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【断片小説】東京の術師たちの物語④

 宵月と呼ばれた男は跪き頭を垂れる四戸を黙って見つめる。ひんやりとした空気が張り詰めるのがわかった。宵月が発する気だろう。だがその矛先は俺ではなく四戸だ。
 顔を伏せている四戸の表情は分からないが、手がかすかに震えている。俺のソファで優雅に図々しくも自分で珈琲を淹れて飲んでいたあの四戸が震えてるなんて、この宵月と言うか男はどんなに恐ろしい人なんだ?というか、そもそも人間か?人間にしてはあまりにも神々しい。それに、何となく懐かしい。会ったこともない相手に対してこんなことを思うのはオカシイことだが、俺の体が、俺の魂がそう言っている気がしてならない。
 俺はいつの間にか宵月を見つめていた。俺の視線に気づいた宵月は四戸から俺に視線を移す。張り詰めていた空気は溶けて暖かな木漏れ日のように心地いい空気に変わっていく。
 アホみたいなこと言うけど、宵月の周りにキラキラしたものが見える。ような気がする。体が動かない。宵月の酷く美しく整った顔が次第に近づいてきた。金髪の前髪が垂れて顔にかかるが全く鬱陶しそうに見えない。見惚れてしまうほどだ。そして緩慢な手つきで片手を差し伸べられる。金髪から覗く真っ赤な双玉から目が離せない。薄く艶のある唇が弧を描き俺の名を呼ぶ。
「会いたかったぞ、工。」
「…。」
 いやいやいやいやいや、誰だよコイツ?!宵月様って誰?!何で俺の名前知ってるの?!何で俺をそんな愛おしそうに見るの?!少女漫画か?!やめろ!俺は男だ!たぶんコイツも男だ!ていうか何だよこの状況?!?!?!?!
 俺は困惑した。そして後ずさった。それを見た四戸が「ヤバい」という顔をしていた。そうだよ、やべーよ、何だよこの少女漫画みたいな展開は?!俺はこの居心地の悪さと混乱で声を大にして目の前の宵月に言った。
「誰だお前?」
 俺の言葉でこの部屋の時間が止まったかのように思えた。宵月の周囲にあったキラキラは消え、赤い双玉は光を失い、差し出された手空を切りだらりと落ちる。
 そして四戸は「ならぬ」という顔をして手をこちらに出しかけて固まっている。
 俺以外固まっている。俺は起き抜けの布団の上で宵月を見上げて宵月の返答を待つと。口を小さく開いた。
「俺が、分からぬのか…?」
「…知らない。」
 俺の答えを聞いて宵月は狼狽える。
「そんなはずはない…お前は俺と共に何度も過ごしただろう、何度も俺を救ってくれた…生まれ変わっても何度も会いにくると、そう言ったではないか…。」
 知らん。生まれ変わる?会いにくる?救う?全く聞き覚えのないことばかり言われ混乱する。いや、むしろ得体の知れない恐怖だ。精神的な疾患を持つストーカーかコイツ?
 この時俺はひどく失礼なことを思っていたせいで顔にそれが出る。宵月は俺を見て酷く悲しそうな顔をした。少し胸を打たれるが、知らないものは知らないのだからしょうがない。

「人違いじゃね?ていうかアンタ誰?」
 宵月は俺の言葉でノックアウトした。四戸は崩れ落ちる宵月を咄嗟に抱えて時空をこじ開けるように襖を開けて帰っていった。そして去り際に俺睨みつけ暴言を吐いていった。
「…この無礼者が。」

 二人が去っていき、部屋には俺が一人佇む。寝起きなのに一気に疲れた。だが二度寝する気にもなれん。二度寝するには目が覚めすぎた。いや、さっきの出来事がむしろ夢であったとか?そうだ、夢だったことにしよう。その方が楽だ。そうしよう。先ほどまでの出来事を夢だということにして俺はようやく布団から出た。
 洗面所まで向かう途中、ソファの前にあるテーブルに黒いカップが一つ。せっかく夢だという設定にしたのに余計な置き土産で現実に引き戻しやがって。やっぱりアイツは嫌なやつだな、四戸凛。
「…ていうかアイツ、自分で飲んだカップくらい片付けてから帰れよ…。」

