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校長の話が、どんどん長く感じるようになっているやむをえない理由

「校長先生の話って、なんであんなに長いんだろうか?」

昔から、校長先生やおじさんの話ってのは長いものだが、しかしここ最近の子どもたちにとっては、それが、もうさらに長過ぎと感じてて、もう苦痛を通り過ぎて、無の境地にまで達しているらしい。

その理由は、どうも複数重なっているようなので、元放送作家で学習塾塾長である私が、今の子ども側目線に立ちながらまとめてみた。

まず、今も昔も「じじいの話は子どもには長い」というもの。それは生きてきた長さや身体の衰えから来る体感の時間の進み方が違うというもの。 これはもう誰もが経験しているので前提として確認するのみで良いだろう。

次に来るのが「デジタル時代のスピード変化」である。

これも昔から比べれば、いつの時代も様々な事が効率化され、情報化されて、スピードが上がっているため、なんとなくは理解できる人も多いかもしれない。ただ、ここ数年の日本で起きている子どもをとりまく環境の変化として、小中学生にまでスマホやタブレットが普通に浸透してきている状況、テレビよりもYoutubeやゲームを普通に観る状況は、大人達がそうだったように、子どもたちの情報インプットのスピードを速めている。そこに気づいていない年配の教育者は、昔と同じ長さの話をして「最近の子は聞くガマンが足りん!」と憤る。誰かが「もう、あなたが遅いんですよ」と言ってあげないとならない。
デジタル化が遅れていた教育業界のスピードの変化に気づくべきは大人の方である。


そして最後に、まだある。「とてつもなく、つまらないから」

一見、この観点も、よくあるオヤジギャグみたいに、「若い子には年配の話がつまらない」といった世界的なあるある話に思われがちだが、今の日本では、そのレベルでは無く、色んな古いモノが「本当につまらなく感じられている」のである。

その理由は2つ。

1つは、今の日本が世界でもトップの「面白いモノ飽和状態」であるということ。
経済力がありながら、平和な状態が続いた日本では、「オタク」という言葉が世界認知された時からさらに面白い娯楽が山のように生まれ、蓄積されてきた。 今の親世代は、ファミコンやジャンプで育ち、子どもと一緒に鬼滅を楽しむほど、面白いモノが生活の中に普通にある世代。 そんな親子を取り巻く「面白いモノ」の質と量は、年々、常に増え続け、そしてブラッシュアップされて来ているため、もうちょっとやそっとでは「面白いと感じられなくなっている」という現実がある。

そのため、あちらこちらの教育現場にて、「面白い授業」というのをやってくれている若手の先生もいらっしゃるのだが、今の子ども目線で正直に言えば「まぁ他のつまらない授業に比べれば面白い」程度となってしまう。 ただそれはしょうがない、先生は面白くするプロでは無いのだから。「面白くするプロ」が山のようにいる日本の中で、それらに打ち勝つのはそう簡単にはいかないのは当然である。

つまり、「校長先生の話がつまらなくなった」のは、話の面白さレベルが、巷にある「面白さ」と比較すると相対的に低くなったというだけである。 誰が悪いというものでは無い。

そして今の子どもにとって古いモノが「本当につまらなくなっている」2つ目の理由は、デジタル化がもたらした「面白さの個別最適化と入手スピードの速さ」である。これは、もうデジタル化の話において、大人達に数多く語られている情報化社会のメリット&デメリットと同じものとなる。 今の子どもたちは「自分が面白いと思うタイプのモノ」を、手軽にスピーディーに手に入れられる。ただでさえ、無限とも思えるほど「面白さ」がある現代日本の中で、自分の好きなモノがすぐに楽しめるようになってきているのだから、それ以外のモノがどんどん「つまらなくなっている」というのは、今のネット世代の大人達なら容易に想像できるだろう。

では、じゃあ、どうやって面白さに溢れている時代の子どもたちに「主体的に」なってもらい、学びを積極的にやってもらうことができるのだろうか?

つまり、「とてつもなくつまらない校長先生の話をどう乗り切ってもらうか?」である。

私の今の見解では、中途半端なモノは省くとすると、2つしかないように思う。 

1つは、勉強や校長の話が「つまらないモノ」であることを潔く認めて、極力コンパクトにして、効率的にし、子どもたちの邪魔をしないようにすること。

例えば校長の話の要点を書き出し、コンパクトにまとめて、Youtube動画としてテロップを入れ、補足も入れ、SEやBGMを入れて、ためになる風な動画にして、さらに早回しでも閲覧できるようにする。これであれば、面白さは無いとしても、観る側のストレスが極力無いため、情報が入っていきやすくなる。テレビの情報番組の演出手法に近い。

もう1つは、先生や教育関係者が手作りで中途半端に「面白くしよう」とするのでは無く、「面白くするプロ」の力を利用することだ。 すでにヨシモトが教育コンテンツを始めているが、ただあれはまだ面白さと教育が馴染んでいないというか、子ども側からは「面白そうにしてるけど勉強でしょ」と見透かされているようなモノが多くあるように思う。 林修先生の面白い授業!というのも、またちょっと違う。
もっと、面白さが先に無いと、子どもたちにはすぐバレてしまう。その意味では、マンガ&アニメの「はたらく細胞」なんかが優れた教育コンテンツと言える。 そもそもこのマンガは、「勉強させるため」に作られていない。何よりも「面白さ」で売り上げを伸ばすことが目的であり、その中に「勉強になる部分がある」という構造である。

そんな考えから、私が運営する教室「探究自立型教室シン・スクール」では、『はたらく細胞‼』をはじめ、勉強になる面白いマンガがたくさんあり、それで生徒に学んでもらい、またそれらを題材にした「マンガ感想文」で国語力アップをしている。

よく子どもたちに迎合するとか、人気取りだとか、言われる場合もあるが、狙いは最終的な学習成果である。どんなに優れた教育メソッドであろうと、それを学習する「今の子ども」側が積極的にならなければ、何も意味が無い自己満足となってしまう。

もちろん、私の試みには、過去のデータや成果の裏付けはまだ無いし、学力の判定基準自体が変わってきているため今後も成果として何と比較すべきが難しいかもしれない。

しかし、科学的検証にもとづいて、データによって成果が示されてから、それから実行するというやり方で、今のかなり速いスピードで変化する社会の中の教育は、間に合うのであろうか?

数年かけた教育方法の検証結果を見た時には、またもう時代が変化してしまって、その時の子どもたちに必要なやり方は異なってしまうのではないだろうか?

私たちがすべきは、大人の思惑を押し付ける前に「まず今の子どもたちの現状認識を正確に読み取る」ことをして、その上でその現状に合わせたプランを教育畑だけで考えるのではなく、エンタメも含めた他の業種と一緒に考えてみて、試行錯誤しながら実践してみてゆくのが大切なのではないだろうか。

「学べるエンタメ案内」はたらく細胞
https://note.com/yossi185/m/m2b0d71c28e37

「マンガ感想文」
https://www.shin-school.com/%E3%82%B7%E3%83%B3-%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A7%

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