【自分が何でもできると思っているだろう.....】 「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」 ----------私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはな
それから、週に2、3回。往復5時間程度。近所の低い山への登山を続けた。 2ヶ月で5kg体重が減った。 食事については、朝は9時までに、昼食はなし、晩は18時までに、今まで通りのボリュームと内容の結果、4ヶ月で計7kg減った。 目標としていた春の健康診断は、見事メタボ脱出。各数値も改善した。胴回りを計測してくれるスタッフの方が一度測り直すほどだった。 嬉しかった。数字として結果が出たことが嬉しかった。ベルトの穴が足りなくなったので、2つ開けた。久しぶりに会った友人達から二
絶景やなぁー 掬星台っていうんやで。せっかくだから写真撮ろうや。 うん。 なんだろう。今までの苦しく悔しい気持ちがスーっと消えてた。憎らしかった友人が、また元の良い奴に戻った。 飯にしようや。 登山口に着く前にコンビニで買っておいたカップラーメンとおにぎりを出した。すると友人がリュックから丸くて可愛いガスボンベと傘のような鉄製の道具を繋ぎだして、手際よく火をつけた。 そして自分のリュックから新しい2リットルの水を出して、手慣れた感じで簡易型のお鍋で、2人分のお湯を沸
一向に山頂が見えなかった。 もうすぐって言ったじゃないか。もうすぐは俺の感覚では、もう、すぐ。時間にしたら5分ぐらい。10人に聞いたら10人がそう言う。もう一度聞かないといけないのか。あの悔しい言葉をもう一度言わないといけないのか。 いや、もう少し耐えてみようか。サウナでも12分の時計が最後の30秒前になるときが一番苦しいではないか。すでに腰は床から上がっているし、5秒前ぐらいに脳から体に指令をだせば、12分ジャストで立ったような感じになる。そうだ。あれと一緒なのだ。焦っ
その時、私の体重は80kgを超えていた。 身長173,5cmなので、やや肥満型。 内臓脂肪も数値が高く、もちろんのこと立派なメタボリック症候群でした。 20代の頃は、65kg前後。30代で70kg程度となり、いつの間にか80kgとなっていた。40代ということもあり、年相応、良く言えば頼りがいのある見た目であった。急に痩せた同年代の友人を見ると、顔がシワシワで、とても貧相に見えてしまい、以前のほうが良かったよと心からそう思った。 ただ、40代になると、今まで元気だった友人
ちょっと休憩しようよ 思わず言ってしまった。僕より細く、性格も柔らかい彼が上から振り向いてくれた。 ほんなら、給水タイムやな。 いやいやちょっと上から目線の言い方。だけど、ありがとう。感謝します。ほんまにありがとう。 また少し登り、同じことを繰り返す。 少し話そうや。人生についてとか。景色についてとか。最近のニュースとか。 また登り始めて、背中も見えなくなる。 もう友達ではない。あいつはもう、友達ではない。どんなに優しい言葉をかけられても、こちらからお断りだ。も
ジムが続かない。。私もそう感じながら通っていた。 ある日、ジムを解約した。 プールに入って、サウナに入る。風呂に入って、自転車で帰る。大満足だったが、 解約した。 自己満足感は満たされたが、肝心の体重は減らなかった。健康になっているのか、現状維持をすることで満足しているのか、お腹の浮き輪は一向に減らない状況だった。 さて、ではどうするか。 ジョギングを始めた。 近所を東西南北いろいろな方角に行った。こんなところにこんなスーパーが、こんなところに素敵なお花が、こんな家の作り
眠れない夜は、あまりない。 でも、今日は眠れない。 なぜかは、考えない。 考えたら、眠れなくなってしまう。 眠れないときは、起きていようとどこかで聞いたことがある。 noteを開いた。 眠れない人が結構いるみたい。 夜を独り占めはできなさそうだ。 せっかくの眠れない夜なのに。 誰もいない夜を望むけど、誰かがいた方が安心する年頃になったのかもしれない。 もう一人旅も行きたいと思わない。 知らない人とつながっている安心。 こんな時代があったのだろうか。 アマチュア無線とか。
