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6年間在籍した(株)リクルートを退職し、(株)HIVE Collectiveに参画します。

初めまして。武田 芳明と申します。
noteを見ていただき、ありがとうございます。

リクルートを退職し、新たなチャレンジに身を置くこのタイミングで、自分のこれまでの経験を振り返ると共にどうしてこの考えに至ったのか、今後どうしていきたいのかを整理したので、長文にはなりますが見ていただけると嬉しいです。


目次

  1. サマリー

  2. 大学時代の自分
    ターニングポイントになった田村次朗研究会への入ゼミ
    就職活動

  3. 社会人1~2年目
    日本たばこ産業(株)で学んだこと
    (株)リクルートキャリアで学んだこと

  4. 社会人3~7年目
    (株)リクルートライフスタイル

  5. HIVE Collectiveへの参画


1.サマリー
この度、6年間在籍したリクルートを退職し、(株)HIVE Collective(以下HIVE)に参画します。
HIVEは大学の研究会の同期である佐藤直樹が創業した会社で、創業期から副業という形で携わっていました。
2022年2月にβ版のサービスをリリースし、反響も想像以上に来ており、本格稼働をすべく、フルコミットをすることを決めました。
自分自身が元々「二番手」として色々な社長を支えていくポジションでバリューを発揮していきたいという志向を有しており、リクルートで一通りの経験を積むことが出来たこのタイミングで10年来の付き合いの佐藤の二番手として一緒にHIVEを大きくしていきたいと考えています。
これまでの社会人経験で、「営業」「営業企画」「営業マネジメント」「人事」「財務」「DX推進」「事業企画リーダー」「システム開発」など多岐に渡る経験を積むことが出来、ゼネラリストとしてのスキルを一定磨くことが出来たので、それを活かす場として、HIVEを選択しました。

今回の記事では僕自身がどんな経験をして、どんなスキル/考え方を身に付けることが出来たのか、なぜHIVEに参画しようと決めたのか、を記載していきます。

※サービスの詳細などは上記会社HPや佐藤直樹のリンクを参照頂けると幸いです

2.大学時代の自分
2011年3月に桐朋高等学校を卒業し、2011年4月に慶應義塾大学法学部政治学科に入学しました。
入学後、ALEKSというテニスサークルに入り、テニス&飲み会の日々を送りつつ、バイトは地元の牛丼チェーン店松屋で週5くらいで働くなど、ザ大学生といった生活をしていました。

1~2年生では上記の通りほぼほぼテニスとバイトばかりだったので、3年生の研究会の選択時にストイックに勉学に励む研究会に所属し、大学で何かしら学んだ!と言える分野を作ろうと思い、田村次朗研究会(以下田村ゼミ)に入ゼミしました。

田村ゼミでは「独占禁止法・国際法」をテーマに、隔週での生徒同士のディベートを行いインプット力&アウトプット力を高めていく、ということを行っていました。
隔週のディベートに向けて、ほぼ毎日ゼミのチームで集まり、論文を読み、論拠を組み立て、資料作成を行い、ディベートに臨むということを繰り返していました.

この田村ゼミで3年生の上半期(4~9月)で同じチームだったのが、代表の佐藤です。隔週で佐藤のご実家に泊まりがけでお邪魔させていただき、一緒に資料作成などしていました(この頃から銭湯&サウナにはまりはじめました笑)

2013年の写真。。。若すぎますね笑 左が代表佐藤、右が筆者


もう少し代表の佐藤について書かせてください。
※今後人生を共にしていく大事な相方なので笑

佐藤とはゼミの頃から何かと息が合って、特にお互いに話したりしないでも自分たち同士の役割分担などを察してお互いに動くことが出来ていました。
 佐藤がカリスマ代表
 僕がストイック二番手
のようなイメージで、大枠の方針やこうしたいよね、といった考えを佐藤が決めて、具体的にそれを形にしていく(どう進めるか)などを考えて周りのメンバーを動かしていくのが武田、という形でした。

また、佐藤自身の凄いな、と思う部分は書ききれないほどありますが、一番は前述の「カリスマ性」です。
初見の方に佐藤は誤解されやすいのですが(笑)、薄っぺらく見えてめちゃくちゃ真面目に様々な観点で物事を考えており、深く付き合えば付き合うほど、佐藤という人間性の良さがわかり、あいつならまあ大丈夫そうだよね、となっていく人が多くいます。
もう1点彼の強みを挙げるとするならば、「運の良さ」です。
根がポジティブというのもありますが、一緒に進めることがうまくいきすぎることもあり(もちろん努力はしていますが、にしても、と思うくらい)、運の良さを何度も感じさられました。
俗に言う「もってる」人間なんだなと。笑
※田村ゼミの同期も全員佐藤についてはカリスマ代表だと口をそろえて言うと思います笑

