LGBTや性癖、精神障害、自分に自信がない人達に対する吉崎の戯言。

最近、LGBTや女装男子、精神障害を持つ人や、それに近い人たちと関わることが多い。

吉崎は口調は男っぽいと言われる。意識して変えてるけど、正直疲れる。いつまで経っても慣れない。

一人称はコロコロ変わる。私、僕、俺、自分。

だいたい真面目なときは私。私的なことは僕。怒ってるとき、ちょっとトゲついてるときは俺。仕事や無関心を装ってるときは自分だ。たまに一文に全て混ざったりするけどこれも個性として、治したくない。
申し訳ないが慣れてほしい。

僕は男の子が好きだけど、可愛い女の子を見つけると酔った勢いでチューしちゃう。

吉崎は薬や酒がそもそも好きじゃないから頼ることはないけど、自制心が皆無なので、あると使うんだろうなと思うから、夜寝れなくても睡眠薬はあまりもらわないようにしてる。

そういえば、オーバードーズをしたわけでもない、適正量の睡眠薬を飲んで夢遊症状が出たことが何度かある。(千人に一人の割合でいるらしい)
誤字だらけのラインと何十件の電話をして、友達にブロックされたり、彼氏を困らせたことが何度もある。
今は睡眠薬を飲んでいないけど、また意識のないまま他人に迷惑をかけてしまわないか、寝るときはいつも不安だ。

そんな不安と、人生や社会への不安、天秤にかけてオーバードーズをしてしまう人たちを見ていると、もっと気楽に楽しんでほしいと思う。

個人的な意見として流してもらって構わないが、
知的障害者も身体的障害者も平凡な人も天才的な人も、誰しも、望まれて生まれて来た命だと、僕は信じてる。
母親に包丁を突きつけられたり、全裸で外に出されたり、実の父に犯されたり、いろんな人が私の周りにいる。
きっと他にもたくさん辛いことを生き抜いてきたのだろう。辛いと言えない人もいただろう。尊敬する。
産んで損した!産まなきゃよかった!死ねば良いのに!と言われてきた人もいただろう。
それでもやっぱり望まれて生まれてきたのだと、僕は思う。
私はあなたに会えて、お話ができて、反りが合わなくても分かり合えなくったっても、疎遠になっても、こんなにも嬉しい。

いろんな人に出会えて、意志の疎通ができて、それだけで生まれてきて良かったと今は思える。

自分に価値がないと思ってる人は、とりあえず私に話しかけてほしい。僕と一緒に自分のことについて考えよう。

正直な話をすると、自信がない人が嫌いだ。
自信がない人は〇〇しろとか言う人はさらに嫌いだ。
自信なんて誰も持ってない。どんなに成功した人でも、新プロジェクトのたびに毎回「できるだろうか?」といった不安を持ってる。
不安を持たない人は、いつか潰れる。

だから、良いんだよ。自信なんかなくったって。
自信は確かに魅力だが、裏を返せばただの虚栄、仮面だ。
人生は一日、1時間、1分、1秒と変わっていく。全く同じ時なんて存在しない。
そんなものに、自信持って『俺は100歳まで生きる!』なんて、笑い話だ。その瞬間、隣の国からミサイルが飛んでくるかもなんて考えないのだ。だからこそ、自信は諸刃の剣だ。
トライアンドエラーが重要なんだ。
何度も失敗して得た知識によって、成功を見つける。
一発で成功した場合、同じことが明日も成功するとは限らない。
もしケーキを作るとしたら、材料が明日は手に入らないかもしれない。
失敗の連続で、たくさんの材料を集めていたら問題なかったはず。
新しいレシピを探すことだってできる。ケーキはショートケーキだけじゃない。チョコもあるしパウンドケーキも、パンみたいなケーキもある。

パイの実だって、一応ケーキに当たるはずだ。パイの実がケーキじゃないと言われたら、おかずクレープはクレープではなくなる。異論は認めるが、パイの実はケーキだ。

そういえば以前、ツイッターで心は女なのに体格は肩幅も身長もある上筋肉質で、ギャップに耐えきれず自殺未遂を何度も犯して、もう老後だと憂いている方を見かけた。
抑圧されて生きてきたわたしとしては、「男の自分も好きになれば良いのに」と思ったけど、ことはそう簡単じゃない。だって一点ものだもの。


