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天才太田の子育て道(3)〜偏差値40の息子2人が、世界大学ランキング6位のUCバークレーに合格するまで〜中高は私立の一貫校へ。時折、海外を見せながら。

荒れている近所の公立中学校は避けたい。
息子二人を彼らのペースに合わせて育ててくれる、中高一貫校がいい。

でも上位の中高は難しそうなので、できれば、中高の間にグッと成績を伸ばせて「上位大学を目指せるところ」と、まだまだ淡い期待もしながら(笑)学校探しを始めました。

創立120周年、ちょうどいい中高一貫校との出会い

神奈川を中心に30校近い学校を見学。
でもなかなかいい学校は見つかりませんでした。

まず、我が家は上位の中学校は無理。
そこそこ入れそうな、偏差値の高くない中学校の説明会に行くと、アピールされるところがすべて勉強以外でした。

制服がおしゃれ、校舎が新しい、プールがきれい、修学旅行が楽しい、と。
「あぁ、上位校でないと進学でアピールしないんだ」と残念に思ったのをよく覚えています。

入学時に勉強ができなくても、「こんな風に教えるので、中高6年間で勉強ができるようにします」と謳う学校はほとんどありませんでした。

また、崇高な理念を掲げているものの、それが具体化されてカリキュラムまでに落とし込まれている学校は全くなく、
「なんでそれ目指してて、内容が全くつながってないの?」と思うことばかりでした。

企業の理念を具体化し、人事制度や管理指標まで落としこむコンサルティングをやっていた私にとって、学校の掲げていることが、それこそ「空理空論」に見えてしまいました。

そんな中で、東京にある京華中学高校は少し違いました。

ある週刊誌の特集で、「入学時と卒業時の偏差値の伸びが一番大きい中高一貫校」として紹介されていたのです。
通勤電車の横須賀線で、ふと中刷りの週刊誌の広告を見て、「えー!どういうこと!」と。
新橋で降りた瞬間に駅のキオスクで買いました。
「へー!そんなところがあるんだ!」「もう、ここしかない!」と、藁をもつかむ思いで長男を連れて説明会へ。

創立120年を超える伝統校。
映画監督・黒澤明氏の出身校であり、学校の説明では、昔は麻布、開成に並ぶ御三家だったのだとか。
「京華」という名前から、なんだか中華系の流れを汲んでいる学校なのかと思いましたが、立派な古き良き日本の学校でした笑。

でも今はそんなに入学時の偏差値も高くなく、
なんとかうちの息子たちにも滑り込むことができそうな中学でした。
「面倒見が良い」「夏休みもしっかり補講して、塾に行かなくてもいいくらい勉強を見てくれる」という先生達の話に惹かれ、ここを目指してみようと考えました。

しかし、簡単には入れないレベルだった長男。
模試でもギリギリでした。偏差値が何せ40なく。

学校の説明会に参加して先生に相談すると、「何度も中学の説明会に通ってくれれば少し大目に見ます」と。
それなら何度でも行きます!と通い、
「昔の模試の結果でもいいから、一つでも良い結果のものがあれば持ってきてほしい」とお話があったので、一生懸命過去の模試の結果を探して、奇跡の偏差値42超えのものを持参。

「受験も数日間の受験日があるので、なるべく何回も受けてくれれば意欲ありとみてもらえる」とのことなので、全日程受検し、何とか合格になりました。

少し川崎からは遠い東京の学校でしたが、毎朝出勤時に東京駅まで一緒に行って、60分の通学時間にも慣れてもらいました。(ほんとはここも一悶着ありましたが割愛で)

毎朝必ず親子で話す時間を持てたのも良かった。
また彼らにとっては、学校帰りに新橋のタミヤ模型に寄ったりと、通学定期でいろいろな駅で降りられ冒険できるのも良かったみたいです。

次男の時も同じように「頑張り」、ここが息子たちの進学先となりました。

息子たちには、英語が話せるようになってほしい

さてさて。
とりあえず、荒れていない中学には入学できたものの、「このままで本当にいいんだろうか」「これからどうすべきなんだろうか」と私は悩んでいました。

自分自身が「いい学校を出て、いい条件の会社に就職し、そこそこお金を稼ぐ」生き方しか知らないため、彼らの将来はどうしたらいいのか、どんな選択肢があるのかと。

もちろん学歴がすべてではないし、学歴がいい人でも全然仕事のできない人もいます。
また逆に、学歴がそれほど良くなくても、経済的にきちんと自立して、社会で活躍している人もいます。