そんな佐藤との出会いも含め、田村ゼミでの友人たちとの出会いは僕自身の考え方、価値観を大きく変えました。

就職活動においての影響が特に大きく、田村ゼミは同期の半数が総合商社、そのほかも外資系投資銀行やコンサル、日銀など超一流企業に入社していくメンバーが多くいました。
そういった優秀な仲間に囲まれながら、自分自身は何が秀でているのか、といったことを周りからのFBもうけながら自覚していくことが出来ました。

今も大きく変わっていないので、自分自身の強みを書くと
・バイタリティ
・ストイックさ
だと言われます。これに関しては長くなりそうなので後日触れる機会があれば書くこととさせていただきます。

〈就職活動〉
前述した優秀な同期の影響も受けて、僕自身は優秀な人に囲まれた環境で働いてみたい!という想いが先行し、当時の主観で外資系コンサルティング企業を中心に就職活動をしていました。
実際にいくつかの企業のインターンに参加させていただいたり、内定を頂いた企業もある中で、最も行きたいと思った企業には落ちました。
その企業への想いを引きずり、中途入社の可能性を考え、当時落ちた企業に中途採用で最も多く入っていた業種のメーカーに進むことを決めました。
それが、日本たばこ産業株式会社です。

前述の動機だけでなく、たばこは一生吸いません!(元々吸っていなかったので)と最終面接で伝えたにもかかわらず採用していただけた、という部分に面白味を感じて入社を決めました。

3.社会人1~2年目
〈日本たばこ産業〉
2015年3月に無事慶應を卒業し、2015年4月に日本たばこ産業(以下JT)に入社しました。

衝撃だったのが、初期配属先で「九州工場 総務T」という辞令を頂いたことでした。
JTの九州工場は福岡県筑紫野市の二日市というところにあります(温泉で有名なのと大宰府が近いです)

福岡に遊びに来てくれたゼミの同期。中央左が代表の佐藤。中央右が筆者。

総務Tの仕事は一言で言うと「なんでも屋さん」でした。
主業務は工場の安全管理で、安全衛生委員会の運営などを担い、工場内での事故を0件にするためのオペレーション/環境改善に取り組んでいました。
主業務以外の部分が本当に多岐に渡っており、現場の方が困ったらすぐに連絡が来る、といった形でした。内容はプリンターの紙が切れた、であったり、工場の周りの蜘蛛の巣を駆除したり、ハチの巣を駆除したり、、、と本当に何でも屋だなと思う仕事も多々ありました笑

ただ、学ぶことも本当に多く、日本の製造業の品質の高さの裏側(現場)で、「こんな細かいところまでこだわるのか」「ここまでの高水準を求めるのか」といった徹底的な質へのこだわりをヒト/環境の面で学べたことが最も大きな財産となっています。

JTで働いて半年経ち社会人としての生活に慣れてきたタイミングからか、就職の時の考えからも社会人生活をしていく中で変化が起きていました。
就職活動の時に一番行きたかった会社に入るために、製造業を選びましたが社会人経験を積んでいく中で自分がどうなっていきたいのか、働く上で何を大事にしたいのか、というのが言語化出来るようになり、この時点では「やりがい」「成長実感」が自分にとって最も重要な価値観となっていました。

上記価値観の変化が起き始めたタイミングで、たまたま日常的に見ているYahooJapanの広告枠に「リクルートが新しい部署を開設します!中途採用実施中」という記事が出てきて、リクルートって成長にコミットする会社だな、話を聞いてみようと思い、ぽちっとしたのが人生の転機でした。

実際に面接を通して、上記の率直な考え(転職強くしたいとは思っていないことや過去経緯)をお伝えしたところ、リクルートなら出来ることなどを教えていただき、魅力的に感じたため転職を決意しました。

2社目となったリクルートキャリア。東京に戻りました。

〈リクルートキャリア〉
リクルートキャリアでは「リクナビNEXT」という中途採用領域の販促媒体の新規法人営業に従事しました。150名規模の組織で、95%が中途採用という異色の組織でした。

行動量担保とCL目線での事前準備など先輩方のフォローを頂きながら出来ることをがむしゃらに取り組み、入社初月に、入社初月新規獲得社数歴代1位の記録樹立&月間MVPを獲得することが出来ました。

