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#1.5 「終わりなき旅」

寮からの腐れ縁?とでもいうべき友人に一件の依頼を届けました。

「終わりなき旅について教えてくれ」と。

ミスチルの曲を解釈して、という難題を
彼は長い時間をかけて答えてくれた。
まず「何が終わりなき旅なのか」を執筆しており
第二弾の「終わりなき旅」は、乞うご期待です!

そこで、僕も#1.5として、
「何が終わりなき旅なのか」という内容を、
2つの対照的な地域コミュニティをもとに、
都市と田舎を比較しながら模索していく。


日常的な生活にミスチルが僕の心臓に流れる
「石」と「意思」がぶつかり合いながら。
心地よいメロディーが右から左へといく過程に
摩擦などによって、どんどん丸みを帯びていく

摩擦を毛嫌いして、効率化を重視する人達
=より良い社会集団を構成する一員である
と強調されているような、そんな社会に違和感、
スマホを両手で持つ、どこの社会にも違和感。

京王線の窓には、桜並木道が綺麗に映っていた。
一瞬でしか、撒き散らすことのできない輝きに
ただ窓の外の景色としか認識されなかったのだ。
通過されている桜たちに寂しさが募っていく。

情報過多で簡略化したものだけがかき集められ
短略的に左から右へと流れた社会の潮流に、
「ディストピア」や「反理想郷社会」という
そんな言葉がお似合いのように思う。

つまり、
新しい価値を見出すことだけに焦点が当てられ、
自発的な行動だけが立派なロールモデル像という
虫の目でしか語られていない暮らしがあってさ、
その違和感の正体は、そういった画一的な考えが
唯一な答えのように誇っていることであった。


ただ消費される社会に違和感を感じるのなら
他方向から狼煙をあげて、答えを探っていく。

東京に住む人は、東京の良さを知らない 
別府に住む人は、別府の良さを知らない
田舎に住む人は、田舎の良さを知らない
〈自明性の罠からの解放〉に繋がっている

現代的と原始的な2つの村のコミュニティには、
現代的風にいえば、「サステナブルデザイン」
原始的風にいえば、「相互扶助の精神」
というような考えがあるのだけれども、
うーーん、なんかとばっちりを喰らいそうだ。

そんな対照的にも見える2つの村のあり方に、
根幹的な精神には、ある共通点が浮き彫りになる
自然と共存して、一体化して、命を頂いている。
今日という日を生きている、生かされている。
「1分、1秒無駄になんかできやしない」
「退屈な時間はない」という言葉が木霊する。
最先端な楽園生活も、原始的な暮らしでも
人間らしい生活を見出すことができるんだ。


もしそこに「終わる」旅があるなら、
「限界」を見出した旅がそこにあるなら、
いくつもの選択肢と可能性は広がっているけれど
そういったあらゆるものに「終わり」を大人達は
リアルで安易な形で切り取ってしまうんだ

閉ざされたドアの向こうに、新しい何かが待っていて、きっときっとって、君を動かしている。

胸の奥底に潜む迷いや葛藤という蛹が
プラスの力に昇華して、羽化できるように。
何らかのちっぽけな希望を探す旅には、
未成熟な僕たちが、他人を必要としている、可塑性を依拠することで、成長を遂げていくのだ。
そこに「終わりなき旅」だといえるのでは。

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