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【百年ニュース】1920(大正9)4月5日(月)皇太子(のちの昭和天皇:18歳)と婚約内定者の久邇宮良子女王(のちの香淳皇后:17歳)の婚礼が、当初予定されていた1923(大正3)から2年前倒しとなり、1921(大正10)となると伝えられる。→山県有朋の権威が失墜する「宮中某重大事件」へと発展。

久邇宮良子女王は久邇宮邦彦王長女。1918(大正7)1月の婚約内定後に学習院女学部を退学、久邇宮家では邸内に後閑菊野(東京女高師教授)を主任とする御学問所を設けた。倫理は裕仁皇太子の東宮御学問所と同じ杉浦重剛が教師を担当。ほかに修身、礼法、薙刀、和歌、点茶、仏語など。『申酉回瀾録』

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