上記の成績を評価頂いた結果、入社3か月で異動があり別チームで同業務に励むこととなりました。
この異動も大きなターニングポイントであり、リクルートキャリア内で最もよかった出来事だったなと思っています。

異動の何が良かったのか?という点ですが、一言でお伝えすると
「営業とは何か?売れるためには何が必要なのか?」を学ぶことが出来た、ということに尽きます。

入社後順調に成績を残しており、少し調子に乗っていた僕を叩き直してくれたのが当時の先輩の稲川さん、嶋田さんでした。
※お二人との写真はあげられないものばかりだったので割愛で。。。笑

二人に指導される前の僕は、コミュニケーション力とレスの早さからくる信頼性だけでお客様から発注をいただいており、営業の最も大事な要素である「事前準備」が甘い、ということを先輩方の指導を基に学ぶことが出来ました。

今でも誰かとお話しする際の「事前準備」を徹底する習慣は根付いており、アポの前に企業情報は調べるのはもちろん、お会いする方の情報をSNSを通じて調べ、趣味やら共通の知り合いやら経歴を根掘り葉掘り頭に叩き込んだ上で、何をどんな順番で話すかを考えた上でコミュニケーションをとるようにしています。(こんなこと書くとコミュニケーションとるの怖がられそうですが、、、笑)

そんなこんなで7月に異動し、コテンパンに鍛え直して頂いた成果もあり、リクルートキャリア入社初年度で3回の月間MVPを授与されるなど、営業力を鍛え上げることは出来た1年となりました。

4.社会人3~7年目
〈リクルートライフスタイル:セールスマーケティングG〉
営業力を鍛え上げることが出来たので、企画業務に挑戦したいと考え社内の異動制度を利用して当時の(株)リクルートライフスタイルに異動しました。
飲食店予約サイト「HOT PEPPER グルメ」を扱う飲食Divisionの事業推進部セールスマーケティンググループという組織に配属となりました。

セールスマーケティンググループでは飲食サイトなどの掲載なしでも集客を十分に行える人気店(食べログでいうと点数が3.6以上のような店)にどうやったら投資していただけるのか、どうやったら掲載いただけるのか?を自分たちで考え、実際にお客様に案内してプロセスを確立していく、というミッションにチャレンジしていました。

「既存手法にとらわれず、自由に営業手法を考え、実際にトライして回すというPoCサイクルの経験」と「自分の取り組みをわかりやすく言語化してアウトプットする経験」の2つを学べたことが大きかったです。
※都内の人気飲食店とつながりを持てたことは今でも活きている大きな財産です。。。笑 いまだに通い続けているお店も多数あります笑

セールスマーケの上司/先輩たちと、人気店TYハーバーにて。

上記セールスマーケティングを1年間行った上で、確立した手法を展開するというミッションを翌年は担わせていただき、人気店/高単価のCLを開拓することを主目的にしたチームの立ち上げ&マネジメントを行いました。

初めてのチームの立ち上げだったので、採用~研修設計、KPI策定や日々のモニタリング方法設計、業績管理やメンバーのコンディション管理など、わからないことは多かったですが、何事もがむしゃらに向き合い、目標としていた半期で150件超の獲得も達成することが出来たのは良い思い出です。

4名と小規模ではあったものの、
・チームの立ち上げ~マネジメントの一通りの経験
・自分がやってきたことの汎用化とインプット

を経験できたことがこの年で最もよかったことだなと思います。

〈リクルートライフスタイル:飲食センター部〉
2019年4月になると、上記で立ち上げた組織を他の既存組織に統合した上で、既存組織のマネジメントとなる役割を任せていただけました。
規模としては20名程度のメンバー数でしたが、一通りの経験が出来ていたので大きなトラブルもなく、目標達成をすることが出来ていました。

また、「やったことがあり成長実感がなくなると飽きそう」と思っていただいていたのか、2019年4月からは200名規模のコールセンターの経営企画(人事)のお仕事も任せていただきました。

この異動(兼務追加)も僕の社会人経験の中で最もよかったことの一つです。
経営企画のお仕事を任せていただいた際の部長、課長が佐藤さんと松原さんというお二人で、この二人に2019年以降お世話になり、過去一番の成長実感を得ることが出来たためです(詳しくは後述)

