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もしかしたら、この6万人の中に

 いまだ終息の目処が立たない新型コロナウイルス。
 何回、いや何十回この文言を見てきただろうか。
 2020年は、前座開口一番から泣きながら落語をやり始め、その後出てくる二つ目、真打もみんな悲しい顔で滑稽噺をやるような、そんな1年だった。
 こんな状況を笑うつもりの冗談なのに笑えない。
 こんな状況を笑いたいのに冗談にすらならない。
 もうこの演芸場を出たいのに、トリが出てこないどころか仲入りにすらならない。

🧎‍♂️🧎‍♀️

 人と会う時はマスク、お店に入ると検温と消毒。
 最初は物珍しさもあってか、ちょっと半笑いで検温を受けたりもしたが、今はすっかり真顔で、当たり前のように手やおでこを体温計の前に突き出している。
 むしろこの動作が無いと「えっ、やらないの?」と不安になるし、スーパーや100円ショップに入る時も消毒スプレーが無いと両手を軽く拝むように合わせてスプレーを探し回ってしまう(入り口になければレジ前にあったりする。なぜそこに置いた)。

🧴

 羽を伸ばそうにも部屋から出られない。
 日に日に鬱屈とした気持ちがしみのようにじわじわと広がっていくのを感じていた。
 コロナが本格的に流行り始めた頃、コンビニでお会計を待っている時に、前の人が急に私の前に持っていた傘をドンと置いた。
 一瞬何事かと思ったが、気づいた。
 距離を保ちたいのだ。
 別にそれ以上近づく気はなかったが、「こないでくれ」という意思を感じた。
 電車に乗ったら、せき込む老人を睨んでいる人がいた。一人じゃなかった。
 その人の気管支が元々弱いのかもしれない。時期的に花粉だってありうる。
 だけどせきとくしゃみをすると「近寄るな」と無言の圧をかけられる。
 そんな人たちを目の当たりにすると、なおさら家から出たくなくなった。
 人と会わなければこんな気持ちにもならなくて済むんじゃなかろうか。
 もうある程度落ち着くまでは何もせずに過ごしていればそれでいいのだ。
 だけど心というのは不思議なもので、「別にもういいや」と思いかけた時、なぜかそれとは反対の気持ちが湧き上がってくる。
 いや、これじゃいけない。
 こんな時だからこそ何か今までやってこなかったことをやろう、そう思った。
 それで思いついたのが、ZINEを作ることだった。

📖

 「ZINE」は、個人で雑誌を作ることだ。
  「magazine 」や「fanzine」を短縮した言葉だそうだ。
 雑誌が大好きで、いつか自分のZINEを作りたいと思っていた。
 仕事も飛び、外出の予定も無くなった。
 今こんな状況になっているのは私だけでないのでは、そう思った。
 ただタイトルが決まらなかった。
 タイトルはまさに「ZINEの顔」だ。
 タイトルが決まれば、きっとこのZINEはうまくいく。そう思っていた。
 ちなみにこの時頭に浮かんでいたZINEの名前候補は以下の通りだ。

東京Don’tウォーカー
週刊イエティ
ご・自・愛
イェ〜イ
週刊少年待機
ZAI&TAKU
家よ!
ゴリラ
よいこのたいき
マガジンハウス

 誰が見ても詰んでいる状況だ。
 本気でこの中かから選ぶつもりでいた。最後は出版社の名前じゃないか。
 今思えば無課金よりも悲惨な状況だ。
 小枝片手に全裸で戦車に突っ込んでいくようなものだ。
 だけどふと、ある映画のタイトルが頭に浮かんだ。

『吹けよ春風』

 ちょうどZINEをやろうと思う数ヶ月前に自宅で見た映画だった。
 とても幸せな映画で、心から大切に思える一本だ。
 この映画が映画館でリバイバル公開されると知り、うれしくてしょうがなかった。映画館の大画面で『吹けよ春風』を存分に楽しみたい。
 だけど、緊急事態宣言が出て、この映画の公開は延期になった。
 本当に悲しかった。
 だけどこのタイトルを見た時、マジでそうだよ、その通りだよ、と思った。
 マスクも取れずに、部屋からも出られない。
 外はあたたかな春の風が吹いているのに。
 自宅の窓から「吹けよ、春風…」と思いながら哀しいほどに晴れ渡った青空を見ていた。
 この映画のタイトルを、ZINEのタイトルにしよう。そう思ったのだ。

🌸

 それから「この人の文章を読んでみたいなぁ」と日頃から思っていた人に声をかけてみた。
 友人や、仕事仲間、前の職場の同僚、SNSを通じて知り合った人。
 この人たちの言葉が集まれば、きっと面白いZINEができる、そう思った。
 好きな場所に行けず鬱々とする時間が増えたというニュースを見た。
 もしこのZINEを見て、少しでもその時間を減らせれば何よりだ。
 生活の役に立つかはわからないが、くらしの中ですこしでもホッとできる時間を提供したい………というのは建前だ。
 本気でそう言えればかっこいいと思う。
 だけど正直、何より鬱々としていて何か楽しいものを読みたいと心から思っていたのは私だ。
 このZINEは極めて私的なもので、途方もない自己満足の上に成り立っている。
 だって私が読みたい人に寄稿してもらい、私が好きな映画のタイトルを付け、私も好き勝手文章を書いているのだから。

 ちなみに私はこのZINEを通じて自宅でできる趣味探しを記事にした。

 ペン習字やウクレレやイマジナリーねこなど色んな趣味に手を出した。
 その中で盛大に失敗したものがある。

 このペーパークラフトの失敗っぷりがなぜか多くの方々に届き、LINEニュースにまでなっていた。

 人生で初めて載ったLINEニュースがこの記事になるとは。
 そして、緊急事態宣言が始まった辺りから始めた『吹けよ春風』は、ご寄稿いただいたみなさまのおかげで、多くの人に届いた。
 7週間だけしか更新していないのに6万人以上の方々に見ていただいている。
 正直こんなにたくさんの方々に見てもらえるとは思わなかった。
 旧知の方だけでなく、全く面識のなかった人たちからも嬉しいご感想をたくさんいただいた。
 もしかしたら、この6万人の中に、コンビニで傘を置いた人や、せきをしたときに睨んでいた人もいるかもしれない。いや、いないかな。いてくれたらすっごくうれしいな。
 何度思い返してもあの時期は本当に辛かったし、今はもっと大変な状況だ。
 だけどこのZINEがあったおかげで、辛い最中にもどこかあたたかく、それでいてどこか気持ちがフッと軽くなる時が何度もあった。
 私の中で、春風は吹いていたのだ。

💐

 そういえば、映画『吹けよ春風』の上映が決まった。
 1年越しの、念願の上映だ。

 こんな状況だし、まだどうなるかはわからないが、感染対策をバッチリにして見に行きたい。

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