 あの後、俺は普通に登庁した。いつものように同僚に挨拶し、席に着こうとすると係長がやってきた。
「係長、おはようございます。」
「おはよ〜!ニッシーにお客さんだよ♪」
 ニコニコしながら客人の来訪を伝える係長不吉でしかない。何か面倒な事件に駆り出される時や、幽霊ネタを扱う記者の取材やら、迷子の幽霊を泊めてやってくれという無理難題やら。とにかくこ満面の笑みは良くない知らせだ。
 俺はため息をついて応接室に向かう。足取りは重い。朝から、いや昨日から厄介なことに巻き込まれていて俺はもうヘロヘロだ。とにかく誰であっても適当に追い払おう。そう思って勢いよく扉を開けた。

 応接室の革張りのソファーには今朝、俺の部屋に不法侵入したアイツが座っていた。俺は無言で扉を閉める。
 何だ?何でアイツがここにいるんだ?何しにきた?あの火災事件のことか?今朝の宵月とか言う男の件か?いずれにせよ面倒臭い。
 この場から逃走することも想像したがその案は一瞬で消えた。宵業の人間とかくれんぼなんて勝てるわけがない。
 俺は大人しく投降することにした。ため息を大きくつき扉を開けて、奴の目の前に座る。四戸は全く動じることなく珈琲を啜る。また珈琲かよコイツ。四戸が何も喋る気配がないため、仕方なく俺が口を開く。
「何の要だ?不法侵入を自首しにきたのか?」
 四戸は珈琲を飲む寸前で止め、俺を神妙な面持ちで見つめた。
「お前は本当に宵月様を覚えてないのか?」
「知らないって朝言っただろ。そもそも“しょうげつ”?て何者だよ。」
「…正気か?」
 四戸は信じられない者を見る目でこちらを見た。

 四戸はカップを置き、腕組みをして俺を見つめる。
「お前本当にあの丹糸工か?」
「“あの”って何だよ?一応、丹糸工だけども。同姓同名の誰かはいるかもしれないな。」
 四戸は首を横に振った。さも“コイツはダメだ”と言わんばかりに。そして続ける。
「術師なら宵業が誰の組織かは知ってるだろ?」
「防衛省って言うか、防衛大臣直属の組織。」
「表向きはな。大元が誰の組織か分かってるか?」
「…防衛大臣じゃないの?」
 四戸は嘘だろと言うような顔をしてこっちを凝視する。無理もない。
 ていうか俺、あんまりこの業界のこと知らないんだよね。大学に行くまでは“こっち業界”とは無縁だったから。そんな事情は知らない四戸は呆れていた。
「お前よくそれで妖霊部にいたな。曲がりなりにも術師だろ?」
「しょうがねえだろ〜、誰も教えてくれる人がいなかったのよ術師業界のいろはを。唯一手掛かりになりそうな爺ちゃんに聞こうにも既に死んじまってたし。」
「お前、宵ノ会に登録されたのはいつだ?」
 宵ノ会。能力を持った人間を把握・管理する組織。これは俺も知ってる。爺ちゃんの遺言に書いてたから。宵ノ会の登録に行けって。地図までご丁寧に。
「大学の時。3年の頃かな。」
 おかげで俺は留年した。いきなり仕事回されてもこっちは勝手がわからないし、教育実習あるし、寝不足になるし、試験は落ちるし、単位は落とすし。最悪だったな。遺言守らなきゃよかったと後悔したのを覚えてる。
「それまで能力は全くなかったのか?」
「全くってわけでもなかったが…ちゃんと自覚したのはそこら辺だ。」
 昔から幽霊や妖が見えたりして両親は気味悪がったため、爺ちゃんと暮らしていた。力の使い方は爺ちゃんに教わってた。爺ちゃんはきっと腕の立つ術師だったろう。だが、術師の業界については一切教えられなかった。宵ノ会というものも遺言で初めて知った。ずっと他言無用だった。「この能力は特別だから他言してはいけないよ」「他言すれば大変なことが起きる」「爺ちゃんに教わったことは一切内緒だ」と。だから“こっち側の人間”にたまに聞かれる、いつから能力があったのかという質問には答えづらい。

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