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IOCの「上から目線」、オリンピックの決まり事ー「オリンピック憲章」をガチで読む④

今回は、いよいよ「オリンピック競技会」を取り上げる。我々が呼んでいる「オリンピック」だ。

まず、「オリンピック憲章」を読んでいて、どうしても感じてしまうのが、IOCの「上から目線」である。

その最たるものが、開会の宣言をするのは、「開催国の国家元首」である、と義務化している点である。そして、その「宣言文」も書かれているということである。

確かに、国家元首が結局、開会宣言をするであろうが、前回でも述べたが、スイスのいち「非営利団体」が、他国のトップである「国家元首」に命令できるのか、という問題である。

また、開催国政府は、「オリンピック憲章を遵守すると保証する、法的拘束力のある証書をIOCに提出しなければならない」とあるが、国家間で「法的拘束力」のある文書とは、条約等になる。

IOCは、スイスの「非営利団体」である。国家と他国の民間団体の、「法的拘束力」のある文書とは何か。謎である。契約書のようなものであろうが、どのように「法的拘束力」を担保するのであろうか。国連に訴えるとか損害賠償条項を入れたりするのか。謎である。

また、「オリンピック旗の使用」であるが、オリンピック旗は、「他のどの旗」よりも大きくないといけなく、「メーンスタジアムの目につきやすい場所に設置されたポール」に、掲げなければならない、とされている。おそらく、国旗より大きくなくてはいけないということだと思う。

ここで、IOCの肩を持つと、以上の規定は、オリンピックを「政治利用」されたくないということであろう。それでも、読んでいると違和感を感じる。

あと、一つ謎が解けたのが、個人種目の参加登録人数制限である。てっきり、IF(国際競技連盟)が決めるものであると思っていたが、実は「憲章」に書かれていた。個人種目は、世界選手権大会で定められている数を超えてはならず、どの種目においても1か国3名を超えてはならない、とある。

これは、卓球の個人種目で中国代表の人数が二人なのはなぜか、調べていたのであるが、この条文でようやく分かった。
蛇足だが、チーム競技の出場チームについては、12チームを超えてはならず、8チーム以上でなければならない、とされている。

以上、速足であるが、「オリンピック憲章」を読んできた。英文と邦文がセットになった、100ページほどの法律文章である。この文章は、IOCの「憲章」であるが、今のスポーツ界の「理想」と「現実」が、奇しくも読み取れる「法律文章」である。

「理想」の方は、「オリンピック・ムーブメント」という形で表されている。「現実」としては、スポーツ・ビジネスにおけるあらゆる利権を独占しよう「IOC」の姿勢である。

「肖像権」、「命名権」、「データの利用」等、あらゆる「権利」を漏らすことなく、書いている。退屈であるので、記事では、いちいち取り上げなかったが、IOCの本質は、いわゆる「権利ビジネス」だということが分かる(スイスの非営利団体のはずであるが。)

要約すると、IOCは、オリンピックという「冠」を参加者に与えると約束している。そして、競技の実働は、IF(国際競技連盟)に丸投げし、競技は、選手が行う。それによって、IOCはあらゆる権利を独占し、お金を儲ける。

お金は、一端、独占的にIOCに集まり、IF、NOCに流れ、そして、選手のところにやっと届くのである。いずれもの段階で、もちろん、中抜きがされる。

以上が、「オリンピック憲章」をガチで読んだ感想である。最初の記事でネガティブな方向に行きたくないと述べたが、読み込んでいる内に、自然とそっちの方に流れていってしまった。

おそらく、「オリンピック憲章」が、スポーツの理想と現実をそのまま条文化してくれているからかもしれない。スポーツ・ビジネスに興味のある方は、一読しておいても損はないと思う。


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