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講演のための思考メモ(23)突然の難病。それでもポジティブに

2019年に入り、仕事はこれまでにないくらい順調にいっていた。著名人のインタビュー記事を担当するなど、忙しくも刺激的で、充実した日々を過ごしていた。しかしその年の春、ぼくは突然、難病を患った。

少し前から原因不明の蕁麻疹が出やすくなるなど、身体の異変は感じていたものの、ある日スーパー銭湯に行くまで、事の重大さに気付かなかった。

サウナに何分も入っているのに、汗が全く出てこないのだ。その代わりに、全身から蕁麻疹が出てきた。サウナに10分入って、全く汗が出ないなんて、そんなことがあるのか? ワケがわからず、愕然とした。数日後、大学病院で診断を受け、すぐに入院が決まった。

病名は「特発性後天性全身性無汗症(通称AIGA)」という。

入院初日

正確な数字は定かではないが、患者が数百人しかいないとも言われる珍しい病気だった。まさか自分が難病になるなんて……。病気のメカニズムがまだ解明されておらず、治療しても治るとは限らない病気だと知り、目の前が真っ暗になった。

フリーランスになって以降、仕事を取るうえでの苦労であったり、収入が安定しないことによる不安であったりと、様々な辛さを経験してきた。

でも今回の難病は、生命や人生に関わるもので、辛さの次元が違った。

検査の結果、ぼくは全身の約97%から汗が出なくなっていた。足の裏と、鼻先が残りの3%だった。ギャグみたいだ。

人間にとって、汗は体温を調整するために欠かせない機能なのだが、これが不健全なために、わずかに体温が上がるだけで「コリン性蕁麻疹」という特殊な蕁麻疹が出て、尋常じゃない痒みや痛みに襲われた。日光に当たるだけでアウト。冷やすことで症状が緩和されるので、常に保冷剤を詰めた保冷バッグを持ち歩いていた。

電車に乗ることも苦痛なので、入院していないときは、ほとんどを家か近所のマクドナルドで過ごすことになった。誰とも会話しない日も多かった。

緊張やストレスなどでも症状が出たため、仕事はストップせざるを得なかった。たとえば取材で初対面の相手と話す際、わずかな緊張で、全身に蕁麻疹が出てしまう。これでは仕事にならない。

会社員であればまだ良かったかもしれないが、フリーランスは仕事をしなくなった瞬間、収入がゼロになる。それでも医療費はかかるので、ソフトバンクの仕事などでようやく順調に貯まり始めていた貯金が、再び猛烈な勢いで消えていった。

世界1万キロを自転車で旅したぼくにとって、「汗をかけない」「運動ができない」ことは、自分の象徴を奪われるようなものだった。病気が良くならないと、運動も旅行もできない。

「まだまだ行きたい国はたくさんあったのに」
「趣味のフットサルはもうできないかもしれない」
「そもそも、この先どうやって収入を得ていけばいいのだろう」

たとえ命に別状がなかったとしても、ぼくの人生はこの先何も果たせずに終わってしまうのだろうか。身体の辛さと経済的な辛さ。そこに精神的な辛さが襲いかかってきた。

それでもきっと、何か意味があるはずだ

だけど、このような状況でも、できる限りポジティブであろうとしていた。「出来事をどう捉えるかは自分次第」だと思っていたからだ。

ぼくが難病を患ったことにも、きっと何か意味があるはずだ。そうポジティブに捉え、「いつか病気が治ったとき、この経験を笑い話に変えたり、仕事に繋げたりしよう」と決意した。

外での活動は極端に制限されたが、本を読むことはできた。

ソフトバンク会長の孫正義さんは、20代の頃、慢性肝炎で3年半ほど入院していた時期がある。のちにかつてを振り返り、「時間を有効活用するため、あらゆる分野の3000〜4000冊の本を買い込んで貪り読んだ」と語っていた。それには到底及ばないが、ぼくも病気が良くなるまでたくさん本を読むことに決めた。「今はインプットの期間」と前向きに考えることにした。

入院中は読書に明け暮れた

以前から「時間ができたら読もう」と考えていたのが、『三国志』だった。経営者に三国志ファンが多かったから、「いったい何が魅力なのだろう?」と疑問に思っていた。長大な物語だったが、実際に読んでみて人を惹きつける理由がわかった。そして戦国時代や漢の時代の中国に興味を持ち、司馬遷『史記』や司馬遼太郎『項羽と劉邦』をはじめ、様々な良書を読み漁った。同時代が舞台の漫画『キングダム』も全巻読んだ。

