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【投稿企画】クリスマスの過ごし方(クリスマスの意味)

こんにちは^^
私のノートをご覧になってくださる方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございます。
皆さんのいいねやフォローが大きな励みとなっていますm(_ _)m!

最近少し忙しくて投稿が滞っております。。。
そして今日は12月25日クリスマスの日ですが、
「普段聖書の話を散々しておいて、この日に何も投稿しないというのはあかん!」ということで、
今日はクリスマスに関する記事を書いてみます( ̄▽ ̄)!


<クリスマスの意味>

今年のクリスマスはどのようにお過ごしですか?
また、昨日は日曜日がクリスマスイブでしたがどのように過ごされたでしょうか?
私は昨日教会でクリスマス礼拝というものに参加しました^^
その後はケーキもいただきました🎵

日本ではクリスマスというと思い浮かぶものが、
ケーキ・プレゼント・チキン・デート・イルミネーション・M-1(笑)などでしょうか?
他にも色々な過ごし方をしながら、特別な日としてこの日を迎えることがお多いと思います。

では、「クリスマス(Christmas)」とはどういう意味かご存知でしょうか?

Christmasとは、Christ:キリスト、mas:ミサ(礼拝)からできている言葉であり、 クリスマスとは「キリストを礼拝する」という意味です。
そして、世界のキリスト教国ではイエスキリストの聖誕をお祝いする日になります。

ケーキを食べられる日・プレゼントをもらえる日・チキンやご馳走を食べられる日だと思っていましたが、実は違いました・・・!

ちなみに「12月25日=イエスキリストの誕生日」ではないと言われています^^
元々12月25日はローマの冬至の日でした。
そして冬至は長くて暗い、実りのない冬が終わり、新しい世界がはじまる日と考えられていたのですが、
キリストはこの世を照らす「光」とされていたこともあり、この時期にキリストの生誕を祝うのがふさわしいのではないかと考えられ、12月25日がキリスト生誕を祝う日に定められたといいます。

イエスキリストの誕生日は、聖書の様々な記述を見ると、秋頃ではないかと推定されています。
もし冬の時期だったら、飼い葉桶で生まれた赤ん坊のイエスはとても寒かったでしょうね。。。

<イエスキリストの聖誕>

旧約聖書で「私があなたたちのもとに救い主を送る」と約束なさり、旧約4000年が過ぎてから、この地に救い主イエスキリストがお生まれになりました。

ルカによる福音書2章8~14節
「2:8さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
2:9すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。
2:10御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。 2:11きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
2:12あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。
2:13するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
2:14「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

イエスキリスト愛と平和の王として生まれ、神様の御言葉を宣べ伝えることによって多くの人の霊と肉の人生をお救いになりました。

イエスキリストを一言で表すならば「愛と許しの方」だと言えます。
「隣人愛」の話は有名な話ですが、自分を害する人でさえも許し、許し、許し続けた方がイエスキリストです。

当時、旧約時代から救い主を待ち望んでいたユダヤの宗教人たちが、イエス様のことを自分たちが待っていた救い主だと正しく認識することができず、むしろありとあらゆる迫害をしたのですが、
自分を殺そうと十字架にかけた人たちでさえ、最後の最後まで愛し許されました。

ルカによる福音書23章33〜34節
「23:33されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
23:34そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。」

キリスト教福音宣教会の総裁チョンミョンソク牧師はイエス様についてたくさんのことを研究し学び、
「ただ愛することで平和が来ます。愛さずには平和がありません。平和が愛です。相手が間違っても、とにかく愛してから考えるべきです。」
といつも教えてくださいます。

<わかって迎えるクリスマス>

イエス様は、旧約時代から神様を信じ救い主を待ち望んでいた人々にとって、まさに救い主の立場で来られた方ですが、
当時のユダヤの宗教人たちは「神様が直接自分たちのところにくること」を待っていました。
目に見えるように来ると思っていたし、比喩で書かれた救い主に関する預言を文字通りに解釈し、「雲に乗って火と剣を携えてくる」と考えていました。

イザヤ書66章15〜16節
「66:15見よ、主は火の中にあらわれて来られる。その車はつむじ風のようだ。激しい怒りをもってその憤りをもらし、火の炎をもって責められる。
66:16主は火をもって、またつるぎをもって、すべての人にさばきを行われる。主に殺される者は多い」。」

自分たちが考える通りに、壮大な形で神様が現れたのではなく、赤子であるイエスという肉体を持って救い主が来たから、正しく迎えることができなかったのです。

「君=王様」が生まれたというから、当時イエスキリストが生まれた地域の王様だったヘロデ王は、自分の地位を奪われると思って、その地域の2歳以下の男子を全て殺すといったとんでもないことまでしました。

マタイによる福音書2章6節
「『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。
おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。」

マタイによる福音書2章16節
「さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。

遠方に住んでいる友達をお迎えに行こうとしたら、
「何時にどこにどうやって来るか」を知ってこそすれ違うことなくちゃんと出会えます。
飛行機なのか電車なのか、出口はどこなのか、といった具合です。

このように、待ちに待っていた救い主が誕生しても、どのように来るのかを正しくわかっていなければ、喜びで迎えることができず、むしろ自らの手で殺すまでしてしまいます。

今は新約聖書の最後の最後にある「また来る(=再臨)」という預言がなされる時だと言われています。
それならば、「”どうやって”また来るのか」を知ってこそ、2023年前のような過ちをせずに、喜びで、愛と平和の中で迎えることができるでしょう。
これについて学ぶためには聖書をたくさん学ばなければならないので、興味のある方はぜひご連絡ください^^

最後までご覧いただきありがとうございました。

#クリスマスの過ごし方


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