両親の老いを感じた。


これまでの自分の中の完璧な両親のイメージが崩れていき、心の中に感じたことのない気持ちが生まれた。


人は、どう方向を変えても死にむかっている。


地元を出た理由を、僕はこれまで友人たちには
「学校帰りの田んぼ道で歌を歌っていると虫が口の中に入るから。都会やと虫おらんし。」と言っていた。
本人たちには言えないが、実のところ喧嘩ばかりしていた両親から離れたかったから、なのかもしれない。

幼少期の頃から両親が仲が良かった記憶はあまりなく、家族旅行に行っても喧嘩していたシーンがよく思い出される。
2人いる姉も、おそらく僕と同じようになんとも言えない不安な気持ちを奥歯で噛み締めていたのだと思う。
ちなみにこの10月の帰省時にも変わらず小さな喧嘩を繰り返していた。
当時は退職がお互いに近づいており、この先ずっと2人とも家にいることになったらと考えると、子供ながらにも心配が勝つ。。


一人暮らしやシェアハウスでの生活はそれなりの苦労はあったが、楽しく暮らせていた。正直に言うと、あの不安な気持ちを感じないでいられる距離感が当時の僕には心地よかった。


キャンパー作りも地元ではなく宮崎か長野でやろうと思っていて、実際、宮崎では知り合いの空き地を使わせていただけることもできたし、長野ではキャンパーの師匠の元に弟子入りする予定でもいた。


だけど、あの親の姿がずっと心に引っかかっていた。


僕は現在、健康で元気な26歳。一般的な社会人なら部下ができたり、仕事を任される場面も増え会社内で独り立ちをしている頃だろうか。


このままの距離感で1回しかない家族の時間は進んでいっていいのだろうかと考えた。

きっと僕が今このタイミングで両親と暮らすことは大きな意味がある。

受けた愛は生きてるうちにしか返せない。

そういう思いでキャンパーが完成するまでの間、実に8年ぶりに家族と一緒に暮らすために実家に戻ることにした。


最初は少し変化した家でのコロナルールにドギマギしたが、やはり家族。8年経っても両親の変わらない愛情を全身で感じた。
この2ヶ月半、本当に毎日が愛おしかった。
父親が僕の知らない亡くなった叔父の話をしてくれたり。
母親が小さい時から大学生の時の話も聞いた。
一緒に畑仕事をしたり、クラシル見ながら晩ご飯を作ったり、朝ドラで泣いたり。
焼きたてのトーストとあったかいコーヒーをみんなでフウフウ言いながら食べる朝があるだけで幸せだなと思えた。
そして、2人は嬉しそうだった。


これまで僕は自分のやりたい事を最優先に生きてきた。
そのために家族や恋人と離れようが関係ないと思ってきた。



僕はまだ宮崎でやりたい事がある。だから実家にはずっと居られない。
けど、これからはやりたい事の側に、できるだけ家族も居てほしい。
居られるような環境を、暮らしを作っていきたい。


という事で、キャンパーの次は宮崎に家を作りたいと思います。笑
お金はないのにやりたいことは増えていく。。笑

基礎からの新築とかではなく、古い家を直して住めるように。
ひと月の半分くらいは宮崎で家族一緒に暮らせるように。
家族がいない期間はリモートワーカーが宮崎でのライフスタイルに溶け込みながら自然の側に滞在できる場所に。

なので、どんなにボロボロでも空いている家があればぜひこちらまでご連絡ください。直して住みます。笑 
今は宮崎市内に住んでいますが、もっと南の日南や串間あたりで探そうと思います。あの辺りは初めて宮崎に来たときに土地の力を感じた場所。

この先どんなご縁があるのかわからないし、一般的な社会人のレールから外れてしまっているので正直たまに不安を感じる時もあるが、それさえも楽しんで日々を暮らしていきたい。だって、人はどうにでも生きていける。
目の前のFLOWに乗りながら、自分のビジョンを信じて。


さあ、宮崎に帰ろう。


p.s. (2回目) サーフフォトも頑張りたい!
宮崎のみなさま、また海でのご教授をよろしくお願いします!

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