それはわかっているのですが、ではどうしたら将来彼らが困ることなく、経済的な自立を果たせるのか。
私には全く見当がつきませんでした。

ただ一つ思ったことは、これからは絶対に英語が話せないとまずい、英語が話せれば将来なんとかなるかも、ということでした。

私自身、英語ができないせいで、米国某大手IT企業からのヘッドハンティングのお話が立ち消えてしまいました。
「太田さん、英語さえできれば、かなりいいポジション・条件だったんですけど……」と言われてしまったのです。(本当にビックリするくらいの報酬でした)

英語ができないことによる残念なこの経験や、日本の大手企業がどんどんグローバルに進出しているのを目や耳にしたときに、これからは、いや、彼らこそ、英語をできるようにしておくべきだと考えるようになりました。
英語ができれば、彼らの選択肢は広がるはずだと。

仕事やプライベートで世界のいろいろな国を訪れましたが、ヨーロッパでは、居酒屋の店員さんも、はたまた路店のカフェのおばさんも、みんなが流暢な英語を話します。
香港でもシンガポールでもインドでも。
国連の参加国で日本だけが同時通訳の流れるヘッドフォンをつけているとも聞きました。

もちろん、英語ができたからと言って全てが保証されるわけではありません。
でも、勉強ができなくても、いい大学でなくても、英語さえできればなんとかなるかも、という思いも沸いてきました。

中学でオーストラリア、高校でニュージーランドに短期留学

中高一貫校は高校受験がないぶん、比較的のんびりと過ごすことができます。
京華中高には長期休みを利用した学校が斡旋する、短期留学制度がありました。

長男から、学内で短期留学の説明会があると聞き、「絶対行ったほうがいい」と一緒に参加しました。
先生が説明の最後に「話を聞いて行きたくなった人はいますか?」と聞いてきたとき、私はすかさず長男の右手を持って「はい!行きます!」と声をあげました。

「お金は出すから、とりあえず行こう!」と話して、長男は中2にして半ば強引にオーストラリアへと旅立つことになりました。
現地に降り立った時、彼は「父に捨てられた」と思ったそうです(笑)

行けるだけでうらやましいよ。

短期留学は2週間のプログラムで、日中は、同じ中高から行った生徒たちと一緒に現地の中学校に通学し授業を受け、夜と週末は各自ホームステイ先で過ごします。
仮にホームステイ先で英語が話せなくて辛い思いをしても、登校さえすれば、同じ中高の友達に会える。
友達と会って話せば、多少落ち込むことがあっても気は紛れます。

長男はもともとかなりの強運の持ち主。
ホストファミリーはかなりの富裕層の家庭でした。
プール付きの豪邸で、毎日学校への送り迎えはフェラーリ!
初日にプレゼントされたのが、とても大きな箱のLEGO!!
事前アンケートで好きなものに「LEGO」と書いたのを見て、プレゼントをしてくれたとのことでした。

とても暖かく迎えて入れてくださったホストファミリーで、英語のできない長男にも親切にしてくれたようですが、
長男は、話していることがほとんどわからず、自分の言いたいこともほとんど言えなかったようです。
学校で習った英語が、全く通用しないことを痛感したと言っていました。

ホストファミリー宅のプールで、なんとなくみんなでプールに入ろうという流れになり、寒いから本当は入りたくなかったのに、英語で「嫌」とうまく言えず、飛び込む羽目になり……。
帰ってきてから、このやり取りを動画で見せてもらいましたが、「えー、、」という顔をしながらも愛想笑いをしながら飛び込み、震えている長男の姿がありました。
話せないが故のもどかしい思いもしたようですが、それもいい経験。

次男も中2でオーストラリア短期留学に、半自動的に参加。
長男の様子を聞いていたので、意外にも行く気満々でした。
どこの家庭も第2子はこんなものでしょうか。

次男の短期留学は兄とはまた一味違うものでした。
また別の意味で引きの強さを持っている次男のゆーさん。ホストファミリーはインド人の家族でした。オーストラリアなのに。。。(笑)
毎日カレー味の食事をしながら、インドアクセントの英語に囲まれ、学校ではオージー英語。
英語にもいろいろな形があることを学ぶいい機会になったようです。

また週末には家族で近くの海に出かけ釣りをし、釣った魚でBBQ。
日本の都会の週末によくある、お金を使ってわざわざどこかに出かけるのとは違った体験も、彼には新鮮だったようです。

