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ものすごい本に出逢った

長沼伸一郎著『現代経済学の直観的方法』を読み終えた。この本はすごい。

2400円もする重厚な本だが、おそらく数十万円払って講義を受けても得られなかったであろう素晴らしい理解と教養が得られた。ビジネス書大賞2020の特別賞を受賞したのも頷ける。おもしろさは保証するが、450ページの分厚くデカい本だから覚悟してほしい。毎日3〜4時間ずつ読んでも6日かかった。

ぼくはとにかく経済に疎い。インフレとかデフレとか円高とか金利とかアダム・スミスとかケインズとか、そういう基本的なものすらよくわからなかった。興味はあったし、世の中を理解するには避けて通れないことはなんとなくわかっていながらも、「経済は難解」という意識が拭えず、経済書を読む気にはなれなかった。

そんななかで、「わかりやすくておもしろい」と評判のこの本を手に取った。

本書のスペックは、「経済というものが全くわからず予備知識もない読者が、それ一冊持っていれば、一週間〜10日程度で経済学の大筋をマスターできる」というものである。

その前書きの言葉に半信半疑だったが、読み終わった今は偽りのない事実だったと感じている。

経済学の専門性を10段階で表すとしたら、経済学のそれぞれの分野について、理解度を1から7くらいまで一気に引き上げてくれるような本である。

「それぞれの分野」とは、具体的には目次を見ればだいたいわかる。

(目次)
第1章 資本主義はなぜ止まれないのか
第2章 農業経済はなぜ敗退するのか
第3章 インフレとデフレのメカニズム
第4章 貿易はなぜ拡大するのか
第5章 ケインズ経済学とは何だったのか
第6章 貨幣はなぜ増殖するのか
第7章 ドルはなぜ国際経済に君臨したのか
第8章 仮想通貨とブロックチェーン
第9章 資本主義経済の将来はどこへ向かうのか

たとえば第4章を読めば貿易の本質についてタイトルの通り「直観的に」理解することができるので、さらに理解を深めたい読者は貿易の専門書を読めばいい。しかしぼくのような読者はそもそも基礎がないといきなり専門書を読んでも挫折してしまうので、そこのギャップを埋めてくれるのが本書である。

そのわかりやすさたるや。

本来、「この内容を伝えるのに30ページは必要だろう」と思われるような物事を、わずか5ページで説明してしまうような、不思議な本だ。なぜこうもあっさりと理解できてしまうのか? 狐につままれたような感じでページをめくっていた。

また、この本のすごいところは、ただの経済書ではないことだ。「経済の窓」を通して近・現代の世界史を学べる歴史書でもあり、あらゆる領域を総動員させた教養書でもある。

たとえば、軍事史における近代化をもたらしたかのは何か。それは銃の登場ではなく、鉄道の登場によるものだった。鉄道網による輸送力の向上が戦争のやり方をガラリと変えてしまった。そして銀行というものは、経済世界における鉄道網のようなものなのだ、と。だいぶ簡略化したが、そんな調子で話が展開していく。

あるいは、貯蓄行為が有効需要を細らせるため、今も昔も貯蓄は害悪とみなされたこと。カトリックが支配する中世ヨーロッパでは「寄進」の名で民衆の余剰金を教会の地下に集め、イスラム世界では「喜捨」という形で高所得者から低所得者に回るようにしていた。宗教が経済秩序を守るために大きな役割を果たしていた。

あるいは、第二次世界大戦の背景が自由貿易と保護貿易の争いから生じたものであったことや、日本が重工業の輸出で大きな成功を収められたのは皮肉にも本気で戦争をしたことで兵器生産のための重工業部門で技術的蓄積がなされたから、ということ。

そうか、経済というのは国際情勢に密接に関わっているんだな。知ってしまうと「そりゃあそうだよな」と思うのだが、正直ちゃんとわかっていなかった。

物理学者であるはずの長沼さんの、圧倒的な知識量と直観に訴える豊かな「例え」の数々にはただただ驚かされた。

そして一文一文の、細部に至るまで無駄のない的確な言葉選び。豊富な語彙力。とにかく言葉の配置が見事で、ぼくは自分の強みであるはずの文章力ひとつとってもこの人には敵わないのではないか。

日本が誇る天才であり、鬼才でもある。この人の頭の中にはどれだけの知識が詰め込まれているのだろう、と思わされる。

ローマ時代のグラックス兄弟の改革から物理学における「三体問題」まで、あらゆる知識を持ち出して読者の理解を助ける。こういう人こそ真の教養人だ。知的好奇心も大いに満たされた。

読み終えたとき、長沼さんのことについて調べていたら、また面白いことを知った。

彼は1961年生まれ。早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業するも、大学院を中退。その中退から2年後、奇遇にもぼくが生まれた1987年10月に、なんと自費出版で『物理数学の直観的方法』を出版し、ベストセラーを記録した。神田の書店では当時同じくベストセラーとなっていた村上春樹『ノルウェイの森』を抜いて1位になったというのである。26歳で出した自費出版の本が!?

