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【百年ニュース】1921(大正10)4月19日(火) 大正天皇の病状につき宮内省が3回目の発表「天皇陛下は依然御発語に障碍」。特に心身の緊張を強いられる場面で発語に困難あること,階段昇降に扶助が必要なことを関屋貞三郎宮内次官が率直に発表。6月上旬に田母沢御用邸に避暑予定。

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【百年ニュース】1920(大正9)3月30日(火) 大正天皇の病状が波多野敬直宮内大臣より初めて国民に発表される。三浦謹之助診断書「幼小時の脳膜炎により儀式等心身緊張時に身体傾斜 平衡保てず」「御病症は全く秘密の裡に置く事は国民に対し相済まざる次第なれば時々公表を要すべし(原敬日記)」。

【百年ニュース】1920(大正9)6月18日(金)波多野敬直宮内大臣更迭。親籍降下ルールに関し皇族の反対を抑止できず。皇族会議以降も久邇宮邦彦王が「彼の準則は何も役に立たぬものなり。そのままに致し置けばそれにて宜し」と露骨に無視の態度。山県有朋が波多野に辞職要求。

#31 藤原直哉と昭和天皇実録を読む(昭和20年11月1日~11月13日)

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【百年ニュース】1920(大正9)6月28日(月)「前宮内大臣子爵波多野敬直をお召しになり、東宮大夫浜尾新・東宮侍従長入江為守と共に午餐の御陪食を仰せ付けられる。またこの日波多野に対し御紋附七宝花瓶一対並びに金員を下賜される。(昭和天皇実録)」波多野は6月18日辞職。

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【百年ニュース】1920(大正9)7月24日(土)宮内省が大正天皇の病状につき二度目の公表。中村雄次郎宮相が天皇の発語障害と歩行障害につき初めて触れる。「御病気については拝謁のたびごと只々感泣のほかなく、いかにも遺憾にたえざるところなり(同日の原敬日記)」