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毎日書く産みの苦しみについて

noteを毎日書いていると、今日は何を書くか?
毎日頭を悩ませることになる。

なんでもない1日でも何かしら
ハイライトはあったりするのだろうけど

そんなちょっとしたことを
面白く書けるような文才は僕にはない。


それどころか、今日は息子の小学校で
学習発表会というものがあり

小学校にいって息子が劇をするのを見てきた。

そんなネタがあったので
今日はそのことについて書こうと思ったんだけど

noteの記事投稿画面を開き書き出したんだけど

ちょっと書き出しては

何か違う

書いてもう〜んな出来で

書いては消しを繰り返す。


それで結局は劇について書くことは諦め
いまこうしてこんな感じの記事を書いている。


何かについて書こうと思っても
なかなか書けない。


とあるテーマがあるとしたら
何かこれを伝えたいだとか
どうしてもこれを書きたいだとか


ある程度、何か構成が決まってないと
行き当たりばったりで書こうとしても書けない。


だけど、こうして力を抜いた文章なら
なんとなくこうして書けている。


この文章が読んでくださる方にとって
有益か無益かなんて分からない。


だけど読んでくださる方を意識しすぎても
毎日は書けなくなるのだろう。


書くことにもバイオリズムのようなものがある。


今日はすごく書きたいことがある。

そうやって気合いを入れて書いた記事も
読んでくださる方の反応は薄かったりする。


逆に力を抜いて書いた記事で
スキをいただける記事ではないだろうと思っていても

思いのほか反応があったりする場合もある。


書くことって深いですよね。


書くことは結局は自分と向き合うこと。


人の真似をしようとしても記事は書けない。


こうして自分で生み出していくしかない。


こうやって毎日ちょっとずつ
なにかしら書いていくこと。


意味があるのかないのか分からないが
何かしら役には立っていると思う。


お金を稼げるとか

有名になるとか

そんな物差しだけでなく

書くことには無限の可能性があるのかもしれない。


こうして毎日書くことはつらい。

何の意味があるのか?

今でもよく分からないままに書いている。


毎日書くことを止めてしまったら
どんなに楽になるのかとも思うけど

日々限界を超えていくことで
何か自分の中に得るものがあるのだとは
思っているので

明日も何かは書いてみようと思う。








読んでくださるだけで幸せです。 サポートいただけるほど、何か心に残るものが書けていたのだとしたのならこんなに嬉しいことはありません。