この天才的なエピソードをもっと知りたくなり、彼が代表を務める「パスファインダー物理学チーム」のサイトを見ていると、『科学朝日』に掲載された1991年のインタビュー記事が掲載されていた。そこに語られていた自費出版の秘話が抜群に面白かったのでぜひ一読してみてほしい。

以下に印象的だったエピソードを引用する。

「大学とは縁が切れる一方、資格やコネの類はない。マスコミで売り物になるような経歴や肩書もなし。貯金は数十万ほどある。時間は1〜2年なら使えるだろう。唯一のまともな武器は理系の専門知識と趣味でやった文系の知識だがこの窮地に対する武器としては力不足。これで全部となる。まあ現実問題、これでは失地回復など夢物語に近い。

ではこの限られた戦力をどう使うか? ビジネスマン向けの通俗兵学書ではたいてい、不利な状況に落ち込んだら、とにかく積極的な攻撃に出て事態を打開せよと書いてある。確かに不利な態勢のときにじっとしていればどんどん不利になっていってしまう。私の立場に照らしても、一日じっとしていれば時間と貯金をそれだけ食いつぶしてしまうことになる。

ところが、実はこれは不利といっても彼我の力の差がさほど隔絶していない場合の話なのである。力が隔絶している場合、弱い側がかけた攻撃はたとえ成功でも相手にはかすり傷程度に過ぎない。一方、その戦闘で受ける自分の側の消耗は補充がきかず、相対的には自分にとって致命的な打撃となる。また決定的に不利なときに乾坤一擲の攻撃に出ると、本人に焦りがあるため判断が狂いやすい。実際そういう局面で積極攻撃に出て成功した例はまれである。逆に持久戦だとその期間中に生じた情勢変化を利用しての反撃は成功率がかなり高い。

要するにこの場合防勢をとるのが正解と判断した。実のところ、この判断は決定的に重要だった。実際、こういう局面に立たされた才能ある若者の九割はここで判断を誤って攻撃に出て失敗しているといっても過言でないだろう。

さて以上から基本戦略は次のように定まった。まず持ち金を10万だけ別にして、残りの数十万は手をつけずに温存する。そして消耗を最小限にしながらその10万でねばれるだけの期間持久態勢に入る。稼いだ時間は知識の基盤を強化し、実力をつけることに全面的にあてて力の極大化をはかる。そして持久力の限界にきた時点で、温存しておいた資金を全部一挙に集中投入し、ただ一度の攻撃にすべてを賭けるのである。

そこで、まず時間と金は可能な限り知識に変えておくという方針をたて、バイトは負けの態勢に入ったことを示すシグナルとみなした。一方、本のための資金をけちるのは愚であるため、本代以外の出費は可能な限り抑えた」

戦略的に耐え忍び、勝負に出るタイミングを見計らうところや、時間とお金を読書によって知識に変えようとするところ、そして彼の野心的な性格などに、なんとなくぼくと似た性格を感じた。会社を辞めてフリーランスになり、3ヶ月ほぼ収入0で過ごしながらも起死回生の一手を虎視淡々と考えていた当時の苦労と野心を思い出すのである。

最後の章も実に興味深かった。良い社会というのは、市民の長期的願望(理想)が短期的願望(欲望)に駆逐されないような社会である。しかし残念ながら、現在の社会や経済においては、短期的願望が優先されてしまっている。この点を我々はよく考えないといけない。

そして、近代以前の社会に比べてはるかに豊かになったはずの現代なのに、どうして閉塞感があるのだろうか。この閉塞感の正体は一体何なのか?

ぼく自身、ずっと疑問に思っていたことだが、それについても長沼さんは予想外の角度から言語化を試みた。しかしその内容について、彼はもう20年も前から考えていたのだと知って、最後まで驚きながら本を閉じることになった。

ぼくはよく吟味して本を買うので、常におもしろい本を読んでいるつもりだが、これは群を抜いておもしろい本だ。

経済、歴史、教養、これからの未来と社会について、解像度が格段に上がった。何度も読み返したい。そしてぼくはもっともっと幅広く学び、価値のあるアウトプットを通して、少しでも彼のような存在に近づきたい。

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