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書評 『審判はつらいよ』、鵜飼克郎著、小学館新書、2024年
本作は、様々なスポーツの「審判」へのインタビュー集である。取り上げられるのは、サッカー、野球、柔道、ボクシンング、飛び込み、ゴルフ、相撲の「審判」である。それぞれの呼び名が違うが、ここでは本書の題に沿って、「審判」と呼ぶ。
実は、日本語では、「審判」とざっくり一絡げにして呼ぶが、イギリス初のスポーツでは、英語で「レフリー」と「ジャッジ」、「アンパイア」というとき、その意味はまるで違う。第1章の西村雄一氏が述べているように、権限が違うので、注意が必要である。
また、相撲の世界では「行司」の判定が「審判員」の審議によって、ひっくり返ることを思い起こしてもらえれば分かるだろう。呼び名によって、権限が違うのである。このことについては、そのスポーツの歴史的分析が必要であるので、本稿では、触れないことにする。
さて、本書の審判員たちに共通するのが、「プレーの先を展望する力」であろう。審判員たちが共通して挙げるのは、五感を使うことである。そして、的確な位置にいないと、五感を使えないということである。次に起こるプレーを予測し、自分の位置どりを変えるのである。
そのため、「審判」は、実際、選手としてプレーした経験がなければ、務まらないようである。柔道の審判員、正木照夫氏は、今や「世紀の誤審」と呼ばれるシドニー五輪100キロ超級決勝での篠原選手への判定について、「あのレベルで戦った」の選手経験がないと篠原選手の返し技を判定できない、と語っている。ちなみに、審判は2段だったそうである。
また、VARについての意見をそれぞれに聞いているのも、面白い。各々の意見は、本書を読んでもらうとして、VARについての「審判」の意見が、まとまった形で読めるのは、本書がはじめてなのではないだろうか。
以上、雑感であるが、まとめると、これほど多様な審判の話をまとめて読める本はあまりなく、貴重である。また、題名は『審判は辛いよ』であるが、それぞれの審判が「グチをこぼす」というような本ではなく、堂々と自身の審判哲学を語ってる点は、改めて審判を語る上で貴重な本である。
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