次男は短期留学が気に入ったようで、高校ではニュージーランドにも行きました。
ホームステイ先の家は、彼の家だけ牧場!
スマホも通じない環境で、週末には草刈りや、牧場の柵を直したり、杭を打つお手伝いをしていたようです。
東京にいたら、なかなかできない体験ばかり。
英語漬けの生活だけにとどまらず、流行りのファームステイ、デジタルデトックスまで経験したという、引きの強さを発揮していました(笑)。

父は行ったことないよ。

学校主催の留学は、同じ学校から20名ほどの参加者がいました。
先生も同行するので、家族から離れる体験もでき、でも現地の学校で友達と会うことで、孤独さはそこそこ解消され、何かあっても先生がいるので安心です。
留学デビューするにはとても良い機会だと思いました。

2人ともこの経験を通じて、海外の雰囲気や、皆が英語を話している様子、文化の違い、いろいろとものの見方が変わったようです。

留学の最後の日には、学校から行った皆で出し物を考えて、通った学校の現地生徒たちに見てもらうという催しもあって、一緒に行った生徒同士の一体感も学年を超えてできたようで良かったです。

最近子供たちから聞いたのですが、このプログラムに参加した何人かは、やはり海外の大学に行っているようです。

シンガポール旅行で感じた、「後進国の日本」

短期留学以外でも、息子たちにはなるべく海外を見せたいと常々考えていました。
ちょうどソフトバンクのCMで、元SMAPの皆さんがマリーナベイサンズのプールサイドを歌いながら闊歩するシーンが話題に。

大きなホテルのビルの最上階に、大きな器のようなプールがあるあのたたずまいは、当時大きな衝撃でした。
行ってみたいと言うので、二人を連れていきました。
私ももちろんこの国に(ホテルに?)とても興味津々でした。
2015年の3月のことです。(この時長男は中3、次男は中1)

街中にはフェラーリやカウンタックといった高級車がたくさん走り、高層マンションは1部屋2億円などといった値段で普通に売られている。

子供たちを連れてカーディーラーや不動産屋を見て回りました。

お約束の写真

金融で成功し、豊かさを享受する人たちがいて、一気に近代的な建築物が建てられ、地下鉄などのインフラもすごい勢いで整備されているので、日本よりも未来感のある駅などがある一方、ビル建設の足場は竹で組まれていたり、Little Indiaのあたりは、まだ舗装されていない道もあったり(当時)……。
急成長している姿が見え隠れした不思議な国でした。

朝、マリーナベイサンズの屋上プールに泳ぎに行くと、数えきれないほど膨大な数のコンテナ船が、マラッカ海峡を通ってシンガポールの港に入ってくるのが見えました。
海の隙間がないほどの数に圧倒されました。

東京港に入る船の数が減ったと聞いたことがありましたが、もう重要な港はこちらに移っているんだと実感しました。

早朝のベイサンズの屋上から。無数のコンテナが。

みんなが公用語として当たり前に英語を話す社会。
もはやアジアの中心はシンガポール。
日本は完全に遅れをとってしまったのではと、息子たちともそんな会話をしていました。

そして、「あなたたちは英語を使いこなせるようになって、世界のどこでも働ける人にならないとダメだよ」とも伝えていました。

偶然でしたが、シンガポールを訪問した時は、シンガポールの父と言われた、リー・クアンユーが亡くなった時でした。
国全体が喪に服していた時、TVではどのチャンネルでも朝から晩までリー・クアンユー氏の功績をたたえる番組ばかりが放送されていました。

私はこの時、初めてシンガポールを訪れたのですが、それまでお恥ずかしい話、リー・クアンユーについては、それほど知りませんでした。

TV番組では、リー・クアンユーが若いころにイギリスに渡ったこと。
資源のあまりないイギリスが成長したのは、金融の国になったからであり、同じように資源のない小さな国シンガポールもまた、金融の国を目指すべきだと考えたという話でした。

また世界で英語を話せないアジア人は馬鹿にされている、イントネーションもイギリス英語を話さなくてはいけないと。
だから、リーは、多くの国内エリートをイギリスに留学させ、戻った後は国の要職に付かせた、という内容でした。

朝から晩までずっと同じ内容を流しているので、何回も何回も観ているうちに、英語が得意ではない私でも内容を理解してしまいました。

このリー・クアンユーの話も、息子たちに「英語を話せるようになって欲しい」と思うようになったきっかけの一つでもあります。

訪問から約10年。
長男が就職先に選んだのはシンガポールの会社でした。
この訪問の記憶が、彼の会社選びにも影響したようです。
2023年の秋から、長男はシンガポールで社会人生活をスタートしました。

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