人事としての仕事の中では1つ大きな成果を残すことが出来ました。
残せた成果は「離職率改善と人材品質向上」です。
200名の派遣社員にて運営をしていたコールセンターだったのですが、人事着任当初に以下の課題を抱えていました(着任して課題提起した、が正しい表現かもしれません)
・1つの派遣会社に採用をほぼお願いしていた
・その派遣会社は業界内ではそこまで大きくない
・離職率も高く半年以内に半数の人が辞めていた
離職率が高いことで発生する育成コストの損失など、コスト的に大きな問題を抱えていたため、「大手派遣会社との取引開始」と「採用要件の再定義」、「入社後育成研修の見直し」などを通じ、半年後には離職率を元の半数以下にまで抑えることが出来ました。

この経験を通じ、
・既存の慣例を疑うことの重要性
・変化に強くあることの重要性(変化を恐れないこと

を学ぶことが出来ました。

2019年10月からは20名のマネジメント業務が兼務先、主務が企画業務となりました(2019年の4月から比重が逆転)

企画業務が主務になったことで、新たに任せていただけたのが部全体の
・コスト管理(中長期計画策定、月次の予実管理)
・KPI設計
・モニタリング設計
・オペレーターの生産性向上に向けたBPR推進(DX推進)
といった企画業務でした。

スタッフ人材としての本格的な業務に従事することになり、モチベーションが高まったと同時に修行の1年半の始まりでした。。。笑

何が修行だったのか?というと、、、
シンプルに課長の松原さんにしごいていただいた、その結果最も成長することが出来た期間だった、というのがすべてです。
後述する仕事の内容に対し、スタッフとしての仕事のお作法が何もわかっていない僕に対し、丁寧かつ厳しくFBをしていただきつつ、大量の業務オーダーを投げていただき(期待の表れと言っていただいてました笑)、時折死にかけるような状況になるまで働いたり、、、

そんなストイックな環境下(松原さんのご指導の環境下)でがっつりしごいていただいた1年半があったからこそ、スタッフとしての仕事の進め方を学ぶことが出来たというのは自信を持って言えます。

ここからは具体的に何を学ぶ事ができたのかを記載します。

前述の4テーマのうち、主となったのが「コスト管理」「BPR推進」でした。

コスト管理では部の予算の月次の予実管理と、3か年のコスト計画策定、コスト計画通りの人員管理などを行っていました。

200名規模なので予算の規模も大きく、ほぼほぼ一つの会社がどのように予算を組んで、どのように管理しているのか?といった一連の流れを経験することが出来ました。

また、執行役員から3か年計画の承認を取りに行くためのアウトプットを作成する際には、役員というレイヤーは何を気にするのか、どのようなアウトプット構成にすれば限られた時間で勝ち得たいものを勝ち得ることが出来るのか、などを考えることが出来ました。
言い換えると、話す相手の立場と前提に合わせた目線やアウトプットの作り方を学ぶことが出来た、というのが経験から得られたことです。

コスト管理の業務の中で最も重かったのが、人員管理でした。
僕が人事コストを担当していたときにちょうどコロナが発生し、飲食事業の売上も苦しい状況下でした。
事業の売上縮小も受けつつ、部としての生産性向上を目的に1年を通じた大規模な人員整理を行いました。

各課の課長陣といつどのように人員整理を行っていくのかを調整したり、生産性の分子となる担当件数もウォッチしながら計画通りの生産性向上を達成することが出来たのはとてもよかったです。
※1年間でOP1名当たりの生産性が200%に成長

関係各所との調整力、中期の計画を意識した舵取りといった経験をすることが出来たのが人事コスト周りの業務の学びの一つでした。

次に「BPR推進」について触れます。
「BPR」というのは俗に言うDX推進のようなもので、業務改革/改善のことを指します。
前述した生産性向上を目的に、このBPR推進を同時並行で行っていました。
※ただ人員整理を進めるだけだと1名当たりの業務がパンクしてしまうので

BPR推進では
・システム開発の流れ
・データ活用の重要性と仕組み構築の方法
・開発部門、AI部門、インフラ部門、など多岐に渡るステークホルダーとコミュニケーション方法
といった3点を学ぶことが出来ました。

システム開発の流れ、というのは一般的に「業務設計→要件定義→開発→テスト→リリース」といった流れになると言われていますが、実際にこの流れをプロジェクトマネジメントの観点で学ばせて頂くことが出来ました。
※武田が担当したのは業務設計→要件定義の部分と、リリース後の現場装着と、全体の進捗管理

