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フランスの旅(14)マルモッタン・モネ美術館で、「印象派のはじまり」の絵画に出会う
いよいよこの旅も終わりが近づいている。観光できるのは今日が最後。
今朝は9時前に宿を出て、Nation駅前のパン屋さん「L'Autre Boulange」に立ち寄る。フランボワーズパイなるものが売っていたので、気になって買ってみた。おいしかった。
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メトロでマルモッタン・モネ美術館へ向かう。しかし、せっかく早めに出たのに、いきなり乗り間違える。9番線のつもりで乗ったメトロは1番線だった。「まあ次の駅で戻ってくればいいや」と気楽に考えていたのだが、次の駅で反対ホームに向かうためには一度改札を出る必要があった。相談できる駅員もいない。そのため、切符がここで消費されてしまった。また2.1ユーロの切符が必要となる。なんてこった。日本とは勝手が違う。
そんなこんなで、約束の10分前に着く予定が、5分遅れで美術館に到着。ここで待ち合わせしていたのが、以前にも紹介したパリ在住のソプラノ歌手・松井菜穂子さんだった。
一週間前、ぼくがオペラガルニエの日時指定チケットを一日間違えて購入してしまい、Xで「15日にどなたか行ける方いませんか?」と尋ねたところ、それを買い取ってくださった方。奇跡的な、偶然の出会い。
ほんの5分程度ご挨拶した際に、「またパリに戻ってきたらお話しましょう」と約束していたので、今日は美術館とランチをご一緒することに。
「遅れてすみません」
美術館に到着すると、松井さんは受付でオーディオガイドを借りているところで、「これどうぞ」とぼくに使わせてくださった。感謝。
この旅を通して、たくさんの美術館を訪問した。とりわけ、オランジュリー美術館、オルセー美術館、アンドレ・マルロー美術館で、印象派の作品をこれでもかというくらい堪能してきたけれども、やはりどうしても最後に、「印象派」が生まれるきっかけとなった重要作品をこの目で観ておきたかった。
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それがこのマルモッタン・モネ美術館に所蔵されている、モネの『印象−日の出』である。
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モネの作品がたっぷりと並ぶ地下の常設エリアで、ついに対面することができた。32歳のモネは、ル・アーブルの港でこの絵を描いた。ぼくもその港に立ったから、描かれている風景と現実の景色とを重ね合わせることができた。
2年後、モネは仲間たちと自主的に開いた展覧会にこの絵を出展した。カタログに記載する作品タイトルを求められたモネは、
「とても『ル・アーブルの風景』と言い渡すことができなかった。それで、私はその場で『印象』と書いておいてほしいと伝えた」
と話したそうだ。しかし「それではタイトルとして短過ぎる」ということで、開催者側が『印象−日の出』としたらしい。
モネの斬新な絵は高い評価も受ける一方で、批評家からは「こんなのは印象のままに書いた落書きだ」と揶揄された。後日、批評家のルイ・ルロワはパリの風刺新聞「ル・シャリヴァリ」に「“印象派”の展覧会」だと評論を発表した。彼はモネの絵のタイトルにあった「印象」という言葉を使って皮肉を込めたつもりだったが、この言葉が世間の話題となり、「印象主義」という新しい絵画のジャンルが生まれることになった。その新聞記事を見た画家たちも、自ら「印象派」と名乗るようになったそうだ。
そんな、絵画の歴史の転換点となった絵。
※後日、知人がこんなメッセージを送ってくれた。紹介してくれたYouTubeが非常にわかりやすくおもしろかったので、興味のある方は試聴をお勧めします。
「ルイ・ルロワの例の記事を訳し直したら、表現の方向性や殊更モネをディスった内容ではなく(セザンヌの絵犯人説笑)そりゃ古典主義の人には受け入れられないでしょうという風刺を持った記事だった。またそれを受けて、印象派という呼び方の由来は特別日の出からということではないのでは。という山田先生の新説が個人的に面白かったのでお時間ある時オススメです(๑•̀ㅂ•́)و✧」
また、今回残念ながら晩年のモネが住んでいたジヴェルニーの庭へは行けなかったけど、そこで描かれた『睡蓮』はたくさん鑑賞できた。オランジュリーにあった8点の大作も素晴らしかったし、ここマルモッタン・モネ美術館にも中規模の作品が多く展示されていた。
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マルモッタンさんの邸宅美術館だから、絵画だけでなく、調度品なども楽しめた。