店舗のない地域の方にこの表現はちょっとわかりづらいかもしれないが、、、
〇岡家のラーメンを美味しいと言う人はいろんなラーメン屋さんを行き比べ、やはり〇岡屋を美味しいと思うだろう。
でもわたしはあの匂いが心底ダメ。店の前を通るのもダメ。
でも、〇岡家しか行ってはダメと言われたら、わたしは迷わず死を選ぶ。そのくらいにダメ。

彼女にとって、一般男性なら喜んで交換するだろう背も高く肩幅もあるスポーツ万能そうなその良い体は、地獄の鎖そのものだろう。

僕はかっこいい服が好きで、いかついサングラスも好き。でも、似合わないと毎日のように言われた。

サングラスはいまだにヤンキーと揶揄される。その茶化しに対応していたら、気付いたときにはガン飛ばしが得意になった。
昔、私は赤やピンクが嫌いで、黒と青が大好きで。女の子らしくしてほしいと母がピンクとブルーの小物を買ってきては、ブルーを取り合って兄とよく喧嘩をしたものだ。勝てたことはない。

逆にDVの元彼が買ってきたフリフリドレスを着こなしてしまう自分が大嫌いだった。
背が低くて、体重が軽くて、顎が細くて、高い声が嫌いだった。

男になれないなら死んで仕舞えば良いと何日も食べないことがあったけど、やはり餓死は苦しくて、こっそりお菓子食べてた。
その頃に出来たのが「褒め係の男の子」
イマジナリーフレンド、解離性同一性障害のように、
私の心の中に一人自分ではない誰かが住むようになった。

彼はいつも褒めてくれる。
周りに責められて嫌な気持ちになったこと、逆に怒られなくてもやもやした気持ちを、彼は無理やり褒めてくれた。「宿題しないのに怒られなかった!最高じゃん!」「今日は昼休みも起きなかったな!雑音遮断能力最強だな!」「いつも好きなことができる自分勝ち組だな!」と、ちょっとズレてるし、ナルシスト気味になったけど、でもしっかりと自尊心は守られた。
毎日否定されて傷ついても「彼が褒めてくれるから良いもん」と思えることは、心の余裕そのものだった。

心の余裕こそが、生きる上で一番大事だと思うんだ。

お金でも、友達でも、漫画でもなんでも良い。

他人の評価なんか気にしないで、突き進んでほしい。



最近知り合った女装男子の方はちょっとすごい方で、とある地方にパートナー条約を採用させた。もともと一部の界隈ではイベントに引っ張りだこな方で、事務所にも所属したようだ。

話していると、知識は少し偏っていて、正直私からしたら「こんなことも知らないのか」って、思ってしまうくらい。まだ中学生かな?と思ってしまったほど無知な人だった。よく言うと「純粋」で悪く言うと「周りに無関心」だった。

ただ、「周りに無関心」だからこそ、女装男子として成功したのだろうと思うと、悪く言う必要はないのかも。見た目は一般女子としてもたいして可愛くないのに、「この服は似合ってる」と自分で思うからこそ、あんなにキラキラしているんだろう。みんな惹かれるんだろう。


好きなものを好きと言うには何かを失わなきゃいけないなんて、おかしいんじゃないだろうか。
満3.4歳くらいで失いたくないものだけを選べと言われたら、きっと、愛されたくて必死な幼い子供たちは自分を害すると分かっていても親を選んでしまうだろう。

僕は幼い頃可愛がってくれる人がたくさんいた。

団地住まいで、周りにはたくさんの大人がいてお小遣いくれたり、ご飯を作ってくれたり、チカンに出会したときに助けてくれたスキンヘッドのおじさんが大好きだった。

それらを失ってまで、生きたいと思わない。

あの母と父がいたからこそこの現実がある。もっとよくなると言われても、そんな世の中、嫌だ。

大切な人を忘れたり、いなくなったりして良いとは思えない。


何度でも同じ選択肢を選び直せるようになってほしい。

大切な友達が金銭的な事情で休学してしまった。学費は高くて、生活が困窮気味になってる。すでに支払いが遅れていて、学業の再開は難しい。でもそれ以上に退学後の奨学金の支払いも厳しいんだ。

おかしいな。苦学生でも勉強できるように奨学金があるはずなのに、奨学金を使ってなお、月にプラス4.5万もかかるような学費なんて。

もう少し、トライアンドエラーに寛容な世の中であってほしい。

それこそが、健全な世界だと僕は思う。

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