事業側(ここでは飲食コールセンターの業務を指す)の業務を把握しつつ、システム開発の流れやおさえなければいけないポイントなどを理解出来たことで、現場業務とシステムの両輪を理解できることの重要性に気付かされました。

データ活用の重要性と仕組み構築の方法というのは、CS(カスタマーサクセス)の中でもよく出るヘルススコアといった仕組みをどのように構築し取り入れていくのか、また導入することによる非連続な生産性の向上を目の当たりにすることで、データ活用を通じたDX推進の効力の大きさを改めて体感することが出来ました

開発部門、AI部門、インフラ部門、など多岐に渡るステークホルダーとコミュニケーション方法というのは、システム開発を進めるに際し、本当に多くの関係者の方と関わらせていただき皆さんがどんな考え方をされているのか、何を大事にしているのか、といったことを学ぶことが出来ました。
言い換えると、世の中には色々な部門が存在しますが、それぞれの部門がどんなことを気にしているのか、といった勘所がわかるようになった、ということが学びです。
※前述の立場によるコミュニケーションの取り方、という話と近いかもしれません

長くなりましたが、飲食センター部での3年間は本当に多くのことを学べた、自分が最も成長できた期間でした。

5.HIVE Collectiveへの参画

ここまで長文にお付き合い頂きありがとうございます。
最後になぜこのタイミングでHIVE Collectiveに参画することを決めたのか、という部分についてお話しさせてください。

なぜHIVEか。それは
・事業性
・経営陣の魅力
といった2点に集約されます。

事業性という観点では、シェアリングエコノミーという今後世界の潮流となっている考え方である点や、海外で同様のサービスが流行し始めている点など、客観的に市場性も高いビジネスだなとは当初から感じていました。
ただ、1番の決め手になったのは、インスタグラムでのベータ版運用を通じて1名のユーザーさんが付いたことでした。
広告など特に打たず、開設して数日でユーザーさんが付き、利用も継続的にしていただけている(今も1番のユーザーさんです)といった、熱狂的なファンを目の当たりにしたことがこの事業/世界観のポテンシャルを感じさせてくれた出来事でした。

経営陣は僕以外に2名おり、1名は前述した代表の佐藤。もう1名は僕や佐藤と同じゼミの1つ上の大出です。

左から、大出、佐藤、筆者


佐藤に関しては前述の通り、僕が持ち合わせないカリスマ性を有していて、何かついて行きたくなるような魅力がある、と言う点はもちろん、一緒にゼミを過ごした日々から一緒に仕事をしていくイメージが描けたということが決め手の一つになっています。
また、佐藤がここまで考え抜いている姿を見て、本当に死ぬ気で本気でこの事業にかけるんだ、というのを目の前で1年間見続けたことも大きな後押しとなっています。

大出はHIVEに入る前にパリの大学院でファッションブランドについて学んでおり、僕や佐藤にない専門性を有していました。
また会社のコンセプトなどを考える(たまに考えすぎてますが笑)スキルに長けており、僕が出来ないことを出来る人だな、という印象を持っていました。
この2名とであれば、バランス良く会社運営をしていけるのではないか、ここに賭けてみたい、と思ったことが参画の動機となりました。

また、一時期参画を迷った時期もあり、その際に佐藤大出両名から「俺たちは武田みたいな人材が欲しいんじゃなくて、武田がいないとダメだ」と強く引き留められたことも決意を後押しする大きな要因でした(結局はこれかもしれません…笑)

HIVE Collectiveには、代表の佐藤が起業を決意したタイミングで声をかけていただいており、2021年2月頃から複業という形で携わっていました。
そこから1年以上、どんな世界を目指すのか、どんなサービスにしていくのか、どんな会社にしていくのかなどを議論し、プロダクトを開発し、漸く2022年の2月にベータ版をリリースすることが出来ました。

ここから本格的にアクセルを踏んでいくため、このタイミングでHIVEに本格的に参画しよう、と思ったことが「今」である理由です。

まだまだ規模も小さく、プロダクトも拙いものではありますが、5年後10年後にはHIVEが当たり前に使われている世界観を作り上げて、人生において何か大きなものを残したと自信を持って言えるような状態になることを目指してここから精進していきます。

人手不足の中で走っているので、HIVEに携わりたい!と思った方や一回話してみたい!と思った方は是非ご連絡ください。

Mail:yoshiaki.takeda@hive-japan.com

HIVE Collectiveサービスサイト
https://hivecollective.jp/

HIVE Collectiveコーポレートサイト
https://about.hivecollective.jp/

最後まで長文を読んでいただきありがとうございました!







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