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31.愛と許し⑥〜締めくくり〜

こんにちは^^
私のノートをご覧になってくださる方、フォローしてくださった方、本当にありがとうございます。
皆さんのいいねやフォローが大きな励みとなっていますm(_ _)m!

今日はこれまで5回に渡り記事を書いてきた「愛と許し」シリーズをまとめるような記事を書こうと思います。


<許しとは愛することだ>

これまで聖書の中の「許し」に関する聖句をいくつか紹介して来ましたが、この許しという行為は、私たち人間が体験できる「愛」の最も深い表現の一つです。
「許し」というと、時には「我慢」・「忍耐」・「犠牲」が伴うことのように思えるし、実際そのような場合もあるでしょう。
しかし、根本的には「許し=愛すること」だと言えます。

<聖書における許しの大原則=愛が土台だ>

聖書には、許しに関する多くの教えがありますが、それら全ての基盤となるものは愛です。

マタイによる福音書22章36〜40節
「22:36「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
22:37イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』
22:38これがいちばん大切な、第一のいましめである。 22:39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』
22:40これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。」

ここにあるように、と〜〜〜っても長い聖書の中で、一番大切な戒めとは、
①心と精神と思いを尽くして神様を愛すること
②自分を愛するように隣人を愛すること(隣人愛)

だと書かれています。

祈るにしても、内省するにしても、他人を許すにしても、全ての行動の動機は「愛」であることが大事なポイントです。
隣人を自分のように愛するからこそ、これは単に他人を尊重することを超え、彼らの過ちを許すことを含意しています。

<無限の許し>

また、「26.愛と許し①〜許しの心を持つこと〜」の記事でも紹介した通り、
イエス・キリストは「七たびを七十倍するまで許しなさい」と述べています。

マタイによる福音書18章21節〜22節
18:21そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
18:22イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

これは、許しに限界はないということを示しています。
私たちが犯した過ちを神様が無限に許してくれるように、私たちも互いに許し合うべきだという教えです。

<許すこととは、解放のプロセスである>

許すことは、相手を許すことだけでは終わりません。
それは自分自身を苦しみや過去の囚われから解放するプロセスでもあります。

許すことで、私たちは過去の重荷から解き放たれ、前に進む力を得るからです。

<許しは愛に基づく>

許しは愛から生まれます。
愛は、他人の過ちを理解し、共感し、そしてそれを超えてゆく力です。
愛こそが、許しを可能にする根本的な力だということです。

<許しの実践>

では、実際に許しを行なうにはどうすれば良いのでしょうか?
まず、心を開き、相手の立場に立ってみることが重要です。
そして、自分自身の感情を認識し、それを超えて相手に対する理解を深めることです。

許しは一朝一夕には成し遂げられるものではありません。
時には時間が必要です。
しかし、そのプロセスを通じて、私たちはより豊かな人間関係を築き、心の平和を得ることができます。

<まとめ>

「愛と許し」に関する私の一連の記事を締めくくるにあたり、許しの重要性とその美しさを再確認するようになりました。
許しは、私たちが他者との関係を深め、より充実した人生を送るための鍵です。
聖書に示された許しの教えは、宗教に関わらず、私たち一人一人の日常生活に深く根ざした普遍的な価値観・考え方です。

許しを通じて、私たちは互いの違いを超え、より豊かな人間関係を築き上げることができます。
この記事が、キリスト教や聖書に詳しくない方々にとっても、許しというテーマの深い意味を理解し、実践するきっかけになれば幸いです。

以上で、「愛と許し」をテーマにした連載を一度締めくくります。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
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次回はまた違ったテーマでの連載を考えていますので期待して待っていてくださいm(_ _)m!

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