②激ヤバあいさつ運動(過激派)②

いつかの記事で「ギャル最強説」みたいな話を書いたが、この説もあいさつ運動の影響を受けている。



中学でも高校でも

①明るくあいさつをしてくれる人
②会話をしてくれる人
③無視
④あいさつされないように大回りする人

のだいたい4タイプに分かれる。
(中には速度を緩めず自転車で笑いながら突っ込んでくるサイコパスフレンドもいる)



ギャルは①か②だ。
マジで例外がない。
友達同士の会話の途中でも、ギャルはこちらを向いて元気な声で明るいあいさつを返してくれたり、「かいちょーおつかれ〜」なんて声をかけてくれたりする。
ギャルはいいやつなのだ。


明らかに僕のことを見下してあいさつもせず素通りしていく輩もいる。
朝早くで気分が浮かないのもわかるが、少しはギャルを見習ってほしい。
(もしくは僕個人のことが超嫌いという可能性もある)


大会の結果を報告してくれたり、英検の意気込みを教えてくれたり、中には恋愛相談までしてくれた子もいた。
父性溢れる。パパ感動だ。



高2か3の頃(あいさつ歴5~6年目)あいさつ運動により僕は青春(アオハル)を終えた。
つまり、他者を観察しすぎることで自分自身の
客観性を得た。


僕の持論だが、今が青春だと気付いた瞬間にアオハルは終わる。
主観性こそアオハルのコアだ。
痛いって思われるかも、ダサいって思われるかも、、、アオハルにそんな戸惑いはない。
全能感がなくなり周りが見えるようになる。
アオハル終了のチャイムが鳴った。
まあだからどうというわけではないのだが、ただそうだったというだけだ。



もうあいさつ運動なんてする機会はなくなってしまったが、あいさつは毎日する。
(大学であいさつ運動をしようかとも思ったが不可能に近い。生徒数が多すぎて顎だけムキムキマンになってしまう)
あいさつは人間が生み出した社会の中で、自分が気持ちよく生きるためのツールなのだ。


人は、あいさつひとつで自分が思っているよりも多くの情報を受診する。
顔色、声色、姿勢、タイミング、勢い、声量などその人を表すのには十分だ。

そこから上司の機嫌を伺ったり、友情が生まれたり、恋が芽生えたりする。


最近はいただきますも言えない猛烈にダサい大人もいるが、食べ物へのあいさつも忘れずにいてほしい。
あとついでにギャルへの偏見もやめてほしい。


どうも。 サッと読んでクスッと笑えるようなブログを目指して書いています。