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木の奥に隠れているもの 映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』について

捏造された起源

戸外から帰ってきた壮年のカウボーイ(ベネディクト・カンバーバッチ)が、屋敷の階段をズカズカと上がり自室に入ると、ベッドが2つ並んでおり、壁の向こうではずんぐりした男(ジェシー・プレモンス)がバスタブに浸かっている。ふたりはまるで同性の夫婦のようにみえる。彼らは一泊した宿屋でも、当然のようにひとつのベッドで眠るのだ。

すぐわかるように、彼ら──フィル・バーバンクとジョージ・バーバンクは兄弟であって夫婦ではない。また彼らが寝室を共有しているからといって、ふたりがホモセクシュアルな関係にあることを意味するわけでもない。彼らは公然と寝室を共有することで、ふたりの「兄弟の絆」がホモセクシュアルと見紛うほど強固であることを誇示しているのかも知れない。

兄のフィルは、配下の牧童たちを引き連れて入った酒場で、自分と弟のジョージをローマ建国神話のロムルスとレムスになぞらえる。神話によれば、ロムルスとレムスの兄弟は狼によって育てられた。フィルは、自分たちに仕事を教えてくれた故ブロンコ・ヘンリーを狼──犬の先祖に見立てて、彼のために乾杯する。この乾杯でフィルが顕揚するのは、ブロンコ・ヘンリーを開祖とする男たちのホモソーシャルな絆である。

もっとも、後に明らかになるフィルとブロンコ・ヘンリーとの関係は、古代ローマというより、古代ギリシャにおける少年愛を想起させる。古代ギリシャにおいては、成人男性と思春期の若者との間に性交渉をともなう恋愛関係が存在した。ギリシャの若者は、年長の男性との関係を通じて社会の構成員として必要な教育を受けたのだ。フィルがブロンコ・ヘンリーから受けた薫陶がまさにこれである。してみると、フィルとジョージが共同で経営するバーバンク牧場は、ホモセクシュアルな絆を起源としていることになる。

しかし、この連続体はホモフォビア(同性愛恐怖症)によって切断されている。そのため、古代ギリシャ的起源は古代ローマ的起源に差し替えられる。それは、サビーニの娘たちを掠奪した野蛮な男共の神話だ。

たとえば、フィルがローズの食堂で披露したブロンコ・ヘンリーの武勇伝──ヘンリーが乗りこなした「老いぼれ馬」とは、もちろん年増の娼婦の言い換えだ。この映画において馬はしばしば女性のメタファーとして描かれており、フィルは馬に対して女性への激しい嫌悪をぶつけたり、ピーターを「男」にするために乗馬を教えたりする。

掠奪された花嫁

ジョージは牧場のホモソーシャルな絆においては周縁的な地位しか与えられていない。ローズ(キルスティン・ダンスト)と結婚した彼が「孤独じゃないってこんなに幸せだったのか」と涙を流すとき、それまで彼がいかに強い疎外感を感じていたかわかる。

ジョージとローズとの結婚は、スタンリー・ドーネン監督の『掠奪された七人の花嫁』(1954)のアダムとミリーの結婚の変奏だ。オレゴンの山奥の農場に暮らす7人兄弟の長男アダムは、町の食堂で働くミリーを花嫁として連れ帰る。野蛮なほかの兄弟たちは町から娘たちをさらってくるが、ミリーは男たちを文明化し、最後は7組のカップルが結婚式をあげる。

ジョージはローズとの結婚によって、「女を手に入れた男」として、男たちの中での地位を獲得する。ジョージはローズを愛していたのかも知れないが、ローズに与えられた役割は、カクテルに添える傘のようなものでしかない。ジョージはそうと意識していないにしろ、それまでの周縁的な地位をローズに押し付けることによって、自分の立場を引き上げたのだ。

しかしジョージの結婚は、この牧場の隠された起源への冒涜にほかならない。ローズがバーバンク邸に着いた夜、ジョージはローズとともにバスルームを備えた隣の部屋に移るのだが、そのバスルームには兄弟の部屋からも出入りできるようになっている。新婚夫妻はその出入口のドアに鍵をかける。フィルはいまや自分ひとりのものとなった部屋で、鍵のまわる音を息を詰めて聴く。

「A」の項目

ローマ建国神話では、弟のレムスはロムレスによって殺される。皮肉なことに、バーバンク牧場で殺されるのは弟ではなく兄のほうだ。映画は序盤にフィルの前にピーター(コディ・スミット=マクフィー)が拵えた造花を飾ることで、はやばやと彼に死を宣告している。

フィルとピーターが、木材の山から木を1本ずつどかして中に隠れたウサギを追い出す場面がある。フィルはこの遊びと同じ要領でローズを追い詰めていく。木の奥にローズが隠しているのは酒瓶である。

ローズがネイティブ・アメリカンに無断で生皮を譲ってしまったことに激昂したフィルは、ピーターにいう。

お父さんの医学書を読め。「A」の項目だ。おまえの母親はアルコール依存症(alchoholic personality)だ!

これは絶妙な台詞だ。ピーターは確かに「A」の項目を読んだ。ただし、彼が参考にした項目は「炭疽(anthrax)」だった。

犬の力

ローズが木の奥に酒瓶を隠していたように、フィルにも木の奥に隠しているものがあった。フィルにとって神聖な場所であり、バーバンク牧場の隠された聖地である。ピーターは木をどかしてその場所に踏み込む。

私の魂をつるぎから、私の命(my darling)を犬の力から救い出してください

「詩篇」

「命(my darling)」とは、ひとが木の山の奥深くに隠しておくもの、ウサギのように傷つきやすく大切な何かだ。それを脅かすものこそ、犬の力である。

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