「そろそろ、話そうか」 福寿のお猪口を3本も空けていた。。 【40代の私】の独り言にも似た話を 【20才の私】は黙って聞いていてくれた。 良く聞いてくれたな。嬉しかったよ。 だって、君は私なんだから。 そして、私は君なんだから。 本当の事しか話さないよ。 これから君には、前向きで、がむしゃらな時期が来る。 暴走しそうなほど強烈な出会い これ以上ない幸福感 泣きたいほどの情けない自分 先の人生が見えない時期も続くよ。 宝くじ当選より運の良い自分、 誰とでも親しくなれる自
あたりまえからの脱却。本物が心に響く。 私はラグビーが好きだ。格闘技でもなく、個人競技でもなく、体格に恵まれた者だけでなく、綺麗でなく、年俸が良いわけでもなく、モテるわけでもないが、好きだ。 2019ラグビーW杯日本開催、1次リーグ戦のスコットランド代表vs日本代表。 地球温暖化の異常気象により激しい台風が横浜を襲った。開催が危ぶまれていたが、私は大阪駅の新幹線乗り場で待機していた。12時ぐらいだったと思う。ホームページで、開催決定の知らせを見ると思わずガッツポーズをした
あたりまえからの脱却。本物が心に響く。 私は読書が好きだ。調べ物はネットが便利だ。 では、kindleで電子書籍を読めば、スマホで全部できる訳だ。ここら辺で、私は詰まってくる。 その通りだな。書籍は物理的にもかさばるし、環境にも良くない。。ん? 環境と言えば最近気になる社会的な動き、SDGs。サスティナビリティ。。ソーシャル。。カーボンニュートラル。。 それぞれの言葉の意味は、ネットで調べられるのだが、上手く繋がっていかない。そんな時に、私は本屋に行く。 先日訃報があ
(④フリッタータ) ほぼ、私のカラダはコウケンテツ先生のレシピで出来ている。と言っても過言ではない。 しかし、たまにはイタリア🇮🇹に行きたい時もある。 そんな時にイタリアンの鬼才、小林幸司シェフに弟子入りするわけだ。食べログイタリアン部門で何年も連続NO1凄い料理人なのだ。 パスタ料理だけでは物足りないときがある。 そんな時にもう一品テーブルの真ん中に欲しい一品がこれ。 トマトの酸味とジャガイモとたまねぎの甘味、溶き卵の中に具材をいれてから、フライパンに戻すのがコツ。
(③サバイヨンソース) ほぼ、私のカラダはコウケンテツ先生のレシピで出来ている。と言っても過言ではない。 しかし、たまには海の幸も頂きたい。 そんなときの救世主が北海道の漁師町増毛出身のミクニシェフ(三國清三先生)だ。 卵とバターとお酒とレモン汁だけで鮮やかなソースができる。 こんなことは知らなかった。 しかも簡単である。 ワーケーションで北海道の小樽市にしばらく滞在した。豊かな海の幸が頂ける町。地の物は、本物であるから素朴でも感動がある。 なかでもホタテ貝がすごい
(②チキンステーキ) ほぼ、私のカラダはコウケンテツ先生のレシピで出来ている。と言っても過言ではない。 そのなかでも【チキンは裏切らないシリーズ】はヤバイ。 最近、フォークとナイフを使うことが、ご無沙汰だった方も多いのではないでしょうか? 小学生の時に両親に連れていってもらった(ステーキのあさくま)を思い出した。 肉をまるごと、玉ねぎのソースを作って、自分で作って、自分で食べる日が来ると思わなかった。 ありがとう。先生。
「明日、お葬式に来れますか」 とても優しいやつだった。 大学2年生の夏の終わりに、電話がかかってきた。おばさんというその女性は、友人の携帯電話に入っている番号に一つ一つ丁寧に電話を掛けている様子だった。 とても多くの人が来ていた。 高校の同級生もたくさんいた。私の卒業した高校は大学附属で9割がそのまま進学するのだけれど、一応テストがある。私とその友人は、そのテストの合格点に達しなかった。急遽、一般受験に切り替えるべく通った予備校で仲良くなった。 たまに、昔から知り合いだ
(①バカリャウのリゾット) テレビで料理人が料理をしていた。 ポルトガルを番組で旅していた彼が、鱈(たら)を使って簡単に料理していた。 これなら僕にもできるな。 感動する旨さ。 うそでしょ? それから、コウケンテツ先生との付き合いが始まった。 YOUTUBEでとても人気なのだが、まだまだ知らない人もいるはず。作ったものの写真と感想をなんとなく綴っていこうと思う。 え! 一口食べてびっくり。 鱈の旨味が、米と玉ねぎとズッキーニにしみわたり、ポルト