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とりわけ目を引いたのは、色とりどりの石がはめ込まれた円形のテーブル。とても美しかった。
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特別展はモリゾ展。モリゾはエドゥアール・マネの弟のお嫁さんで、印象派を代表する画家のひとりである。と言ってもぼくはこれまでそんなにモリゾの作品に馴染みがなかった。でも今回大量に観ることができて、幾分か彼女の画風が見えてきた。
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モチーフの対象、よく使う色彩(エメラルドグリーンや白が多かった)、割と粗めの筆使い、時折見せる特徴的な余白などに他の印象派の画家にはない個性が見られた。色の混ぜ方や表現の仕方に、少しルノワールっぽさを感じることもあった(しかしルノワールほどのツヤ感はない)。
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1時間半ほどかけてゆっくり鑑賞できて、満足した。この2週間で大量の名画をシャワーのように浴びた。モネをはじめ、印象派についての理解も少しは深まったはず。ぼくの感性が存分に育まれていることを願う。
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美術館を出て、松井さんと駅近くのお店「Le Bois」でランチ。迷った末に鯛の料理を注文。おいしかった。
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松井さんのこれまでの人生についても伺えた。とくにソプラノ歌手として中国でご活躍されていた時期のお話や、パリに移住した経緯などについて。2010年には「日中友好に貢献した60人の日本人」として中国政府から表彰を受けたそう。改めてすごい方だ。貴重なお話を聞かせていただけた。
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最後に、老舗百貨店ボン・マルシェの地下に入っているのと同じ「La Grande Epicerie de Paris」というお店に連れて行ってくださり、おすすめのお土産などを案内していただいたところでお別れ。ランチもご馳走になりありがとうございました!
ひとりになり、ゆっくりクッキーやチョコレートなどを買った。イワシの缶詰のデザインが美しくてビックリした。
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その後、RERのC線でSaint-Michel Notre-Dame駅で降り、1919年創業の書店「シェイクスピア&カンパニー」へ。ここはご支援くださった作詞家の関和男さんから「ぜひ立ち寄ってみて」と教えていただいた場所。奇遇にもその後義姉からもお勧めされた。
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アメリカの作家ヘミングウェイは、パリでの作家修行時代にここの常連だったそうだ。お金のなかった彼は、初めてこの書店に来るとすぐに図書室の貸出会員となり、以後トルストイの『戦争と平和』をはじめ、多くの本を借りた。彼の作家活動において欠かせない場所になったという。
2階には、書棚に囲まれた小さな部屋があり、そこにベッドが置いてあった。実はこの書店、お金のない若い作家を支援をしていて、いくつかの条件をクリアした作家であれば、無料で泊まれるのだという。
美しい店内だけでなく、そんな背景もあってか、世界中の本好きが一度は訪れたいと願う書店なのだそう。確かに行列ができていた。
ぼくはあまり自分用のお土産を買わない人間なのだけど、この書店の絵が描かれている薄いタオルを記念に買った。今はまだ無名の存在だけど、いつか自分の本が海を越えて、この書店に置かれるような、そんな存在になりたいという想いを込めて、部屋に飾ろうと思う。
戻ってきたパリでは徐々にクリスマスデコレーションが始まっていて、歩いているだけで楽しかった。スーパーのフランプリで少しお土産を買い、パリ市庁舎近くのスタバで原稿を書いた。
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夜は宿近くのタイ料理屋「Orchid Thaï」で、トムヤンクンとカニチャーハン。量が多くて、ものすごくお腹いっぱいになった。おいしかったけど、タイ米だったから、やっぱり日本のお米を早く食べたい。もう限界である。白米が大好きなので、毎日パンはキツくなってくる。
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