【断片小説】東京の術師たちの物語12

「人の魂魄だ。」
 留火人は随分と落ち着いた声で一言そう言った。
 対照的に紅炎は額に嫌な汗を浮かべている。
 どちらの反応が正しいのか、俺にはさっぱりわからない。
 それよりも、留火人の言葉を正しく処理できていない俺がいた。
 魂魄…。魂魄って、あの、魂ってこと?
 人間が死ぬと1グラム軽くなったから魂の重さは1gだって有名な、あの魂?
 この魂魄には元々肉体があって、そこから抜け出したか取り出されたかわからないが、とりあえず肉体とは分離した魂魄が俺の眼前で黒々と周囲の光を吸収している。
 宇宙にあるっていうブラックホールみたいだ。見たことないけど。
 そう思うとだんだんおかしくなってきた。目の前にブラックホール。
 人は理解し難い物事に直面した時、案外笑えるものなんだな。
 俺の脳はマジでヤバいってハザードランプが点灯した。目の前のブラックホールがなんなのかよくわかってないけど、俺の中ではデフコン3くらいのヤバさかな。
 1人でプチパニックに陥っていると、四戸は愛も変わらず冷静に留火人に質問を投げかける。
「これは、誰の魂魄ですか?」
 留火人は落ち着いてはいるが、一度開けた口を閉じて言葉を飲み込む。
 言いづらい人物。簡単にいうと、悪い人?それとも有名人?俺も知ってる人物だろうか?
 俺はこの業界についてあまり詳しくない。だから聞いてもきっとそんなに驚くことはないだろう。
「まさかここまできて“言えない”なんてことはないですよね?」
 四戸に急かされた留火人はゆっくりと聞きなれない名前を言った。
「陰一夏(いんの ひとか)…」
 誰それ?俺は四戸に目で合図する。教えてくれと。
「陰の帝。陰の気が強すぎて世界を混沌に落とし込んだ女帝ですよね?災いをもたらすため、先代の帝率いる術師たちに封印されたと聞いていますが?」
 四戸が解説を交えて答えてくれる。
 そんな恐ろしい帝がいたのか。俺はやっぱり知らないが、どうやら有名らしい。口を挟まずに情報収集に徹することにした。
「その女帝の魂魄が何故ここに?」
 四戸の言葉の語気が鋭くなったのを感じた。睨むまではいかないが、その目には怒りが宿っている。成り行きとは言え、これを所有してること自体がまずいことなのだろう。
 留火人は気まずそうだ。
「私も最初、これがなんなのか分からなかった。最初は細工のある小さな木箱に入っていた。私がその箱を開けると蒼い光と共に中から姿を現したのは若い女だった。その女は襲いかかってきたため、私は慌てて平将門を召喚して押さえ込んでもらった。平将門は妖気で女を包み込むと怨魂玉に変え、首塚へと戻っていった。その去り際に“お前の先代たちは何故、陰の帝を封印したのだ”と、私の耳元で囁いた。封印された陰の帝と言えば陰一夏だ。」
 情報量が多すぎて理解が追いつかないんだけど、ちょっと待て、平将門って言った?あの首塚の?
 あんなバケモンを召喚できるということは、現火焔宮の主人は日本三大怨霊の一人を調伏したってこと?
 留火人の方がバケモンじゃねーか。
 俺は固まることしかできなかった。俺のようなひ弱な術師なんて論外中の論外だ。とてもじゃないが口を挟めることではない。
 が、問いたださねばならないことがある。
 俺は意を決して留火人に問う。
「そのことは九曜会に報告されましたか?」
 留火人は首を振った。つまり、隠蔽したことを認めた。
「何故、報告されなかったのですか?」
「術師は特に九曜会は陰の帝を忌み嫌う者が多い。私もそのうちの一人だ。だが、“何故封印したのか”という平将門の言葉…あの言い方は封印するのが間違いであるという言い方に感じられた。」
 ということは、留火人は化け物の言うことを信じるということになる。
 陰の帝についての口伝を疑っている?自分の先祖たちを疑っているのか?
 というか、そもそも最初の質問から話がだいぶ逸れている。俺は落ち着かない。
「最初の質問から話がだいぶ変わってしまったので戻しますが、このお話と立川の火災現場にあった呪符とどう関係があるんですか?」
 留火人は俺をまっすぐ見て答える。
「同じなんだ。その立川にあった燃えた呪符と浩太が犬を仮装した時に使った呪符が。そして、この魂魄の箱が壊れた後に地面に一緒に落ちていたのが封印を解く呪符。この呪符は立川の燃えていない方の呪符と同じものだ。」

