怒ってしまうのは自分に余裕がないから

 今日のテーマは怒りです。僕はスーパーでアルバイトをしているのですが、態度の悪いお客さんが来るとイライラしてしまいます。ため口だったり、無言だったり、やけに高圧的だったり…。そういうお客さんが来たときはいつも閉店時まで引きずってしまいます。お客さんからしたらなんでもないようなことでも言われた方は引きずっているのです。なんだかいじめと似ていますよね、加害者は覚えていなくても被害者はずっと覚えている、みたいな。

 前置きはここまでにして、ではなぜそのような怒りが生じてしまうのか。最近僕の中で結論が出ました。それは「自分に余裕がないから」です。お客さんが怒っているとき、自分はなぜこのお客さんはこんな態度をとってしまっているんだろうと考えます。なにか嫌なことがあったり、イライラしているのかなとか怒ってしまう背景を分析します。自分の接客に悪い点があったのかと振り返り、反省点があれば反省します。大体のことはこれで済んでしまうんです。ですが、自分に余裕がないときはその分析が出来ません。店が忙しい時、何時間も立ちっぱなしで疲れているときなどがそうです。そういった時に僕はイライラしてしまうんです。

 バイトだけではなく、自分が怒ってしまうときは余裕がないときだと思います。なにか気にくわないことがあった時客観的にその出来事を分析してみると、意外と冷静になれてイライラも収まります。まあ、僕もまだ子どもなのでどうしようもなくイライラしてしまうこともありますが。笑

 最近「嫌われる勇気」というアドラー心理学についての本を読みました。アドラーの哲学に「目的論」というのがあるのですが、そこでも怒りについて触れていたので紹介します。

 怒りはある目的を達成するための道具でしかない。これが目的論の考え方です。喫茶店で店員がお客さんに対しコーヒーをこぼしてしまい、お客さんはカッとなって大声で怒鳴ってしまった。この時お客さんは怒りに駆られて大声を出したのではなく、大声を出すために怒ったのです。大声を出すという目的が先にあって、大声を出すことで店員を屈服させたかった。その手段として怒りの感情を捏造した。面白い考えですよね。

 家でお母さんに怒られているとき電話がかかってきた場合を想定しても、お母さんは電話では怒っている素振りを一切見せず、電話が終わった瞬間元の様子で怒ってくる。このように怒りという感情は出し入れ可能な道具だ、というのが目的論の考え方です。

 少し話しが逸れてしまいましたが、怒ってしまうのには何かしらの理由があるはずです。その理由を自分の中で客観的に分析できれば怒るということもなくなっていくのではないでしょうか。

 追記:自分の怒りを関係ない他者にぶつけるという行為は本当に惨めで愚かな行為です。そのようなお客さんが少しでも減ることを願っています。スーパーの店員より。


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