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第一次資料はなぜ大事なのか

先日、プログラマー時代を思い出しつつ、「できる人」は、公式ドキュメントや公開されているソフトウェアのソースコードといった「第一次資料」から直接学ぶという気付きに触れました。

何となく、そうだったという印象でしたが、えげつなく優秀な人は例外なく、標準ライブラリや広く使われているツールの何万行とあるソースコードを「全部読んだ」とか、そういった完成度が高く汎用的で、だからこそ細かくてややこしい作りのプログラムに追加機能を付け加えたりを平気でするのです。

業務でプログラミングをする者にとっての第一次資料は、プログラマーが顧客やユーザーのために作ったソフトウェアであり、ソフトウェアを構成するソースコードや、ソフトウェアに関する文書です。

ところで、なぜ、第一次資料が大事なんだろうということがすごく気になり出したので、ちょっとここで考えてみたいと思います。

まず、「第一次資料」とは何なんでしょうか? 思い付く限り挙げてみたいと思います。

・大学受験を控えた受験生にとっての、志望大学の過去の入試問題
・各種資格試験の過去の問題
・出題者の意図
・受かるための自分の学力
・能力向上のための知識、タスク

・自社の商品を売りたい営業マンにとっての、見込み客や顧客の生の意見、意図、必要、ニーズ、売ろうとする商品の特性、競合する商品、コスト、そういったことに影響する社会状況、自分の売り、自分が出来ること

・英語学習だと、英語で観たいもの、聞きたいこと、読みたいもの、書きたいこと、その他、したいこと、しなければいけないこと、そういった場面に出てくる読み書き話し聞く内容

・法律学習だと、弁護士や検察官、裁判官が職務に応じて読み書き話し聞く内容のうち、法律に関するもの
・行政に携わる公務員が職務に応じて読み書き話し聞く内容のうち、法律に関するもの
・立法を行う議員が職務に応じて読み書き話し聞く内容のうち、法律に関するもの
・成文法、観念的にあると想定され合意されている法の内容
・法によって達成しようとする自由や平等、繁栄や安全といった内容

・学者の仮説、仮説を裏付ける文献や事例、統計データ、裏付けられ形成され、専門家のコミュニティで合意された知識
・そういった知識の蓄積によって獲得できると想定される真理

・スポーツ選手、例えば野球選手なら・・
・野球という試合における勝利という目的
・試合の場面で発揮される選手の身体能力、技術、試合のルール
・シーズンの勝率により、他チームを制して優勝すること
・ファンの支持を得、プロスポーツとして選手やスタッフといった業界の構成員の収入に繋げること
・そうすることで、プロ野球を存続させるものに関わる様々なもの、こと


本当に、今、思い付くままに挙げて行っただけですが、そこには、「目的」が踏まえられているという発見があります。

そして、目的を巡って、目的を追求する現場で出現したままの、加工されていない生の感覚情報や認識情報、それが第一次資料ということで、どうでしょうか。

じゃあ、なぜ、第一次資料を直接理解したり、運用したりするのが難しいのでしょうか。第一次資料を解説するテキストのようなものができたり、テキストの内容を教える教師や教育機関のようなものが出来るのでしょうか。

それは、目的が目的として存立する生の現実が、人の認識によって把握・運用出来るか出来ないか際どいくらいの複雑で奥深くて、根深いもので・・一言でいえば属人的な卓越性・天才性をもってたまたま認識できた、今のところベストなものだからなのかなあということをもやもやと考えてみたり。

そうなんです!

この第一次資料ということを僕が考えるときもう一つ頭にちらつくのは、この属人性、天才性というか、なんか、自分みたいな凡人にとっては上から降ってくるもの、なのです。

で、プログラマー無理! って僕が思ったのは、自分の能力ではこの第一次資料の理解・運用が、自分がしたいと思うほどには出来ないだろう・・という疎外感がいつもあったからなのでした。

生きてるからには、どんな些細な分野でも良いから、第一次資料から創造する場に関与したいなあと思うのですが、欲張っているような気がしないでもありません。

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