時間を忘れるほど何かに夢中になっていたのは、いつぶりだろうか。それは本当に豊かな時間だったし、長い人生の中できっと効いてくるであろう重厚な学びを得られた。

8月になった。なるべく前向きに過ごそうとはしていたものの、毎月入院して、貯金も底をつきそうだった。3度入院しても、汗が出るようにならず、さすがに落ち込んだ。

でもしばらくして、逆に奮い立ってきた。

中国の古典には魅力的な人物がたくさん描かれていて、ぼくはそこに生き方の手本を見ていた。「臥薪嘗胆」という言葉が生まれたのも『史記』からである。偉大な人物は、逆境や苦難に対して、どう立ち向かっていたか。心で負けてはいけない。気持ち次第で状況を変えられるはずだ。

難病との闘いは苦しい。でも、だからこそ生きる姿勢や物事の捉え方を通して、人を鼓舞できる人間でありたいと思った。

そのとき、試しに「本当は汗が出ているのだ」「絶対に治る、いや実はもう治っているのだ」と強く思い込んでみた。検査結果では全身の97%から汗が出ていないと言われた。ということは、3%は実際に出ているのだ。その範囲を4%、5%と少しでも広げられないか。

痒みを必死にこらえ、身体に鞭を打って走り続けていると、ついに額や背中からわずかに汗が出た。嬉しくて涙も出た。そして毎日走り続け、少しずつ発汗機能が回復していった。

たくさんの友人がお見舞いに来てくれた

1ヶ月後、主治医の先生は驚いていた。ひとまず今後の入院はなくなり、しばらく自然治癒で様子を見ることになった。そして10月頃から、少しずつ仕事を再開できるようになった。もうソフトバンクの仕事には戻れなかったが、いくつかのクライアントが回復後に仕事を振ってくれた。なんにせよ、半年以上にわたる闘病生活は終わった。

それから、身体の状況は年々良くなっていった。現在は何の支障もなく生活できていて、「ほぼ完治した」と言って差し支えないと思う。

noteから、まさかのテレビ出演に発展

闘病生活中、ぼくはよくTwitterで病名を検索し、同じ悩みを抱えている患者のツイートを眺めていた。「辛いものを食べると痒みが出る」「緊張するだけで痛みが走る」など、そういうツイートを目にするたび、「わかる〜!」と共感し、気持ちが和らいだ。珍しい病気のため、ブログなどで発信している患者はほとんどいなかった。だからライターである自分が、今もこの病気で苦しんでいる人に向けて、発信をしよう。

そう決めて、1万6000字のnoteを書いた。

前半で闘病生活の一連のストーリーやエピソードを書き、後半では「もっと早く知りたかった」と感じたお役立ち情報をたくさん載せた。すると大きな反響があり、「中村さんの記事に救われました」など、たくさんの感謝のメッセージをいただいた。

様々な方がnoteを読んで感想をくれた

さらに翌年、このnoteがきっかけで、テレビ東京から連絡があった。ミニドキュメンタリー番組「生きるを伝える」に出演してほしいという。いやはや、何がどうなるかわからないものだ。ぼくは難病がきっかけで、テレビに出ることになってしまった。ナレーションは原田知世さん。嬉しかった。

※約4分間の番組映像は、こちらのページからご覧いただけます。

人生は捉え方次第

大学1年生の時、とある本で「出来事と感情は独立した存在であり、全くリンクしていない」という内容の文章を読んで、なるほどなと思った。

たとえばつまり、「悲しい出来事」というものは存在しない。起きた出来事を「悲しい」と捉えるのは、単に自分の選択に過ぎないのだ。

「人は同じものを見て違うことを考える」というのは正しくて、人によって物の見方は違う。あるものを見て、おもしろいと思う人もいれば、つまらないと思う人もいる。運がいいと思う人がいれば、損をしたと思う人がいる。

物事をどう捉えるかは、自分で自由に選択ができる。であるならば、「すべての出来事をプラスに捉えた方が得ではないか」と、いつからか思うようになった。

病気の経験は本当に辛いものだった。だけど、病気を経験しなかったら、中国の歴史の奥深さを知ることはできなかったし、テレビに出ることもなかった。ネガティブな経験も、ポジティブな結果に結びついた。

「起きるすべてのことには意味がある」
「人生は捉え方次第」

自分の身に起こる出来事や挑戦を通して、一貫してこれらのメッセージを発信してきたし、これからも発信していきたい。そんなぼくにとって、病気は最高の贈り物だったと言えるのかもしれない。

これから先、どんな困難や逆境に遭遇しても、ぼくはまたポジティブに捉え、楽しみながら挑戦を続けていきたい。そう決意した2019年だった。

(つづく)

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