書く、撮る、描く。悩む。

僕は書きたいのか、描きたいのか、撮りたいのか。常に悩んでいる。

自分の脳内のイメージをなにかしらの形でアウトプットしたいことは確かなのだけど、それが文章を書くことなのか、動画を撮ることなのか、絵を描くことなのか、この3つの動作の間を常にフワフワと漂っている。

最近「書く」ことをnoteで再開して、その「味」をまた噛み締めている。そして、書くことは楽しい。それは単純に久しぶりだからかもしれないし、書くことのほうが自分のライフワークとして合っているのかもしれない。

「撮る」ことは4ヶ月くらいお休みしているので、いまは引き出しにしまっているような状態。再開したら「やっぱり楽しいじゃん」となるかもしれないし、「撮る」ことは僕には負担が大きいものなのかもしれない。

「描く」ことは、もうずいぶんとお休みしている。昔は水彩画をよく描いていたけど、もうどれくらいだろう、5〜6年は描いていない気がする。でも最近、描けそうなきっかけをもらったので、また「描く」かもしれない。


「書く」「撮る」「描く」 この3つに共通するのは、ひとつの作品(と僕は考えている)が出来上がったときの達成感がとても大きい。それを何度も読んだり、見たり、眺めたりしてしまう。自分がまずは満足すること、を優先してつくっている。

3つの動作の違いを考えてみると、「書く」ことは僕にとってカジュアルにもなりやすいし、とことん質を追求することもできるもの。手に込める力を抜いたり、強く入れたりできる幅がある。なんたってパソコンかスマホで書けちゃうんだから。

「撮る」ことは、ちょっと敷居が高い。機材(最低限カメラとマイク)を持ち運ばなきゃいけないし、撮影時間もある。構成を考えるために「書く」こともある。手に込める力は、基本的にとても強い。ただその分、できあがった作品をみる満足感はけっこう高い。

「描く」ことは、とにかく自由度が高い。特にアナログの紙に描く場合、もう好き勝手線を引いたり、色をつけたりできるから、自分の世界観を一番表現しやすい気がする。落書きならカジュアルだけど、水彩画であれば手に込める力は強くなる。


とこんな感じで、気づいたら僕は「自分に合ったコンテンツ形式はどれだ」ということを問い続けている。小学校時代に落書きをはじめ、バックパッカー時代にブログに出会い、、Youtubeで動画を1年間つくった。まだ「音声」は試していないけど、自分の中では一通りやってみた感じではある。

もう三十路だし、そろそろ全力を注ぐ形式を決めるべきタイミングなのかもしれないし、いやいや、悩みたいだけ悩めよ、ということなのかもしれないし。もしくは、3つの動作は連携できるのかもしれないし。

まあ、路頭に迷わない程度に、悩もうと思う。「自分探し」は楽しいけど、それに夢中になると危ない。

自分はどんな形式でコンテンツをつくりたいのか、どれだけこだわりたいのか、それをビジネスにしたいのか、などなど。


さてさて、今日も暑いですね。村上春樹の『アンダーグラウンド』がアマゾンで品切れになっているショックからはじまった朝でした。

いただいたサポートは、おいしいご飯か、さらなるコンテンツ制作の費用に使わせていただきます。