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【百年ニュース】1920(大正9)6月18日(金)波多野敬直宮内大臣更迭。親籍降下ルールに関し皇族の反対を抑止できず。皇族会議以降も久邇宮邦彦王が「彼の準則は何も役に立たぬものなり。そのままに致し置けばそれにて宜し」と露骨に無視の態度。山県有朋が波多野に辞職要求。

【百年ニュース】1920(大正9)4月5日(月)皇太子(のちの昭和天皇:18歳)と婚約内定者の久邇宮良子女王(のちの香淳皇后:17歳)の婚礼が、当初予定されていた1923(大正3)から2年前倒しとなり、1921(大正10)となると伝えられる。→山県有朋の権威が失墜する「宮中某重大事件」へと発展。