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習慣化のウソ。結局のところ書くのがキライ?: 気まぐれコラム①

こんにちは。よたろーです。

もう前回いつ書いたのか思い出せないくらい。
運営からもこんな↓励ましというかおどかしというかの言葉をもらっていたのに華麗にスルー。

04月30日までに記事を書くことで連続投稿を10ヶ月に伸ばすことができます。今月もnoteを書いてみませんか?

要は1本でもいいから4月に更新したら10ヶ月連続投稿だよ、書かないとそれを逃すんだよ、ハゲ!

という言葉になびきもせず。
のほほんとゴールデンウィークを過ごしました。

ここまでで200文字ちょっと越えたくらい。
所要時間にしてほんの数分。

実は下書きにこの程度からもう少し長いもの短いもの、いくつも眠っています。

そしてそれきり眠ってしまっている記事(の卵)が多数。

いったん時間が過ぎると掘り起こして書き続けようというエネルギーが失われてしまうみたい。
それとか何を書きたかったのか思い出せない、というものもあります。

こんなナマケモノの私のところにも、フラッと訪れていただいてさらにもったいないことに「スキ」までしてくださる方が折々いらっしゃる。
心の中で手を合わせながら、

「ありがとうございます。もうすぐ新作を上げますので楽しみに待っていてください」

とつぶやいているわけです。

なのにぜんぜん書きやがらないw

要は書くのが嫌いなのか。
でもこうやって一度書きはじめると、ノってきてすらすら進む、という経験もしてるんですよね。

ましてやこのnoteを遡っていただくか、前にきていただいたりX(旧Twitter。ってまだ書く必要あるのか?)でつながってたりする方は、私が過去に200日くらい連続で更新していたのを知ってるかもしれません。

それだけやっても習慣化しなかった。

よく(?)習慣化するには21日続けること、なんて聞いたことありますが、その10倍やってもダメだった。

そんな物理的な数字はいくら重ねても意味がないんだろうな、と。

となると習慣化に必要なものってなんだろう…

と、ここまで考えて習慣化についてさらに重要なことに気づきました。

これが習慣化の本質だと思います。

それは、

(すみません。ひっぱりすぎですw)

その習慣化、目的は?

ホントに習慣にする必要ある?


この問いに答えられますでしょうか。
それができなければ習慣化する意味も必要もないのかな、と。

無理はいけませんね。

私?

自分の目的達成のためには定期的な発信、非常に大事なことに気がつきました。

(じゃあやれよ、ハゲ!)

と、きれいにまとまったところで本日はここまで。


本日もおつきあいありがとうございました。

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