 これは、誰かが封印を解いたってことか?それとも封印を解こうとしたのか?
 留火人は自分の推測だが、と一言添えてから話し出す。
「燃えた呪符は封印を解く呪符の誘発剤なのではないか?火葬をすることで封印が解かれる。浩太の時は犬を仮装した直後、部屋を捜索した際にその箱が見つかった。そして封印解除の呪符も。箱自体は壊れてしまったが、妖気を留めておくための入れ物だった。封印が解かれた後に暴走しないように入れてあったのかもしれない。」
 留火人の言うことが本当ならば、立川の火災事件で何らかの封印が解かれた可能性がある。
 あの場所で何を封印していたんだ?
 だが、もし平将門の言葉を信じるのであれば、立川で封印されているものも本来は封印してはならないものなのか?
 陰の帝の魂魄は一時的に留火人が平将門に抑えてもらってるからいいとして、立川の方は誰も抑えていない。
 早急に現場に戻って確認する必要がありそうだな。

 俺たちは火焔宮を後にしてすぐに立川へと向かった。四戸と共に家の中を見回るが、何か封印が解かれて壊れたようなものは見当たらない。
「お前、俺と現場でカチ会った時に色々物を持って帰ってたよな?その中に怪しいものとかなかったの?」
「ない。」
 なんですぐ言い切れるんだよ。怪しさプンプンだろうが。
「お前嘘つくのナシな?合同捜索なんだから。」
「マジでない。あったらここに来てない。何か、何かあるはずだ。お前もちゃんと探せよ。」
 言い方は腹立つが、心当たりがないのは本当らしい。
 と言っても、実際に封印が解かれたような物はないのだが。
 確かこの壁に貼ってあったよな?壁に封印?いやまさか。そう思った時には、四戸がどこからかハンマーを持ってきて壁を壊していた。
 急に大きい破壊音がするもんだからビビる。せめてひと声かけてからにして欲しい。
 四戸が壁を壊すのを見守っていると、呪符が張られていた壁が全て破壊さる。
 壁には何かが入っていた痕跡もなさそうだ。
 でもあの封印解除の呪符が壁にあったのだからこの家のどこかに何かが封印されていたはず。
「まさかこの壁の真下だったりして?」
 適当に言ってみたが四戸は予想以上に喰いつき、興奮気味に床下への入口を開ける。
「それだよ!おそらく!」
「いやでもさ、───」
「この部屋、結界が破られてただろ?」
 そう言えばこの部屋だけ結界が無くて他の部屋にはあったな…。
「それが?」
 結界は破ろうと思えば破れる。それか結界を張った術師よりも上回る妖気を発するものや呪力があれば。
「結界が張ってあった痕跡はあった。つまり破られた。渡邉が犬を火葬したこと自体があの魂魄が入ってたっていう箱の封印を解く鍵だったとしたら、だからその後に火焔宮の主人がノーモーションで箱を開けることができたんだ。封印解除され箱の中から押さえ込まれていた、大量の、しかも帝レベルの妖気が流れ出してみろ。箱など壊れるに決まってる。いくら耐妖気の入れ物だとしても。それと同じように────」
「お前の親父さんが火葬されたのが封印解除の鍵となり、この真下に封印されていた妖気を大量に含んだ何かが飛び出してこの部屋の結界を破ったってことか。」
 なるほど。相当やばいもんがこの下にあった。つまり、今はもうないってことか。
 四戸も目当てのものはすでにここからなくなっていることに気づき、先ほどの興奮が収まっているようだ。
 だが、何もないからと言って痕跡まで消えてるわけじゃない。
 俺は四戸に代わって床下の入り口を開けると、蓋が開いた棺が現れた。恐る恐る蓋を全て開け切ると、そこは空っぽだった。
 やはり抜け出た後のようだった。
「棺ってことは、誰かの遺体があったってことか?」
 俺は四戸の方を見て確認するが、わからないと言う。
 もしこの棺が、誰かの遺体が入っていたとして、それを分かって保管していた場合は四戸の親父に容疑がかかってくる。
 このまま捜査を続けると、四戸は嫌な思いをするかもしれない。
「お前この件から降りろ。」
 そう言うしかない。本来であれば、身内が絡む事件は捜査から外れるのがセオリーだ。本人がグルかもしれないし、グルじゃなかったとしても判断が鈍る。
 しかし四戸は首を縦に振らない。
「あのさ、駄々こねてる場合じゃないだろ。お前自分の今の立場分かってんの?下手したらお前も容疑者だよ?棺に遺体があった形跡があれば。」

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